三遊亭円楽さんが亡くなった。

 思い出すのは、小学校四年生の時、仲の良かった二人の同級生と共同出資して「笑点音頭」のレコードを買ったことだ。

 立川談志と笑点メンバーが賑やかに歌う、楽しい歌だった。
 レコードは、どこに行ったのかわからない。

 共同出資者の一人であるAの手元にあったはずなのだが、彼は十年ほど前に死んでしまった。もう一人の同人(われわれは、3人の共同名義で「ハッタリ新聞」という個人紙を発行していた)も、二十年ほど前に亡くなっている。

 だから、細かいことは藪の中だ。ハッタリ新聞も四十年以上休刊状態にある。

 「笑点音頭」」を検索してみると、ニコニコ動画に同名のコンテンツがある。サルベージして聴いてみると、どうも記憶と違う。

「笑いのポイント 笑点だい ソレ」
「アリャリャンコリャコリャ イモ買いな」
「鬼婆屁した ソレ エッヘラヘと笑え」

 ……私はこの歌を知らない。

♪はーるはイヤだね 眠くてイケねぇ
 朝起きるのはめんどくせぇし やっぱり行かなきゃならねぇし♪

 私が記憶している「笑点音頭」は、四季折々の「イヤだね」を歌ったオモシロネガティブな歌だった。

 が、その音源はどこを探しても見つからない。
 あれはB面だったのだろうか。あるいは、笑点メンバーが「笑点音頭」のヒットに気を良くしてリリースした第二弾なのかもしれない。いずれにしても、詳細は不明。コミックソングのコレクターだったAが生きていれば、電話一本で2時間ぐらいは解説してくれたはずなのだが。

 訃報以来、テレビは、円楽師匠の死を悼み続けている。
 いかりや長介氏の時ほど大仰ではないが、それでも、かなり引っ張っている。
 しかも、ちょっと焦点がズレている。

「『星の王子様』の異名で呼ばれるなど、ダンディーだった円楽師匠は……」
「カッコ良かったですからねえ」
「ええ、とてもおしゃれな人でした」

 いつの間にやら、円楽は、落語会のプリンスだったみたいな話になっている。
 違うぞ。
 いや、大筋では間違いではないのかもしれない。若い頃の円楽師匠はダンディーだった。おしゃれでもあったし、女性ファンだっていたのだと思う。

 でも、世間が円楽を「星の王子様」と呼んでいたのかというと、そういうことはなかった。
 「星の王子様」は、本人がシャレで名乗っていた名前で、彼はそれで笑いを取っていた。馬面の大男が「王子様」を自称することの可笑しさ。その力加減が絶妙だった。そういうことだ。

「落ち葉のメロディーが心に響く季節となりました。乙女の涙か夜空の星か、まことに美しいものほどはかないものでございます。星の王子さま。円楽です」

 と、円楽が気取った挨拶をカマすと、歌丸か小円遊がツッコミを入れることになっていた。

「飼い葉のメロディーが馬の餌で干し草の王子が馬ヅラだと?」
「乙女がパンツをはかないとか、品がねえにもほどがある。そこ、座布団一枚ひっぺがせ」

 お約束の返しもまたキザだった。

「はて? 美人はくめえと聞き及びますが?」

 初期の笑点は、かように、罵倒とアドリブが飛び交うスリリングな番組だった。

「座布団が十枚たまったらベトナムに行って鉄砲が撃てるよ。イヨッ!」

 現在の環境では、決してオンエアできないと思う。

 ともあれ、「星の王子様」についてはきちんと訂正をしておかねばならない。あれは円楽の異名ではなかった。自称でありギャグであり、師匠一流のセルフプロデュースだった。

 ワイドショーが円楽師匠を持ち上げようとした意図はわかる。が、事実は事実。彼はプリンスではなかった。

 ついでに申せば、先代の三平(←初代林家三平)が、大名人であったみたいに言われていることにも、私は違和感を抱いている。
 あれは、虫の良いプロパガンダだと思う。
 もしかして、40歳より下のナマの三平を見たことのない人たちは、テレビ発の大本営発表を鵜呑みにしているのだろうか。
 だとすると、これはとんでもないことだぞ。
 大名人?
 昭和の爆笑王?
 タケシと松っちゃんとサンマを合わせたぐらいに偉大なお笑いの神?
 不世出の芸術家?
 
