フリーターが語る渡り奉公人事情

ターミネイターにならないために--フリーターの本当の姿を知ってください!

反貧困運動@大阪

2007-08-25 22:34:28 | 現状
大阪で、野宿者・活動家への排除が行われました。これは大阪府警によるものです。

http://kamapat.seesaa.net/article/52668313.html

関東のほうでは、ある弁護士による呼びかけによって、反貧困運動が起こされています。これは、人権派弁護士によるものです。

中流のくらしをスタンダードとし、そこからの逸脱を「あってはならない」ものとする価値感において、両者は共通しています。
まあ、行政とか人権派弁護士の考えそうなことではあります。
こうした集団は、決して反六本木ヒルズ運動とか、貧困者の地位向上運動などという運動を起こすはずはない。それを無視するか、非難しつぶすかどちらかでしょう。


これらの貧困者の尊厳を尊重しない運動、貧困者の存在そのものを否認する運動に抵抗していきたいと考えるものであります。貧困者を尊重し、必ずしも貧困を道徳的な悪とみなさないで活動している人たちを、この種の反貧困活動家らは憎んでいます。

(実は東京の弁護士が提唱している反貧困運動には、わたしの所属しているグッドウィルユニオンも関わっています。それでも、個人として、貧困の価値を引き下げる排除的な運動には反対していきたいのです。
それは運動の主催者が大阪府警であっても人権派弁護士であっても、変わりません。)



図書館から借りた本

2007-08-19 21:57:54 | 映画&本
今回は京都府立図書館から労働関係の本を2冊借りました。

「定点観測 釜が崎 定点撮影が明らかにする街の変貌」
定点観測「釜が崎」刊行会 葉文館出版 凸版出版 1999.7
http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%9A%E7%82%B9%E8%A6%B3%E6%B8%AC-%E9%87%9C%E3%82%B1%E5%B4%8E%E2%80%95%E5%AE%9A%E7%82%B9%E6%92%AE%E5%BD%B1%E3%81%8C%E6%98%8E%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%99%E3%82%8B%E8%A1%97%E3%81%AE%E5%A4%89%E8%B2%8C-%E5%AE%9A%E7%82%B9%E8%A6%B3%E6%B8%AC%E3%80%8C%E9%87%9C%E3%82%B1%E5%B4%8E%E3%80%8D%E5%88%8A%E8%A1%8C%E4%BC%9A/dp/489716088X/ref=sr_1_1/503-4922635-1997557?ie=UTF8&s=books&qid=1187529863&sr=8-1

「偏見から共生へ 名古屋発ホームレス問題を考える」藤井克彦・田巻松雄著 風媒社2003.4
http://www.amazon.co.jp/%E5%81%8F%E8%A6%8B%E3%81%8B%E3%82%89%E5%85%B1%E7%94%9F%E3%81%B8%E2%80%95%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E7%99%BA%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AC%E3%82%B9%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B-%E8%97%A4%E4%BA%95-%E5%85%8B%E5%BD%A6/dp/4833110598/ref=sr_1_1/503-4922635-1997557?ie=UTF8&s=books&qid=1187529944&sr=8-1

一冊目は1930年代と1990年代の釜が崎の同じエリアを撮影したものを、見開き2ページで比較検討できるつくりの写真集。
経済成長・進歩によって貧困・格差の問題は解決できる、とするアダム・スミス流のトリクルダウン・エフェクトを疑いたければ、まずこの写真集をおすすめしたい。

ところで、印刷所の凸版出版というのは、かつてわたしがグッドウィルから派遣された会社だ。ハガキ製造の仕事だった。ベルトコンベアを流れるハガキの塊がまるで豆腐のように見えて、ベルトコンベア酔いを起こした。また、社員食堂の利用が派遣アルバイトらには認められず、コンビニで購入したカップラーメン等を食べることになった。
せっかく貧困問題に取り組む写真集をつくるのなら、もう少しマシな非正規雇用従業員への取り扱いをする企業を選んでほしかった。


