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「彼女」は奥まったところにただずんでいた。子供たちの声が僕の背中を走り抜けていく。誰も立ち止まらない。時の流れは残酷だ。30年前の彼女はアイドルだった。たくさんの人たちに囲まれていた。華やかで、世界の中心にいるようにみえたものだ。僕は親父の肩車から頭や肩越しに彼女を眺めた。彼女の名はインディラ。上野公園にいたメスの象。今は骨格標本となって博物館の展示コーナーにいる。インディラとの再会は偶然だった。たまたま友人たちと訪れた博物館でひとりはぐれ、目の前にあった案内をみて巨大な骨格標本が、あのインディラだと気がついた。骨格だけになったインディラはあの長い鼻こそ失われていたけれど、遠くから眺めたときよりもずっと巨大に見えた。そう感じたのは、インディラよりも親父の力強さ、肩車していた親父の肉感が印象強く残っているからかもしれない。親父はインディラをさして「俺とあの象はだいたい同じ齢だ」と言っていた。
今日、押尾学見たワラ ブンブンが「あれ押尾学じゃね?」とか言ったから見てみたらホントに押尾学だったワラ 病院の下で作業着みてぇなの着て台車押してやがったんだけど、その顔が超不機嫌な顔だった ナナが「超険しい顔してんだけど押尾学ww」とか言うから更にウケたワラ 赤田が「でも何か違うかも」とか言い出したんだけど、リカが「絶対本物だよ、見てほら」って言って指さしたら、すれ違った二人組も振り返って「今の押尾学?」みてぇなリアクションしてた 確定だって思ったから「行くぞ」って号令かけて全員で走って追いかけた 押尾の野郎が病院ん中入ってったからアタシらも病院入ったんだけどもう居なくて、看護婦の女に 「今、台車押してたヤツって押尾学だよね?」って聞いたら訳わかんねーこと言ってきた そのあと騒がしいからって理由でアタシら全員追い出されたんだけど別にいい また明日行くしね せっかくだから明日は、えりぽんとか
うちの娘はもう9歳(2009年当時)なので、トイレは自分でちゃんと出来るようになったが、まだオムツをしていた5歳くらいの頃は、それはもう大変な日々だった。 乳幼児というのは、みんなそういうもんなのか知らないが、とにかく常に便秘気味で、3日に1回ぐらいしか大便が出ない。しかもカチカチになっているので、その度にひどい難産を強いられていたのだ。 5歳というと、ちょうどトイレ・トレーニングをはじめた時期で、昼間はオムツを外して生活していた。幸い、オシッコはすぐにひとりで出来るようになったのだが、ウンチだけはまだ便座に座ってリキむ、という行為に慣れなかったためか、どうしてもトイレでは出来なかった。 だから、便意を催すと自分でオムツに履き替えて、誰もいない部屋の隅にいき、壁に手をつき「ふン!ぬぅ……」ってな感じでリキんでいたのだ。 あるとき、一緒に積み木で遊んでいたところ、突然「おとうさん、あっち行っ
クマ出没増加のニュースが広まっています。各地で捕殺されたツキノワグマは2010年のみで2,000頭を上回り、「かわいそう」「殺さないで」「残酷だ」などの声もあちらこちらで耳にします。実際、クマを殺処分した自治体や猟友会に「なぜ殺した」「麻酔銃を使えばよかったのでは」などと抗議が相次いでいるとのことです。 人間の生活空間に現れたクマは、人間に直接危害を加えない限り、殺さずに放獣するのが理想であるとは思いますが、そうもいかないのが現実のようです。なぜでしょう? その理由のひとつに、人間にとって、クマは恐ろしい生物であることが挙げられます。 本エントリでは、僕がクマと遭遇したときに感じたこと、そして生活の中でツキノワグマの恐怖に晒されている方の手記を紹介します。エントリの趣旨は、 かわいいクマは、人間にとって恐ろしい生き物でもあるということ。 日常的に、クマの被害に怯えて生活している方が現実にい
敬愛するブログ「平民新聞」の平民金子さんと会った。書きたいことが有りすぎて上手く整理できないけれど、拙いながら書いてみようと思う。 初めて平民新聞を読んだのは2008年1月21日のことだった。はてなブックマークの新着記事から見つけた、「エノキ炒め」という記事に衝撃を受けたのを覚えている。ブログには何を書いても自由なのだと目が覚める思いだった。ブログの更新を毎日追いかけるようになり、「猫と私」、「カレーの一生」、「残雪遊覧日記」といった素敵な記事を立て続けに読んだ。いずれも僕にとっては写真やブログについての考え方を覆すものだった。 当時の僕は少なからず平民さんと似通った生活をしていて、料理にはカセットコンロを使い、風呂の無いアパートに暮らしていた(今も住んでる)。こういう生活している人は僕のほかにいるんだろうかと閉塞感を持っていたときに、平民新聞を知って、世界が一挙に広がったように思われた。