 全然違う。
 三平は型破りな落語家ではあったが、別の言い方をすれば、邪道だったということで、実際のところ、落語家としての力量は大いに疑問だった。
 一時期の三平が、タレント司会者として巨大な人気を博していたことは事実だ。
 でも、あの芸風は「名人」のそれではなかった。
 名司会者の司会ぶりでもない。
 破調の笑い。
 今の芸人で言うと、立ち位置としてはオードリーに近いだろうか。
 カスガをずっとヤケッパチにした感じ。
 噺家や芸人というよりはパフォーマーだ。
 絶頂期に急死したことで、過大評価されているのだと私は考えている。

 いつの頃からか、落語の周辺には、奇妙な空気が流れている。
 笑いである以前に、権威付けを帯びた「話芸」という扱いになってきているのだ。

 いや、落語の地位が向上したこと自体はよろこばしいことなのだ。実際、落語は話芸でもあれば、伝統芸能でもある。貴重な文化遺産でもある。そのことを否定しようとは思わない。
 でも、落語家を、「芸術家」で「人間国宝」で「文化功労者」であるみたいな、アンタッチャブルな存在にするのはちょっと方向が違うと思う。噺家は噺家。あんまり高いところに祭り上げない方が良いと思う。どうせハシゴを外すことになるのだから。

 実は、かく言う私自身も、落語について語ることには、気後れを感じる。
 うかつなことを言うと、四方八方から説教を食らうことになる気がするからだ。

 コラムニストというのは因果な稼業で、色々なところにくちばしをはさまないといけない。
 しかも、私のような専門分野を持たない書き手は、取材をしたのでもなければ、専門的に研究しているわけでもない分野について、脊髄反射みたいなカタチで口出しをすることになる。
 当然、こういう姿勢は、反発を受ける。

「なにを、きいたふうなことを」
「素人は黙ってろ」

 と。
 それゆえ、この商売をやっていく上では、パッと見の印象で好きなことを言って良い分野と、そうでない分野を嗅ぎ分ける嗅覚が必須になるわけなのだが、私の抱いている感じでは、落語は、後者に当たる。すなわち、あそこはどうやら素人が半端に言及してはいけないカテゴリーなのである。
 なにしろ、落語のまわりには、マニアや通がとぐろを巻いている。
 とにかく面倒くさい。

 が、この二年ほどの間に、何度かナマで落語を聞く機会を持った。
 と、ひとこと口をはさみたくなる。
 悪い癖だ。

 でも、思ったことは言った方が良い。
 言わないと商売にならない。
 こういうところは噺家と同じ。
 言わないでおいた失敗よりは、言い過ぎた上での失敗を選ばないといけない。
 オシム師が言っていた「リスクを取れ」というやつだ。

 落語の面倒くささは、噺家をどう呼ぶかという問題としてまず立ちはだかってくる。
 弟子でもない者が、先方を「師匠」と呼ぶのはなんだかヘンだ。
 面識も何もない円楽に対して、どうして私が「師匠」という呼びかけ方をするのだ?
 奇妙じゃないか。

 「円楽師匠は、声の通りが抜群だったね」

 という言及の仕方は、なんだか、半可通みたいで気持ちが悪い。

 その意味では、公人である円楽さんに対しては、「円楽」と、簡明に呼び捨てで言及するのが本筋なのだと思う。

 「円楽はああ見えて頑固だったからなあ」

 と。
 しかし、こう言ってしまうと、これはこれで感じが悪い。
 生意気。半可通というよりは、好事家っぽい。訳知り顔のディレッタント。何様なのか。
 「円楽さん」も変。
 腰が引けている。手揉み感横溢。猫撫で原稿。短いコラムだと命取りになる。

 つまり、どう呼んでも変なのだ。噺家というのは、そもそもそういう立ち位置にいる人々なのかもしれない。敬ってもへりくだってもクサしてもどっちみちそぐわない。
 呼び名ひとつでもこんなに気を使わねばならない。落語の世界は面倒だ。実に。 

 この春に聞いた落語会のマクラで、ある噺家さんがこんな話をしていた。

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