二冊目は、名古屋で長年日雇い労働者・野宿者らへの支援活動をしてきている活動家による報告と問題提起。
実は以前、予備校の関係で名古屋に住んでいた。そのおり、予備校で名古屋駅西口の笹島という日雇い労働者の街で医療相談等のボランティアをしている看護士(当時は看護婦)さんをゲストに招いてお話をうかがったことがあった。
その後、この著者のひとり藤井克彦さんも予備校にお見えになり、炊き出しや医療相談、それにヤクザとのにらみあいについてもお話していただいた。
さらに、そのあと個人の選択により自主的に医療相談や炊き出しの手伝いに行っている時期があった。
図書館でこの本を見て、そのころの記憶がよみがえった。

正規の雇用・福祉・保障の中から排除されつづけている日雇い・野宿の人々が、いかに社会全般から「あってはならないもの」とされ、怠けや物好きだと非難され、その存在を粗末に扱われているかを本書は知らせてくれる。
支援をする側の偏見や同情という問題にも正面からとりくんでいる。
とりわけ、ホームレスに対するまなざしがもっと寛大なものであったほうがいいとの問題提起は貴重。p303-306の小見出しを記しておこう。
「自立の意思のない人を切り捨ててよいのか」
「『野宿者をなくす』という発想の問題点」
「『社会復帰』でいいのか」
一部の労働組合も、なぜか「反貧困運動」に走ったりする前に、こういった論点(特に2番目)を考え直したほうがいいと思う。

困難な環境、栄養不足等によってヤル気のなえた状態の人を切り捨ててよいのか。
野宿を絶対悪とみなすことによって、息苦しい窮屈な社会を作ってしまう。
また、本人の尊厳を尊重しないでシェルターに「入れてあげる」、それはいいことだ、決して人権問題ではないという議会での発言もある。施策があるから野宿するなというより強い排除を、「野宿者をなくす」という好意的な発想が作り上げる危険性もある。
社会復帰というときに、今の主流社会のあり方が絶対なのだろうかと問い直す。

そうした視点が多分弱いから、反六本木ヒルズ運動ではなく、貧困者の権利運動でもなく、反貧困運動なんていう社会運動に乗ってしまうのではないだろうか?
反貧困運動によって、「これほど貧困に反対しているんだから、貧困者の排除はOK」ということになって、失業者が収容所のようなところに強制的に入れられたり、安いアパートや銭湯のとりこわしも許容されたり、ストリートカルチャーにこれまで以上の規制がかかったりすることを、反貧困運動側は望むのだろうか?
反貧困運動にもいろいろな団体・個人が関わっている以上、反貧困という言葉の解釈も多様なのだろう。
それにしても、なぜ反閨閥でもなく、反六本木ヒルズでもなく反貧困なのか。
貧困者が自ら貧困を差別する運動など、前代未聞だし、かえって六本木ヒルズ族の思う壺なんじゃないかとも思うのだけれど…。自分たちの生き方・価値観をまったく問い直さずにすむ反貧困運動という社会運動は、本当に分からない。
この著者たちがやっているのは、少なくとも反貧困運動ではない。100%それをなくすことができないのなら、貧困があることを前提として貧困とつきあう技術を探る試みである。
日々地道にボランティア活動に励む著者らの姿は、明らかに貧困者の権利擁護運動であり、反六本木ヒルズの価値観を示している。
そういう意味で、上質の本である。





すぐれた書評

2007-08-18 21:58:24 | 映画&本
ユニークなブログ「考える書評集」http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-842.htmlのうえしんさんが、「日本残酷物語5」という本の書評を書いていらっしゃる。
近年まれに見る優れた書評だと思ったので、紹介しておきたい。

学校が青少年を社会的に隔離すること、それによって見えなくなってしまった学びの世界を自覚しながら読書をすることの、なんと冷静で利口なことか!
学校=社会というムリな図式をもとに青少年論を展開するインテリは、こうした情報から学ぶべきだ。
一度も「入院」先(大学院の隠語、らしい)から社会復帰した経験のない学者が、青少年の社会との関わりについて論じるという天につばする行為は、この種の情報のもと、滑稽であることが浮き彫りにされる。

