星野源が今年全国ツアーをやるらしい。当然、今住んでいる札幌にも来る予定らしい。どうしても行きたい。 だが、ひとつ問題があるんですよ…ツイッター眺めてたらよぉ…なんか知らん女のツイートでよぉ… 「星野源のライブに行ったんだけど、女が連れてる男がもれなく星野源みたいな男だった」 はぁぁぁぁあぁああああ〜〜〜〜〜〜!!!??な、納得いかねぇ〜〜 俺の顔面はもろ星野源タイプの人間で、大きな括りで塩顔かしょうゆ顔かで言ったら塩顔、ヤン坊マー坊で言ったらマー坊、ほ乳類か爬虫類かで言ったら爬虫類。 だからどうせ星野源のライブ行ったら、 「あ〜こいつも地味目の男が星野源に憧れてちょっとオシャレ頑張っちゃったパターンね乙」 とか思われるんだろうが。冗談じゃねぇ…1ミリも憧れてねぇ… 俺はあんなパーツ付いてんだか付いてないんだかわからねぇ1分で描けそうなウッスゥ〜〜〜い顔よりも石黒賢みたいな目鼻立ちのはっきり
この記事は約45分で読めます 『ジャッキー・チェンの映画に登場したあの人達は今…』というまとめを作ったときに痛感したのですが、中国人名の日本語表記というのは非常にややこしいです。何がややこしいのかというと、向こうの人名には読み方の候補が数種類あって、日本でそれをどう読むかというルールが統一されていないので、表記ゆれが頻繁に起こるのです。 名前の読み方が統一されない原因は中国サイド・日本サイドの両方にあり、その内容はおおまかに言うと次のとおりです。 (※下の説明はつまらないので、つまらないのが嫌いな方はジャッキーの写真の辺りまでスクロールして下さい) 中国サイドの事情 中国人は世界中にいる同じ字でも北京語と広東語では読みが違う英語名を持つ人がいる →読み方が統一されない 日本サイドの事情全てを音読みするわけにはいかない中国語をカタカナに置き換えるのは難しい日本人が間違えたり勝手に変えたりしち
イケダハヤトさん、以前「ゴーストライターがいるのは恥ではない」(リンク先はキャッシュ)というエントリーを書いており、次のように仰ってました。 ぼくの本、半分くらい編集者が書いてますよ 第三者の手を借りることは悪でもなんでもないと考えると、別段話は難しい問題ではなく、単純に「他人の手を借りて制作した場合は、そのことを開示する」というルールを遵守すればいいだけです。エンドロールでずらずらと関係者の名前が並ぶ映画やゲームを想像していただけるといいでしょう。 ぼくはかなり積極的に、「自分の本は編集者の手が入っており、作品によっては半分近く編集者が書いている」ということを開示しているつもりです。電子書籍「ブログエイジ」は共著者として編集者をどどーんと掲載しています。 共著と言ったら聞こえは良いですが、これ、イケダハヤト氏の文章があまりにも酷いので、編集者が人前にだせるように想像を絶する大量の赤が入っ
ナイチンゲールについて、書く、書くといいながら、ずっと先送りになってきた。 その理由のひとつは、これを機会にいろいろ調べる必要があることが連鎖反応的に出てきたからである。 結局、公衆衛生学の歴史から細菌学黎明期の歴史までいろいろ調べる必要が出てきた。 しかしの記事は、その「前編」として、スモール著「ナイチンゲールの神話と真実」(田中京子訳 みすず書房)のおおよその紹介としたい。 「後編」は、ナイチンゲール自身の「看護覚え書き」の時代的限界と、それにもかかわらず今日にも通じる、公衆衛生学、細菌学、薬との兼ね合いの問題について述べる予定である。 ナイチンゲールがクリミア戦争(1854-6)に従軍して、コンスタンチノープル近郊のスカタリ(スクタリ)の病院で、史上初の「修道女ではない看護婦の一団」を統率し、クリミア半島の最前線から次々送られてくる数多くの傷病兵を看護したことは、戦争中からイギリス本
