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北村さんの記事から「小泉改革と地方格差」というお題をいただいて、考えてみました。「構造改革で地方が疲弊した」というのは、よく聞かれる批判です。自民党の政治家が言っているのは、バラマキ公共事業が減ったという話で同情の余地はないのですが、地方が衰退していることは事実です。しかし農家への所得補償で「地方を元気にする」という民主党の政策は、新たなバラマキになるおそれが強い。 人口の都市集中を抑制する「国土の均衡ある発展」を国策に掲げたのは、1970年代の田中角栄以来の全国総合開発計画ですが、これによって日本の成長率が低下したという1970年体制論が、経済学では有力です。図のように1970年代以降、人口の都市集中が止まるのと並行して、実質成長率が低下しました。これは生産性の高い都市に労働人口が移ることによって人的資源が再配分される移動の経済性が失われたためです。 図でもわかるように、小泉政権の時代に
自民党総裁選では、谷垣禎一氏と西村康稔氏が「小泉改革が地方経済の疲弊や格差を生んだ」と批判する一方、河野太郎氏が小泉改革を継承する姿勢を打ち出し、争点が明確になってきました。谷垣氏と西村氏が「地方」を強調するのは、国会議員票より多い地方票を意識してのことでしょうが、はたして今までのように地方に補助金をばらまくことが「地方の重視」になるのでしょうか。 そもそも地域間の格差が拡大したのは、小泉政権が原因ではありません。前にも紹介した図のように、地方から都市への人口流入は戦後、一貫して続いています。90年代に地方の公共事業によってわずかながら逆流し、小泉政権が公共事業を減らしたため元に戻りました。これによって地方の土建業が苦しくなったことは事実でしょうが、無駄な公共事業をいつまでも続けることは不可能であり、これは戦後ずっと続いている長期トレンドに戻っただけです。 この人口の都市集中が都市と地方の
ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に、赤の女王というキャラクターが出てきます。この世界では、すべてがあべこべで、アリスが女王と一緒に走ってもまわりの風景は変わりません。アリスが驚いて「まあ、まるでずっとこの木の下にいたみたいだわ! なにもかももとのまま!」というと、女王はこう答えます。「ここでは同じ場所にとどまるだけで、もう必死で走らなきゃいけないんだよ。そしてどっかよそに行くつもりなら、せめてその倍の速さで走らないとね!」 このメタファーは有名で、生物学にも「赤の女王仮説」というのがありますが、ビジネスにも通じます。資本主義は、つねに新しいことを続けていないと競争に敗れる、赤の女王の世界なのです。これは実は、新古典派経済学が想定している市場経済とはまったく別の原理です。市場経済は古典力学的な均衡に向かう熱的な孤立系で、均衡状態では利潤はゼロになります。しかし利潤がゼロになったら、資本主
2010年05月16日15:20 カテゴリ経済 企業の「社会的責任」とは何か 最近のインフラ整備をめぐる議論で、私が「ソフトバンクの利益と国益を一緒にしないでほしい」と書いたら、「企業にも社会的責任(CSR)がある」という反論をいただいたので、この問題についての経済学の考え方を紹介しておこう。CSRを否定する議論として有名なのは、フリードマンのエッセイである。彼はこう書く:In a free-enterprise, private-property system, a corporate executive is an employee of the owners of the business. He has direct responsibility to his employers. [...] the corporate executive would be spending so
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