歴史というと、どうしても上流・上層の記録が中心となりがちだ。
そのなかで、こうした情報は傾き是正のためにも重要。

反貧困運動などという危なっかしい社会運動に関わる人たちも、自分たちの先祖が決してみな中産階級以上ではなかったことを確かめるためにも、こういった情報に触れていただければ、と思わずにはいられない。
貧困者がみずから貧困や貧困者を貶めるような社会運動に手を貸すことがあっては、大変残念なことだと考えるものである。




反米嫌日戦線とタカマサさんへのトラックバック

2007-08-18 20:17:01 | 現状
この記事は反米嫌日戦線「狼」(アカにサヨおなら)http://anarchist.seesaa.net/article/51516148.html「派遣労働者に広がる外国人労働者への恐怖感」へのトラックバックです。

なお経由ブログは「タカマサの気まぐれ批評」内「労働・成果の需給も、やはり『地産地消』が基本」http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1982#BlogEntryExtend
です。

問題提起の記事をどうも。
タカマサさんのブログ経由でこちらを知りました。

社共をはじめとするサヨクが、下層の気持ち・立場・事情を分かっていない。なのに分かったフリをしてなれあってくるという点には同感です。
あの人たちは、六本木ヒルズに住むとまでいわなくとも、そこそこは金を持っています。そして、貧乏人を見下しています。
以前所属していた平和団体なんか、フリーターや失業者へのいじめがひどかったです。
そういった世代なり階層は、まったく資産もない、生活保護も年金もあてにならないグループのことは、きちんと見ていないのです。

知り合いの日雇い・派遣労働者と、もし日本で職がなくなったらどうしよう。中国に出稼ぎに行けばなんとかなるかな? そのときのために英語と中国語は勉強しておいたほうがいいねと話し合ったこともあります。

ところで、魚をナイフでさばく文化なら日本にもありますね。フィリピンと日本は同じなれずし文化圏でもあるのに、おかしいことです。
ただ、東大阪の不況期の下町に住んで、銭湯での会話も聞いている体験から言うと、やはり人間貧乏になると感覚が鈍ったりズレたりしやすくなります。そこにある種の情報操作も加わるとなおさらおかしくなってしまいます。

ただ、本国でも日本でも酷使され搾取されている人たちをこれ以上責めてどうなるのかという気もします。
国籍を超えて、市場原理主義に抵抗しなければならない。
反目しあいながらも、同じ職場の人間、ロクでもない会社の犠牲者という共通点もあるのです。
何年かいっしょに働くうちに、互いに八つ当たりしたり近親憎悪をしたりするかわりの道が出てくるという希望を捨てたくはありません。
言葉や法制度も違うところでの仕事や生活は、苦労の連続でしょう。

「きれいごと」と言われるかもしれない。
だけど、こんな状況だからこそ誰かがきれいごとを言わなければならないとも思うわけです。

どこの国・地域でも、使いすてや酷使を許さない連帯がどうすればできるでしょうか? 


なお、ハラナ・タカマサさんのおっしゃる>地産地消について。
野菜・果物のビタミンがどのくらいの時間運送されると損なわれるかなどの計算ができれば、なるべくその範囲で農産物を消費する。そのための目安が分かれば、具体的に地産地消の範囲を指定できていいと思います。

家電製品は、世界中どこでも作ったり使えたりする傾向にあるため、なんとも言えません。食料自給率だけではなく「家電製品自給率」も高める気運が世界的に高まればいいのですが。

