高瀬一誌(たかせ・かずし)は1929年生まれ、2001年没。東京経済大学卒。「をだまき」にて中河幹子、「短歌人」にて小宮良太郎に師事し、「短歌人」編集、発行人などを歴任した。製薬会社の広告部や、「短歌現代」の編集部に勤めていたこともある。 高瀬は戦後短歌史のなかでも最も異彩を放つ歌人の一人である。まず五七五七七の定型に収まっている歌が少ない。いずれかの句が脱落している傾向が強い。しかし自由律という感じでもない。あくまで「欠落した定型」という印象だ。「どこか大事な部分が抜け落ちている」というのが文体的にも内容的にも重要な感覚なのだ。 よく手を使う天気予報の男から雪が降りはじめたり ワープロからアアアの文字つづけばふたりして森閑とせり ホトケの高瀬さんと言われしがよくみればざらざらでござる 歯車でも螺子でもいいがオスメスのちがいはかんたんならず 十冊で百五十円也赤川次郎の本が雨につよいことがわ