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その他のはてなブックマーク、トラックバックに対する回答として、簡単に。 反ムスリム・プロパガンダは移民差別の問題。宗教の問題=天皇制批判はどうした、ととらえるのは完全にずれている。日本の問題に置き換えるなら、嫌韓問題に近い。幸いにしてそうではない訳だが、もし朝鮮半島や中国大陸の人間が何か特定の宗教を信仰していた場合、所謂嫌韓厨はその宗教を最大限に腐し、在日韓国人・朝鮮人は、嫌韓厨の用語を使うなら当然「ファビョる」だろう。そしてその「ファビョン」は無神論を信奉する日本の嫌韓厨にとっては彼らを貶め嘲笑し罵倒する絶好のネタとなる。もしヨーロッパの主要各国におけるムスリム人口と同じくらいの在日朝鮮人・韓国人人口を抱えていた場合、こうしたヘイトスピーチは今とは比べ物にならないくらいの社会的緊張を齎す。そういう状況をリアルに想像することができないなら、この問題について議論する資格はない。 天皇制につい
なるほど、大分すっきりわかってきました。 「雉も鳴かずば」がそういう意味だとすれば、私の回答はこうなります 1. 雉は鳴くものです。鳴かなければ雉はそもそも存在しない。 2. 鳴いた雉が撃たれることは当然阻止しなければなりません。 3. しかし、雉を撃つな、が、差別を受けているマイノリティ(この言葉は嫌いですが)に対する差別的プロパガンダに利用されている場合、一緒に声を上げるのは御免です。 1. については後述します。2. は当然な話です。問題は3.でしょう。 五十嵐氏の事件を引き合いに出すことは、やや不穏当だと思われます。何か裏情報をご存知なのかもしれませんが、少なくとも私は誰が何故やったのかの確定情報を持ってはおりません。その状況で特定の人々を犯人として名指し、雉を撃つなと声を上げることには、躊躇せざるを得ません。五十嵐氏の事件が反ムスリム・プロパガンダに利用されるのは、訳出の意図を考
エロゲ規制で女叩いてるヤツちょっと来いでいただいた id:NaokiTakahashiさんのコメントに対する返答です。 うーん、しかし、たとえば日本ユニセフ協会の言うことにそれなりの正当性を与えているのは、やっぱりマッキノンの提唱したような概念じゃないの?(集団としての女性の人権侵害ってやつ) 俺は誤解してました。日本ユニセフ協会は、リベラルな理屈を理解してないわけじゃない。目的のためなら無視できると考えてるだけだ。それを正当化しているのが、マッキノンの言うような理論では? 名目ではなく、大義名分であり思想的な基盤だと思う。ただ利用されただけとは言えない立場じゃないかな。 ラディカルフェミニズムの主流かどうかは知らんけど、影響力は強いんだなあと、地下猫さんと話してて再認識した。 (コメントの流れは元エントリで) 的外れ または何を今更な 回答だったら申し訳ないのですが… 私は(法)規制など
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090602/p1#c id:rna さんがいったいなぜこんなことを考えたのか、正直はかりかねている。 仮にこれが「学問の自由」の問題で、南京事件の研究は禁止とかいう話があったとして、歴史学者が「自分の仕事とエロゲー規制なら正直自分の仕事の方が大事」って言ったら Apeman さんは「稼ぎが問題なら上海事変の研究、あるいは近代史以外の研究への助成などが例えば解決策たりうるわけです」なんて言わないでしょう? 「自分の仕事とエロゲー規制なら正直自分の仕事の方が大事」って、そんなことことさら言ったら批判されて当然じゃないかな(当人が「エロゲーは規制されて当然」と思ってるならまたはなしは違ってくるけど、そう思ってる人間ならこういう言い方はしないよね)。第一に、「自分の仕事」の大切さを言明するのに「エロゲー規制」への無関心
思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。
フランス・アングレーム(Angouleme)開催された野外ロックフェスティバル「Garden Nef Party」に出演し、パフォーマンスを披露する米ロック歌手のイギー・ポップ(Iggy Pop、2008年7月19日撮影)。(c)AFP/PIERRE ANDRIEU 【6月7日 AFP】「文学はコカイン、音楽はヘロインみたいなもんだ。文学は心を研ぎ澄ますが、音楽は愚かにするもんだ」--こう笑いながら、「死とセックス」をめぐるフランス小説にインスピレーションを受けたと新作について語ったのは、パンク・ミュージックのゴッドファーザー、イギー・ポップ(Iggy Pop)だ。今年62歳、相変わらずのトレードマークの長髪だ。 5月末にリリースされたアルバムは、フランス人作家ミシェル・ ウエルベック(Michel Houellebecq)の小説『ある島の可能性(The Possibility of an
私の書いた拙い文章に、早速反応をいただき光栄の至りです。私も松本さんの文を読ませていただき、それに思うところがありますので記したいと思います。 松本さんの反対意見の中で、最も大きなポイントとなるのが、 1. 殺人も、強姦も陵辱も、行為としては許されず、全て犯罪となる。 2. 人間は、幻想や妄想の世界では、何を考えても自由で、何人もそれには介入できない。 3. しかし、そのような考えを表現することに関しては、「許されること」と「許されないこと」があり、その社会的影響が、「何が許され、何が許されないか」の判断基準となる。 この3項目でしょう。特に3.について私なりの考えを述べます。 松本さんがおっしゃる『表現することに関しては、「許されること」と「許されないこと」があり』ということに関しては、私も同意するところです。少なくとも特定の個人を侮辱したり、「死ねばいいのに」などという類の発言をしたり
傍観者 『ラーメン発見伝』というまんがに、「ニューウェーブなんかダメだ、昔ながらの普通のラーメンがいいんだよ」という意見が題材になった回がある。「そんなこと抜かす奴はたいてい、週に何度もラーメンを食べ歩くようなラーメン好きではなく、そんな奴の言うことを聞いて『普通のラーメン』で店を開いても先は暗い」という話だった。 『レイプレイ』事件で「規制派は黙れ頭かち割るぞ」と叫んでいる連中のほとんどは、「ニューウェーブなんかダメだ、昔ながらの普通のラーメンがいいんだよ」と抜かす奴と同じだろう。いったい連中の部屋には陵辱物が何本積んであるのか。98%以上の割合で5本未満、と断言する。(ここで2%未満に分類される層が大変恐ろしい方々なのだが、どこでもこういう2%は避けがたい) エロゲーを5本以上積んだら、たとえそれがコンシューマ移植前提のタイトルばかりでも、地下生活が始まる。この方々は、陵辱物規制の話を
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