うちの近所もどんどん地域商店街がなくなっています。零細中小商店だけではなく、中型のショッピングセンターや国内・地域レベルのチェーン店も撤退しています。
ここ十年で、駅前のTSUTAYA(レンタルCD/DVD)やミスタードーナツなども撤退しました。本屋は営業縮小です。
大阪と京都の境目に当たるところで、年々辺鄙さが増し、車のないものには生活も仕事もしずらい環境は強化されつつあります。
労働も消費も地産地消というのは、閉鎖的・偏狭な地域ナショナリズムと一線を隠しながら目指すべき地点だと思います。
そのうえで移動の自由も残すと。
今ある日本の野菜や果物も、もとをただせば海外産もあることは忘れてはいけないでしょう。
今の季節にはおいしいスイカも南アメリカ原産です。http://www.kanazawa-market.or.jp/Homepage/mame/seika_suika.html
トマトはアンデス原産。
http://www2.odn.ne.jp/shokuzai/Tomato.htm
これには、当地の創造神カアングhttp://www2.odn.ne.jp/shokuzai/Tomato.htmやビラコチャhttp://www003.upp.so-net.ne.jp/mutantesjapan/ruins/ruinstiwanaku.htmに感謝しなければならないでしょう。
美しい(?)日本の夏の風物詩も、世界との交流によって成り立っているのですから。<追記:2007.8.26>独自の文化も周囲の他の文化との交流なしには成立しえないことを忘れてはならないと思います。<追記:2007.8.26>

これからも、各地域も自給自足をしながらも互いに交流し、刺激しあい、高めあうことができれば、どれほどいいでしょう! 
そういった環境のなかでこそ、消費と労働と格差の少ない多様化が成立できるのではないでしょうか。








反貧困運動? ちょっと待って

2007-08-18 19:47:09 | 現状
反貧困運動というものが、最近起こっている。http://antipoverty07.blogspot.com/

この運動のネーミングを始めて知ったとき、違和感が走った。
どうして反貧困をやるのだろう。貧困ってそんなに悪いことか。

いったい、反貧困とは?
・貧困者の苦難を隠蔽するのも反貧困だ。
・ホームレスを公園から排除するのだって反貧困運動とも言える。
・失業者・半失業者に対して就業者が「仕事に対して無責任」「ヤル気がない」などと責めたり裁いたりするのも反貧困だ。
・「自分が悪いから日雇い派遣労働者になった」と日雇い派遣の人を、正規雇用の人間が攻め立てるのも反貧困だ。
・四国八十八箇所をめぐるお遍路さんを、落ちこぼれ・乞食と陰口をたたくのも反貧困の運動だ。
・インドの修行者を貧乏ったらしいと非難するのも反貧困だ。
・安いアパートや銭湯を取り壊して、ワンルームマンションばかり作るのも反貧困だ。

その貧困が政策的に押し付けられ、また本人たちが苦痛を感じているのなら、そこから脱却すべく個人的または社会的に努力をすることは構わないとわたしは考える。
ただし、望んだ貧困、共同体から認められる貧困(巡礼者・出家修行者など)、本人が誇りに思ったり満足できる貧困、やむをえないけれどしばらくはその状態であってもよいような貧困(道端ぐらし)、貧困層から起こってきた文化(パンク・ロック、ヒップポップ・ダンス、伝統諸宗教)などまで否定・破壊するのだとすれば、いただけない。

ひとくちに貧困といってもいろいろなものがある。
賃料200万円の六本木ミッドタウン・ヒルズに住まう人たちだけが価値があるのではない。
日雇い派遣労働者にむかって、悔しければがんばって六本木ヒルズに住めるようにしろと説教するような反貧困運動であってはならない。

実は、この反貧困運動を担っておられる方たちに取材しているわけではない。なので、その正確な目的やニュアンスなどまでは、分からない。

それでも貧困に反対するという運動の名前の付け方は、いかにも貧困者やその文化に敵対的・好戦的だ。
この運動の名前に金持ちにあこがれ、それゆえに貧乏を憎み、貧乏を罪悪視する視点を感じ、違和感と疑問を抱くのはわたしひとりだろうか?

