柳田前法務大臣をおぼえておいでだろうか。
 先週の今頃は、まさに「時の人」という感じだった。
 それが、辞任が決まって記者会見が終わると、その場で「過去の人」になっている。用済み。産業廃棄物。更迭記事要員。なんという使い捨て感覚だろう。ボタン電池大臣。鼻紙閣僚。残飯内閣。ガベージ・キャビネット。まるで宵越しの寿司だ。高級食材がたったの一晩で生ゴミに化ける。再生は無理なのだろうか。トカゲの尻尾にだって使い道がありそうなものだと思うのだが。

 ……でも、もはや回収不能なのだろうな。
 というよりも、はじめから使い道がなかったのかもしれない。
 法務行政の経験もなかったのだそうだし。
 法務レス大臣。
 寿司みたいに短命なミニスター。廻転ネタ閣僚。生き腐れ大臣。
 あんなにイキが良かったのに。

 結局、柳田前法相関連のニュースは、北朝鮮が国境の島に砲弾を打ち込むと、その瞬間に吹き飛ばされ、ワイドショーのヘッドラインからも消えていった。

 いまさら、辞めた大臣についてあれこれ言おうとしているのではない。
 辞任(←実際には「更迭」だったらしい)の是非や、任命責任について意見を述べるつもりもない。
 過ぎた話だ。
 前例からして、この種の舌禍事件を起こした大臣は、一週間ほどで職を辞することになっている。それが最近の傾向なのだ。善し悪しはともかく。

 あらためて振り返っておく。
 コトの発端は、柳田法務大臣(当時)が、11月14日地元の国政報告会の中で述べた以下のような発言だった。

「法務大臣はいいですよ。“個別事案はお答えを差し控える”、“法と証拠に基づいて適切にやっている”と、この2つ覚えておけばいいんですから」

 この発言は、その日のうちに話題になり、「国会軽視」発言として問題視されることになった。
 軽視と言われればその通り。モロに軽視した発言だ。

 でも、思うに、これはジョークだ。
「ジョークなら何を言っても良いのか?」
 とおっしゃる向きもあるだろうが、ジョークというのはそもそもそういうものだ。何かを軽視していたり、誰かを揶揄していたり、必ずや不適切な要素を含んでいる。
 笑えるとか、洒落ているとか、センスが光るだとかいったことは、ジョークにとっては、副次的な(しかも幸運な場合の)効用であるに過ぎない。

 ジョークの本然は、あくまでも「不適切」というところにある。
 場にそぐわない発言。立場をわきまえない言明。不謹慎な言及。ジョークは、常に場をかきまわしに行く。必ずしも笑わせたいのではない。彼の目的は混乱を引き起こすところにある。

 だから、笑えないケースも多い。
 というよりも、真にクリティカルなジョークは、場に沈黙をもたらすものなのだ。聞いた人間は、息を呑み、目を見開き、あるいは視線を逸らす。とてもじゃないが、笑うことなんてできない。それが本当のジョークだ……というのは、まあ、私見なわけだが。

 今回はジョークについて考えてみたい。
 それも、不適切なジョークについて。
 笑えない冗談。スベったギャグ。まっすぐな失言。不埒な不規則発言。
 われわれは、なぜジョークを許さないのだろうか。
 この国の人々は、なにゆえにジョーカーを排除することに心を砕き、どうしていつもババ抜きみたいなゲームを展開しようとするのだろうか。

 柳田氏のジョークは、不適切で、しかもスベっていた。それは間違いない。
 なぜなら、「本当のこと」だったからだ。
 柳田氏の言う、「二つの決まり文句」は、実際に国会審議の中で毎日のように使われている鉄板の常套句であり、関係者の誰もが知っているバカの壁だった。
 事実、国会の答弁は、ほとんど常套句だけでできあがっている。
 誰も議論なんかしちゃいないのだ。

 選挙区の有権者を意識して繰り出される芝居がかった質問演説。
 その質問に答える、想定問答集そのままの回答。
 言質を取らせまいとする焦点の曖昧な文言。木で鼻をくくったような同語反復。
 野次と怒号。女性議員の金切り声。下卑た笑い声。
 答弁相手にではなく、テレビカメラに向けて掲示されるワイドショーから盗んできたみたいな色文字のパネル。
 十年一日の「善処」と「対策」と「精査」と「引き続き検討」と「十分な議論」。両手を振り上げる小芝居。
 うんざりする。

 思い切り擁護して言うなら、柳田氏は、自分たちが議事堂の中で展開している審議という名の出来レースの白々しさに、若干の後ろめたさを感じていたからこそ、国会劇場の田舎芝居を揶揄するジョークをカマしに行ったのであり、それを聞いて、親しい関係の支持者は、笑ったはずなのだ。

「まーったく、ウチのセンセーときたら、臆面もなく本当のことを(笑)」
 と。

 私は、第一報が流れてきた当初から、柳田氏の発言が、そんなに非常識だとは思えなかった。
 非常識だったのは国会の方だ。
 というよりも、国会審議に内在する根の深い欺瞞が、柳田発言を誘発したというふうに考えるべきなのかもしれない。
 ともかく、柳田氏の発言は、国会という場所の非常識ぶりをありのままに描写した、どちらかといえば正直な告白だった。
 柳田氏を指弾した人々は、発言のどの部分を問題視したのであろうか。
 柳田氏が国会を軽視したことだろうか?

 違う。
 たしかに、柳田氏は国会を軽視していたが、国会軽視は議員のデフォルト設定だ。珍しいことではない。彼等が重視しているのは議席であって議会ではない。
 柳田発言の問題点は、彼が国会の真実を暴露したところにあった。さよう。柳田前法務大臣は、国会答弁が常套句のリピートでできあがった三文芝居であることを満天下に知らしめてしまった。そこが問題だったのである。

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