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プラトン『プロタゴラス』解説、目次 プラトンの著作の中では、もっとも初期のもののひとつとされ、ソクラテスの存命中に書かれたとする説もある。それだけにここに登場するソクラテスにはリアリティーがあり、プラトン哲学のフィルターを通さない、本当のソクラテスの哲学の一端が垣間見られる。 1、プロタゴラスがやってきた 2、弁論術対やり込め術 *何を教えてくれるのか *徳は教えることができるのか *ソクラテスの逆襲 3、シモニデスの解釈をめぐって 4、ふたたび徳について *勇気 *絶対的な知 *議論は終らない プラトン『ゴルギアス』解説、目次 ソクラテスの死は、少なからずプラトンに大きな衝撃を与えた。そこで、プラトンは『プロタゴラス』で展開した快楽の算術を疑い始める。快と善は本当に同じものなのだろうか、善を行うものが何で死刑になり、正しくないものが世の中にはびこるのか。プラトンはゴル
ゆきゆき亭 こやん 「貫之は下手な歌詠みにて『古今集』はくだらぬ集に有之候」 明治三十一年二月十四日の『再び歌よみに与ふる書』はこのような出だしで始まる。それにしても「下手な」「くだらぬ」という言い回しは穏やかではない。こうした言葉がセンセーショナルな反応を引き起こすことを、子規は十分計算していたのだろう。この時一体子規は何を突き崩そうとしていたのだろうか。権威だろうか、伝統だろうか、理屈や言葉遊びだろうか、それとも西洋列強に対抗できぬ日本の弱さに対してだろうか。一言で言い表わすことは難しいだろう。 この問題は子規にとって短歌だけの単独の問題ではなかっただろう。むしろ俳句の改革のさいに生じた一つの帰結を短歌にも拡大して論じることで、短歌の改革は俳句の改革よりも急速に明治三十年の前後から行われた。この時俳句にはない一つの問題、つまり「国歌」の問題を避けて通ることができなかった。俳句
鈴呂屋 こやん 1、不条理(くそったれ)な論証 なぜ今カミュかというと、若杉公徳(わかすぎきみのり)の『デトロイト・メタル・シティ』という漫画を読んでいた時、ヨハネ・クラウザーII世をフロントマンとするデスメタルバンドのドラムの名がカミュだったからだ。 もちろん、アルベール・カミュの『シジフォスの神話』は私にとって多感な高校生だった頃読んで大きな影響を受けた書物だったことは確かだ。私に哲学への興味を喚起し、大学で哲学を学ぶきっかけを作った本でもあり、今でも大きな影響を受けているのかもしれない。 しかし、それ以上に、カミュ的なテーマは私が好んで聞くロックの歌詞の中でも、常に反復されていた。 たとえば人生に意味があるのかないのかというテーマ。 今夜生きる意味なんてしらねぇ 命がただ叫び出してる 俺が俺であるように胸は鳴る 想いを乗せて世界は廻る (THE
『存在と時間』解説、目次 序文 序論 存在の意味の問いの解明 第一章 存在問題の必要性、構造、優位 s1存在の問いをくり返す明確な必要性 s2存在の問いの形式的な構造 s3存在問題の存在論的優位 s4存在問題の存在的優位 第一部 時間性へと向かう現存在の解釈と、存在への問いの超越論的地平としての時間の説明 第一篇 現存在の下ごしらえ的な根本分析 第一章 現存在の下ごしらえ的な分析の課題の提示 s9現存在の分析論の主題 s10人間学、心理学、および生物学に対して、現存在の分析論を区別すること s11実存論的分析と未開の現存在の学的解釈 「自然的な世界概念」を獲得することの難しさ 第二章 現存在の根本機構としての世界-内-存在一般 s12内-存在そのものに方向を定めることによる世界-内-存在の下書き s13一つの基礎づけられた様態で
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(『プラグマティズム』W・ジェイムズ、1957、岩波文庫、p.15) もっとも、実際に人間をこの二つにはっきりと分けられるわけではなく、中間的な人間もたくさんいるのは確かである。ジェームスも、 「われわれ哲学者には、生粋無雑(きっすいむざつ)な足の弱いボストン人もいないし、また典型的なロッキー山地方の荒くれ男もいない。われわれの多くはどちらの側に属するものであれ良いものはいくらでも欲しいと思う。」(『プラグマティズム』W・ジェイムズ、1957、岩波文庫、p.16) という。 このあたりから、つまり我々はどちらも欲しいのだというところから、どちらにも偏らない、この両者を両立させる哲学として、プラグマティズム(実用主義)を提起してゆくことになる。 この図の中に、ロマン/ゴシックというのを加えることが出来るかもしれない。 「すなわち一方においては事実にたいする科学的忠実さと事実を
鈴呂屋 こやん ソクラテスの一つのイメージ 古代(こだい)アテネの広場(アゴラ)に、その老人(ろうじん)は今日(きょう)も腰(こし)を下(お)ろしていた。 周(まわ)りには多数(たすう)の弟子(でし)たちがたむろしている。 いまやかなりの人数(にんずう)にになったソクラテス教団(きょうだん)も、はたから見(み)ると不良少年(ふりょうしょうねん)の集団(しゅうだん)みたいに、統率(とうそつ)の取(と)れたところもなければ、礼儀正(れいぎただ)しく挨拶(あいさつ)を交(か)わすわけでもなく、ただ無駄(むだ)に広場(アゴラ)にたむろしては、うろうろ歩(ある)き回(まわ)ったり、道(みち)にしゃがみ込(こ)んだり、時折何(ときおりなに)やら口論(こうろん)したりしていた。 「なあ、自由(じゆう)というのはいいもんだろう。 民主主義(みんしゅしゅぎ)は最高(さいこう)の政治形
ゆきゆき亭 こやん 酔っ払いのライマーただ今ここに参上 言葉のケツ追っかける難病 先天性ライミング症候群が病名 検査結果は陽性 Taiki & Mummy D, zeebra『末期症状』 ライミング(押韻)は西洋の詩では普通に行われていることだし、日本のすぐそばの中国でも古代より延々と続いていた一つの伝統だった。日本はその中国から夥しい数の文化を吸収したにしても、日本語の詩歌の伝統のなかでライミングということはまったくといっていいくらい行われることはなかった。日本が明治の近代化の際、これまた夥しい数の西洋文化の流入のなかで西洋の詩を学び、近代詩を確立したにもかかわらず、ライミングはせいぜい一部の実験的な試みに終り、ついに定着することはなかった。つい何年か前までは日本語はライミングに向かない言語だということを、ほとんどの人が疑うことがなかったのではなかったか。ところが、ここ五年く
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