貧乏をタブーとして恐れたり、忌避したりするところから貧乏からの自由も貧乏への自由も生まれない。
貧困を見据え、貧困であっても誇りをもって生きていけるようにすることが大事ではないだろうか。
貧困だからといって、罪悪視したり、社会的タブーとする考えがもしもないか弱いならば、ホームレスへの排除も、フリーターへの中傷も和らぐのではあるまいか。
好むと好まざるとを問わず、道端ぐらしをしなければならない状況は誰にでもある。それに対して反対するとは、ホームレスが町からいなくなるようにベンチに仕切りをつける発想と親和的である。
フリーターがいけないなら、自衛隊に入ってサマワ駐屯地に行けという政治家の発言があった。これだって、反貧困運動である。

相対的に金のある弁護士がこういう慈善をやるのは、勝手にやればいい。
しかし年収50万とか100万とか0円の人たちがそれに賛同するというのは、わたしには理解しがたい事態である。なおかつ、目の前が真っ暗になる運動である。




「偽装請負」←歴史に残る新書

2007-08-15 18:49:11 | 映画&本
偽装請負 朝日新書

大変よい本でした。
労働問題を取材した本のうちでも、歴史に残る力作になるでしょう。

ここには、わたしが働いた会社、身近なアルバイターたちが働いたり、働こうと検討したりしている会社の名前が出てきます。
それは同時に、インターネットで「ブラック企業」としてマークされている会社とも重なります。

大学中退をしたあと偽装請負で働いた人が、まるで大学を中退した因果として自殺するようになったと誤解されるような見出しのつけ方はどうかと思います。

そういった短所を含みながらも、この本は充実しています。
実際に、この記事がきっかけになって国会でも偽装請負について議論がなされました。
自分たちが苦労しているってことが、やっとほかの人たちにも伝わるようになった。自分たちが世の中からまったく無視されたり誤解されたりしてばかりで、マスコミも信用ならない。
そうした思いを覆してくれるすばらしい新書だったと思います。

ただ、最後の請負・派遣労働者を正社員にという提案には、ちょっと待ってと言いたい。
なかには新卒後正社員として勤めて、「これならアルバイトのほうがマシ」とたとえではなく本当にそう思ってアルバイトをする人もいるのです。
また、熊沢誠が指摘しているように、学生時代のアルバイトを通じて正社員の働き方を知り、「これだったら正社員よりもアルバイト・パートのほうがマシ」と思ってはじめからフリーターかニートになる人たちもいます。
オタクとして同人誌を作っている人たち、音楽や演劇など芸術のために時間が欲しくてあえてアルバイトをやる人たちもいます。
なおブラック企業と噂されている会社をはじめ、とんでもない労働条件の正社員を使っている企業もあります。
そういったことを考えると、正社員化だけでは問題解決にはならないでしょう。
国の労働・福祉条件を総合的に上げていかなければ、正社員になれない/ならない層はこれからも生まれます。
さらに均等待遇の導入によって、非正社員でもさほど不利ではないシステムを作ることも大切です。

そうした思考を導くきっかけの提供になるという点で、議論のしかけ人としての勤めをよく果たされたと思います。
偽装請負派遣班のみなさま、お疲れ様でした。



ユニオンに入らないわけ

2007-08-12 06:06:07 | 現状
<この記事は正社員はやめたけれどの続編です。>

Dさんはユニオンには入らないという。
その理由をたずねてみた。

Dさんが言うには、「組合に入っている活動家には力がある。知識とか…」
彼は口ごもったが、言いたいことはわたしに伝わった。
「うん、そのほか実家の経済力とか、ほかの社会運動に参加体験があるとか…。NNPOなどの社会運動には、その方面なりのスキルも人脈も要るから…。それに家族・友人の理解・協力。いつも身内と衝突していたら、やっぱり続けにくいもん」
「そう。うちは今、家業の不動産の会社が倒産して、借金かかえてんの。最近やっと半分に減った…。父親は自分が20代のときに亡くなった。まだ小さくて働けない弟もいる。妹は中卒で、不利だけどなんとかやっていますよ。」

若者は、上の世代をウザがって組合には入らないと熊沢誠さんは分析しておられる。
しかし、別の事情と理由による組合不参加もある。

たとえば、上記のDさんは一例だ。
ほかにも、生活に余裕がなさすぎる。組合の24時間参加を要請する共同体主義が、会社の仕事や家庭責任と両立できないので組合に入らない場合もあるだろう。
地域密着というのが窮屈で息苦しく、いじめの温床になるという理由による組合不参加もある。

そういった事情をかんがみて、組合に入らない若い世代を一方的にバッシングするのはいかがなものだろうか?