相談者 女子高生 10代 10代の女子高生です。 父の休日は食べる、寝る、テレビの繰り返し。他のことは何ひとつやりません。仕事は自営業で、「忙し い」と言う時期もありますが、一日中テレビがついているようで、ちゃんと仕事しているのか不審です。最 近は夜遅くまでケータイをいじっており、50歳にしてケータイ依存症で、意味がわかりません。 私は物心ついたときから父が嫌いで、母には「お父さんみたいにならないように」と、育てられてきまし た。幼い頃、2月の公園の噴水で私が遊びたがるからと父が遊ばせ、私は肺炎で入院したことがあります。 父への感謝の気持ちはこれっぽっちもありません。老後の面倒を見る気はなく、のたれ死ねばいいと思いま す。お父さんと仲がいい友達がとてもうらやましいです。父を好きに……なろうとしても、いいところなんて ひとつもないし、子供に無関心ですべて母に任せきり。最近は通知表も父には見せ
前回(id:Delete_All:20100826#1282797394) のつづき。行方不明になっていた上司が出社した。入院を理由に休み続け、病院名も教えず診断書も出さなかった部長だ。休んだ理由だけは覚えていたらしく、出社するなり、誰もきいていないのに右の脇腹を右手で押さえながら「傷口ンが…体力ンがまだン回復ンしてンねえ」と仏語調に呟いた部長の頭髪は、最前部こそ、油と皮脂で固めて巨大ダムを想わせる黒い壁を築き、その逞しさたるや、部長健在を誇示するかの如くであったが、全体的にはバーコードと呼ぶにはたいへんに心許なく、ダムに沈む過疎村の上空をまばらに走る送電線のように寂しげで、周囲に「老いられたな…部長…」と思わせた。 部長は菓子折りを小脇に抱え、「迷惑をかけたな…お菓子のホームラン王ナボナを持参して社長に報告に行かねば…」といってから社長室へ向かっていった。声が小さく弱々しいのが、すこしだ
思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
ねじお君・・・オモコロのツイッター特集を読んでツイッターを始めたんだ。 まゆ毛がない以外は至ってふつうの男の子だよ。 ツイッターはかせ・・・日夜ツイッターを研究してる偉い人だよ。 フォロワーは数万人いるんだって。まゆ毛はないよ。 とげおくん・・・全身とげだらけの緑色の男の子だけど今回は関係ないよ。 ラスク・・・フランスパンの輪切りを甘く調理したお菓子で、さっくりとした食感が特徴だよ。 ——————————————————— Twitterを始めて半年になろうとしているねじ男くん。 でも彼には最近悩みがあるみたい。 ——————————————————— はあ・・・ツイッターを始めてからずいぶんたつけど なかなかフォロワーが増えないなあ。 頑張ってつぶやいても誰も反応してくれないし、何のために やってるのか分からなくなってきちゃった・・・ はっはっは。悩んでるみたいだねねじ男くん。 お、おじ
わりとクソな会社で働いているなかで、唯一やりがいのある仕事だと感じている仕事、胸を張れる仕事がお年寄りや障害をもつ方に食事を提供するビジネスで、あまり利益をもたらすビジネスではないせいか、忌々しい部長は、「あんな陰気な商売」「たいして儲からない」と、ことあるごとに文句をいっているのだけど、昨日、営業で同行した、とある施設で、お年寄り向けに食べやすく加工調理した食品を施設側の人に試食してもらう際に「こんなゲロみたいなもの、俺は食べられない」と言い放ったのには、本気で頭にきた。 それほど大きな声ではなかったが狭い部屋で試食していたのでその場に居合わせた人の耳には届いたはずだ。相手の人も、聞こえないふりをしてくれたけれど、明らかに、一瞬目を見開いていた。部長は問題のある人間だとは思っていたけれど、それは幼稚っぽさからくるもので根っこの部分は腐っていない人間だと僕はどこかで信じていたので、今回の裏