3日前に下記のような記事を出しましたが、4/1の開講を前に、撤退することをはあちゅう氏と合意の上で決定しました。始める前に撤退という、我ながらすごい判断… ・スパルタWEB編集塾を3ヶ月限定サロンではあちゅう氏と始めます 応募はそれなりの数をいただいたのですが、最大の理由は、このサロンを通して僕の一番の目的であった「東カレWEBの編集者候補」の採用が極めて難しいと判断したためです。応募者の一覧から見てそう感じました。想定外に地方の方なども多数いらっしゃり、オフラインとオンラインが混在した形式が適切なのかという疑問も。 一人でも多くの光るWEB編集者を生み出す一助を担いたいという気持ちはあったものの、あくまでビジネス的な目的を果たすことをが第一であり、その目的が今回果たせない可能性が極めて高いと判断したためです。今回の僕にとってのビジネス的な目的とは収益ではないため、受講希望者がいても、塾と
僕のマンガ家デビューは1979年、第12回「週刊少年チャンピオン新人まんが賞」の佳作に入ったのがきっかけで、その年の暮れには最初の週刊連載が始まった。 そして小山田いくが同じ賞の佳作に入ったのは、同じ79年の第13回(同賞は1年に2度募集があり、僕が上期、彼が下期にあたる)。翌年から『すくらっぷ・ブック』の連載が始まった。 かように同賞はなかなか受賞作が出ないまま、佳作に入った応募者を次々にデビューさせていたので「秋田書店は賞金を払いたくないだけじゃないか」と陰でささやかれていた。真相はわからない。 それはともかく、同時期の同雑誌デビュー、歳もほぼ同じ(小山田氏のほうが一歳年上)とあっては、いやがおうにも意識せざるをえない存在ではあった。 しかしそれは、ライバル視、というのとはちょっと違っていた。 僕はギャグマンガを志向しており、小山田いくの描くマンガはキャラクターこそ2頭身から3頭身とギ
蒼樹うめ、漫画家デビュー秘話を語る 「小2で興味、中3で同人誌」「無謀に美大、落選どころか…就活で開眼」 19日から初凱旋展「落書き即興、破壊…」 アニメ化もされた連載漫画「ひだまりスケッチ」やアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」のキャラクター原案などを手掛ける人気の女性漫画家、蒼樹うめさんの原画や未公開の設定画などを集めた「蒼樹うめ展in大阪」が19日、大阪市港区の大阪文化館・天保山で開幕する。昨年10月、東京・上野の森美術館で開かれた初個展に続き、兵庫出身の蒼樹さんにとって故郷での凱旋(がいせん)となる関西初の個展。「東京での初個展を踏まえ、さらに充実した内容にしたい」と意欲を見せ、最終準備に余念のない蒼樹さんに個展の見どころ、そして漫画家デビュー秘話などを聞いた。 (戸津井康之) ■創作の原点が集結 現在も漫画誌で連載中の4コマ漫画「ひだまりスケッチ」の原稿や、アイデアを書き込んだ創
もえのあずき。 テレビの大食い番組で彼女の小気味いい食べっぷりに感嘆した人も多いはず。テレビ東京の『元祖! 大食い王決定戦 新爆食女王襲名戦』にて優勝、第五代目爆食女王となり、一躍大食い界に躍り出たシンデレラガールです。 彼女が所属するアイドルグループ「バクステ外神田一丁目」のステージ常設カフェである「AKIHABARAバックステージpass」は秋葉原のいい立地にあるのですが、ワンブロック隣に「ごはん処あだち」があります。普通の定食もおいしいけど、常軌を逸した大盛りで有名な昔ながらの定食屋です。 大食い女王「もえあず」のインタビュー場所としては最適な場所です。今回はおいしい定食をゆっくり食べてもらいながらお話をうかがう予定なんです。 「あだち」の定食のなにがヤバいかって、一升メシが「普通盛り」なんですよ。 そして「あだち」の大将に言われるがままにその普通盛り、つまり一升メシを普通にチョイス