組合は、若い人たちが参加しやすい活動形態を新しく作り出すべきだろう。
そのためには、すべての行事に出席するのを強要しないこと、せまい地域に人を閉じ込めるような組織にしないこと、組合の中の年齢差別・家父長制を問い直すことをやっていくといいと考えるものである。

正社員はやめたけれど

2007-08-12 05:41:34 | 現状
<この記事はブラック企業の内幕の続編です。>

ブラック企業を退職したあと、妙な状態だった。
彼の母は、「今おかしくなっている。休んだほうがいい。」
と強引にDさんに休暇をとらせた。
1-2ヶ月ほど、再就職活動をしないで休養をとることにした。

その後、近所のマージャン屋でアルバイトをする。
どうせ長く続けられる職ではない。だったらいろんなことをしてみたい気持ちもあったとDさんはいう。
中小企業らしく、アットホームというかフレンドリーな感じがした。お客さんともお友達みたいな感覚になっていった。
Dさんは打つのは弱いけれど、持ち前の人当たりのよさから接客面では活躍できた。
だいたい一日14時間は働いた。
そこは14ヶ月勤めた。

次に、大手ゲーム会社の経営するゲームセンターで準社員として働く。

この準社員というのはこの会社の場合、正社員とほぼ同じ仕事をやり、給与と保障は少し少なめだという。

勤務先は、京都の目抜き通りに面した大型のゲームセンターだった。ひとつのビル全体がゲームセンターになっている。
夜遅くまで営業しており、残業は大変だった。
大きな会社のせいか?、露骨に違法行為をやることはなかったという。

その後、知識を得たいと考えた。大学でもちゃんと勉強しているヤツは違う。
そう思って、今は京都のコンピューター関係の専門学校に通ってWEBサイトづくりの学習をしている。
























ブラック企業の内幕

2007-08-12 05:28:00 | 現状
京阪神在住の20代半ばの専門学校生Dさんからお話をうかがった。

彼は、社長の家に生まれ、小学校受験も経験。全国的にも有名小学校に在籍していた。
だが、親のおしきせ・つめこみでは大して身につかなかったと言う。
90年代初頭に中部地方の私立文系大学を卒業後、関西でもトップクラスの不動産会社に就職が決まる。
そこは、インターネットで噂のブラック企業だった。

ブラック企業とは、統一した規格はないが、就職・労働等に関するサイト
でよく使われる。極端に人使いが荒い、従業員に恐怖・不安を与える、違法や違法すれすれの行為が目立つといった特徴がある。

Dさんは、そこに入って驚いた。外回りの営業をしていると、10分に一度、携帯が鳴る。ちゃんと仕事をやっているのか探りを入れられるのだ。それも、どやされて。Dさんいわく、「軍隊みたいなスゴイ会社」だった。

営業以外にも、あらゆる作業をやることになる。
初任給は40万。出来高制のため、その後上下もあり、気をゆるめることはできない。
月給を時給に直すと180円くらい。これならまだアルバイトのほうがマシだと思ったほどだったそうだ。

その会社では、正社員・アルバイトを含めて、彼が入社当時1000人いた従業員が、一年間で500人くらいにまで減ったという。一年間で約半分になるわけだ。

結局、Dさんは半年でそこの会社を辞めた。

(Dさんの話は後(↑)につづく。)















我ある、ゆえに我思う

2007-08-09 00:06:49 | その他
中世の教父のひとり、アウグスティヌスは言った。「我ある、ゆえに我思う」と。 デカルトはその逆を言った。 通時的ではなく共時的に、そこにあることの権利の主張は生まれている。

生活を圧迫する教育費

2007-08-08 23:58:35 | その他
「授業料、待ってください。」 大学出ていないのは服を着ていないも同じとする社会常識。失業産業とも言われる専門学校。教育しないと人間にはなれないという学校教育依存社会。青少年の学校への社会的隔離はいつ終わる?

〈2008.8.11文章を一部訂正しました。大意に変わりありません。〉