末っ子は,自他共に認めるカメ・ファン。学校の工作でも何やらいろいろ先生に解説しながら,各種カメを作っているので,カメ博士の称号を貰っているらしい。学校の蓮池にも捨てるに捨てられなくなったミシシッピアカミミガメが居るが,ワカメとかやってちょくちょく世話をしている模様。外来種問題でややこしくなるし,ともかく巨大になる,クサガメも室内で飼うには匂いが強力なので,そういったのはちょっと止めようかといいきかせていたが,カメ熱はどんどん上がるので,まあ,イシガメをちゃんと飼おうと言うことで納得させた。只,狭い家の中,飼うスペースはない。 で,諦めて父親としては,ちょっと思いついたカメ・トープを猫の額ガーデンの真ん中に製作。まあ,見たとおり,コンクリ捏ねる舟を使っただけ。中心部にはもう一寸アクアテラリウムっぽく何か生やそうと思っている。総工費3,500円。60cm水槽より安い。亀が逃げ出さないようにして
まずはこれを観てもらいたい。飛ばさないで全部観てほしい。 どうです、ぐっときたでしょう。感動したでしょう。スタイリッシュな映像にしびれたでしょう。 これらはすべて80年代のコカ・コーラのCMで、当時のイケイケ広告業界の底力が炸裂した素晴らしい作品群である。本当によくできていると思うし、プロダクション・バリューといいトータルのクオリティといい「シズル感」(笑)といい申し分が無い。CMとしては満点に近い出来栄えだ。嫌味ではなく、こういうCMを作った人たちをぼくはリスペクトする。よくぞ、ここまで嘘をつきました。本当は何の心もこもっていない映像で、インチキの「感動」を演出する手腕は実にたいしたものだ。パッと見の「良さげさ」以外、ここには何もない。そしてそれは圧倒的に正しい。これは「コカ・コーラ」を、本来「コカ・コーラ」とは何の関係もない「良さげ」なイメージと結びつけて、「なんとなく、コカ・コーラは
兄が急逝した。今日、これから親族だけの密葬をする。 二日前、会社で仕事をしているところに、「お義兄さんが倒れた」と僕の奥さんから電話がはいった。僕の家は実家から徒歩1分の距離にある。 兄が倒れたと聞いても、正直、このときは「またか」と思った。兄は前にも救急車騒ぎを起こしたことがある。 父と喧嘩して、睡眠薬を大量に飲んだと思い込んだ母親が救急車を呼んだが、結局、適量飲んだだけで何の問題もなかった。兄は歩いて帰ってきた。 しばらくすると、2回目の電話があった。「脳出血」だという。 それはまずい、と思っていると今度は病院につきそった母から電話で「今すぐこれないか」という。 慌てて会社を早退して、病院へ向かうが、思ったより動転していて逆方向の電車に乗ってしまった。慌てて渋谷で降りて五反田経由で旗の台の昭和医大に行った。 救急救命センターの入り口で母と合流した。「あとで、もう一度お医者さんから説明が
研究でも、起業でも、社内での新しいプロジェクトでも、新規サービスでも、 何か新しいことを始めようとすると、外野から何かとケチがついたりする。 例えば、私が例の修士論文を書き始めた頃は、MITの先生とかは面白いと肩押ししてくれたのだが、 中には「それ、何が新しいの?そんなの10年前から言われてるよ。やる意味あるの?」と言ってくる学生もいた。 ボストンのような学術の街でもこうなんだな、というのは少し驚きだった。 私が書いたのは、コンサルファームにいるとかで、業界全体を色んな角度から良く見ているひとなら、 一度は考えたことがあるかもしれない、良く見られる業界の現象だった。 しかし、現状ではその現象に名前も付いてないし、メカニズムもちゃんと解明されてないので、ちゃんと研究する意味があると私は思ったわけだ。 で、取り組んだ結果、その分野の最先端にいる何人かの先生に、これは面白いから、修論で終わらせず
よく犬と骨ってセットみたいな感じでロゴになってたりしますけど。 犬のおもちゃにも、骨の形をしてるものや、骨のかたちにわざわざ作ったガムなんかもある。 あれ、犬としてはどう思ってるんだろう、とよく考える。 犬って、骨があればまあ骨ずっとかじってますけど、肉つきの骨ならそっちのほうが良いと思うよ? っていうか、骨と肉を置いたら、確実に肉行くじゃん。 なんだろ、肉をあげずに骨をあげてるのは人間で、それをかじってたら、なんか人間に骨好きと思われてしまった。 すっげえショック。俺なら次の日からおすわりって言われたら体育座りする。まあそれはそれでなんか動画サイトを賑わしてしまいそうだけども。 ふと昔居た会社のことを思い出した。 そのビルには、マズい食堂みたいのがあったんだけど、唯一許せたのがうどんだったので、うどんを結構食べてたら、周りからうどんのヤスノリ、みたいな感じで呼ばれるようになった。 いや、
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