1 話題になった増田記事 http://anond.hatelabo.jp/20160218185410 ■石ノ森章太郎って漫画界にとってどれ程の存在なんだろう あの人の漫画でうわーすげー天才だーと思った事がないんだよ でも存在感は結構ある、手塚や藤子には劣るけど 安定して面白いってくらいで自分の中では浦沢程度の存在なんだが 作品以上に漫画家の存在感がでかいなーと思うのはあさきゆめみしの大和とかもいる それへのブクマコメントとして以下書いた。 http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160218185410 石森はトキワ荘最大の俊才で、後世に多大な影響を与えたが、後世にスタンダードになった事例が多く、2016年時点では功績がかえって目立たない。が、たとえば24年組は石森がいなければ登場しなかった。 / “石ノ森章太郎って漫画界にとっ…
プロデューサーの皆様へ ディレ1という名前で、10年間、「アイドルマスター」の総合ディレクターを勤めさせて頂いておりました石原です。 突然のご報告となりますが、石原は2016年1月31日をもちまして、株式会社バンダイナムコエンターテインメントを離れさせて頂きました。 10年前のアーケード版リリース以来、常に新しいことを求め続け、前だけを見て走り続けることで、「アイドルマスター」は大きくなって参りました。 その過程で、石原はたくさんのことを経験させて頂き、多くの関係各社の皆様、そして何よりもプロデューサーの皆様には、とても多くのご迷惑をかけて参りましたが、本当にとても楽しい時間を過ごすことも出来ました。 プロデューサーをされている全ての皆様。 「アイドルマスター」にも、石原個人にも、たくさんの応援を下さいまして、本当にありがとうございました。 「アイドルマスター」総合ディレクターとして、皆様
2014年に「熱血画道40周年」を迎え、原画展の開催や劇場作品の総監督など多彩な活動を展開した車田正美先生。その「ファイナル企画」として2015年に『週刊少年チャンピオン』誌上で、自身初の自伝となる『藍の時代-一期一会-』を発表。同年12月、単行本となって発売された。自伝ではあるが、内容は「車田イズム」全開の車田ワールド。この「超自伝」と銘打たれた作品は、一体どのようにして生まれたのか。車田先生に直接伺ってみた。 【プロフィール】 1974年『週刊少年ジャンプ』にて『スケ番あらし』でデビュー。以後『リングにかけろ』『聖闘士星矢』『ビートエックス』など、数々の人気作品を世に送り出し、少年漫画界に確固たる地位を築く。アニメ化された作品は日本だけでなく世界各国で放送され、熱狂的なファンは世界中に存在。熱い男たちの生き様を描く「車田イズム」を全面に打ち出すその作風は、ド派手な擬音や演出と相まって、
この日記をマメに読んでいる方なら、マタニティ・ハイになって、子供に「恋獅子(れんじしし)」君や、「黒皇帝(ぶらっくぷりんす)」といったDQNネームを付ける未来のママン・エピソードは、よくご存じだと思います。 車を運転している人間は、誰しも交通事故にあう危険性があるよう、命名・ネーミングの際に「やらかしちゃう」ことがある。もし、そんな過ちを犯そうとする人がいたら全力で止めるのが、人としての優しさでしょう。 で、で、Deathよ。 最近、大学生たちが、ブログ儲けてイケイケでウェーイ!な方々が、 「ブロガーって、響きがださいから、メディアクリエイターって名乗ろうぜ!」 という動きがあったんですよ、奥さん! 事件ですよ、姐さん!! www.issey-98.com ブロガーって単語が、ダサいのはわかります。私も「ブログ」って言葉も使っていますが、未だに違和感があるので、「日記」の方がしっくりとき
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