一個人の体験ですのでいきなり一般化は出来ないと思いますが男性からも「女性だと勘違いして絡んできたエラそうなアカウントが当方が男性だと判明すると途端に口調が丁寧になり謝罪して去っていった」という話は結構聞きます。なお収録ツイートのアカウントは今月いっぱいで垢消しするそうですので来月以降見えなくなる可能性があります。 ※収録ツイートが削除され参照出来ないのでこのtogetterも削除しようかと思いましたがコメント欄が野鳥の会に参加する野鳥だらけで素晴らしすぎるのでこのままにしておきます。
一個人の体験ですのでいきなり一般化は出来ないと思いますが男性からも「女性だと勘違いして絡んできたエラそうなアカウントが当方が男性だと判明すると途端に口調が丁寧になり謝罪して去っていった」という話は結構聞きます。なお収録ツイートのアカウントは今月いっぱいで垢消しするそうですので来月以降見えなくなる可能性があります。 ※収録ツイートが削除され参照出来ないのでこのtogetterも削除しようかと思いましたがコメント欄が野鳥の会に参加する野鳥だらけで素晴らしすぎるのでこのままにしておきます。
IT系イベント主催者各位 そろそろドラ娘ってやめませんか? (Kanasansoft Web Lab.)に端を発する一連の話。 「ドラを叩いている女の子も喜んでその役を引き受けてるんでしょ」「見ていて華があるし」という意見や、その延長線上にある「だからハラスメントではない」という捉え方は筋がよくない。Twitterで誰かも言っていたけれどこのテーマについてはハラスメントではなくポリティカルコレクトネスで考えるべきだ。ポリティカルコレクトネスというと政治的な匂いや強い主義主張に基づく活動的な匂いを感じて敬遠しちゃう人もいるけれど、ここでいうそれはそんな大げさなものではなくもっと単純に「性を持ち出す必要性のない場面で性を持ち出すな」という、それに尽きる。 我々は勉強会やカンファレンスといったイベントに参加するけれど、そのイベントは国籍や職業、宗教や性別で差別・区別されることのない公平・公正な開
オフ会、コンパ、街コンなどなんでも良いので、出会いの場所に行って 1回目のお誘いまたは2回目のお誘いで、興味のない人にはどのようにお断りしたら良いのでしょうか? ケース1:忙しいお誘いの連絡があったときに、今ちょっと忙しくてスケジュール確認したらまた連絡するね! ⇒結果 いつごろ空いてますか?とまた連絡がきてループになる。 ケース2:既読スルーお誘いの連絡を既読スルー ⇒結果 怒りの連絡あり。社会人として返信ぐらいするのがあたり前の説教付き ケース3:丁寧にお断り好きな人がいる、合わないと思うなど、理由付きで丁寧にお断り 結果⇒ 勝手な人ですねと怒りの連絡がある。 ケース4:連絡先を聞かれても交換しないスマホは忘れたといって、かばんに入れてださない。 結果⇒ 友人経由で連絡先が回ってきて、友人に連絡がないと相手が愚痴っている。 その他にも、説明しても諦めませんの宣言や、気を持たすようなこと
オチューンはやたらアダムタッチしてくる https://twitter.com/mememememiti/status/537371194568089600 女々氏のツイートで久しぶりに「アダムタッチ」の語を見たので、アダムタッチの有効性についての私見を。 アダムタッチを風俗嬢相手に実践した下記3つのエントリ等を通して http://anond.hatelabo.jp/20110122234700 http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3990146.html http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/3990433.html アダムタッチのことを知る人は多いと思うが、一応改めて説明しておくと、「アダムタッチ」とは、アダム徳永氏が提唱している、セックスの際に指先が肌に触れるか触れないかの軽いタッチで秒速
個人的には、ほとんどの若者の失敗は許されるべきだと思っている。どんどん失敗すればいい。たとえ、大きな迷惑をかけたとしても、のちのち、大きな価値を社会に残せばいいとすら思っている。まあ、もちろん犯罪や道徳上許されないことは別だけど、ひたむきにがんばった結果なら、いいと思う。ミログの城口氏なんかは、たしかに大きな失敗だが、その経験を糧にまたチャレンジすればいい。 しかし、最近起きた2つの出来事は、許されないというか、復帰が難しいものになってしまった。青木大和氏と、みんなのウエディングである。 まず青木大和氏の場合。嘘をついてしまったものは、これからもずっと「嘘つき」とされてしまう。嘘つきというのは、ビジネスや政治活動をする上では、かなり致命的なのだ。嘘をついて騙して益を得ようとしたという人物という印象がついてしまう。これはダメージとしては大きすぎる。たとえ、どんな失敗をしたとしても、自分の名前
親元にいた頃、自分で洋服を買うという発想がなかった。 近所の、しまむらをさらにグレードダウンさせたような洋品店で母が買ってきた服を、何の恥かしみもなく着ていた。 で、大学進学と同時に親元を離れても、私のマインドセットは変わらなかった。 恐ろしい話だが、大学4年間プラス大学院2年、都合6年間『ママが買った服を着続けた』 さらに社会人になっても『ママが買った服を着続けている』 服なんて暑さ寒さがしのげれば十分じゃないかと思っているのだ。洞穴に住む原始人みたいな考えである。 服は破れるまで着る。肌着は1~3年くらいでダメになるから新しいのを時々買うが、他の服は買ったことがない。 しかし最近になって『ママの買った服』が次々と耐用年数を迎え始めたのだ。高度経済成長期に造ったインフラの現状に似ている。 困っている。 タイミングが悪い。今はカネが無いのだ。 諸事あってまとまった冊数の本を買わねばならず、
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