井戸潔・かんぽ生命取締役兼代表執行役副社長(右)と日高信彦・ ガートナー ジャパン代表取締役社長(写真:的野 弘路、以下同)
井戸潔・かんぽ生命取締役兼代表執行役副社長(右)と日高信彦・ ガートナー ジャパン代表取締役社長(写真:的野 弘路、以下同)
「ビジネスエンジニアを育てていかないとこれからは駄目だ」。かんぽ生命の井戸潔取締役兼代表執行役副社長の持論である。ビジネスエンジニアとは、新たなビジネスの仕組み作りができる人。ビジネスの目利きができ、変化や動きを察知し、必要なら技術を取り入れ、試行錯誤しつつも、新しい何かを作り上げる。そうした人材を他流試合やプロジェクトを通じて育成していくという。人材戦略についてIT(情報技術)リサーチ大手ガートナー ジャパンの日高信彦代表取締役社長が聞いた。
前編:『かんぽ生命、一番難しい仕事にワトソン入れた訳
中編:『かんぽ生命、人や態勢・体制などすべて変えたい
(構成は谷島宣之=日経BPビジョナリー経営研究所研究員、中村建助=日経コンピュータ編集長)

日高:IBMの意思決定支援システムWatsonをビジネスの中核である支払い業務に利用していく。2017年1月から、保険業務を処理する新しい基幹系システムを更改予定。新たな挑戦としっかりした基盤づくり、かんぽ生命は両方に取り組んでいる。今後は新たな挑戦が増えると思います。その辺りの態勢・体制や人材についてどうお考えですか。

井戸:新しい価値観や発想、新しい仕事のスタイル、やり方を持った人間を、これからどう社内で育成していくのか。非常に大きな課題になっています。一つの手として、今年4月から経営企画部の中にイノベーション推進室を新設しました。

 自由な発想で新しいことを考え、やりなさいということです。そういう組織を置くことによって、会社のこれからの姿勢を示したわけです。社内のビジネス部門から人を集めています。システム部門からも1人ですが送りました。

日高:ビジネスのイノベーションを考えるのであれば、ビジネス人材が取り組むことになると。

井戸:「ビジネスエンジニア」を育てていかないとこれからは駄目だと思っています。私は勝手にこの言葉を使っています。「ビジネスエンジニアだ」と言ったら、みんながきょとんとして「それって何だ」と言っていましたが。

 要は新しいビジネスの仕組み作りができる人です。ビジネス主導で考えて、必要であればツールとして情報システムや新しい技術を使う。システムありきではなく、業務ありきとでも言いましょうか。

 ビジネスの目利きができる人ですね。何らかの変化や動きを察知して、必要ならそこに技術を加味して、新しい何かを作り上げる。エンジニアと呼ぶ以上、仕組みをきちんと作ってもらう。ただ、必ずしも情報システムを開発しなくてもいい。

日高:実際にはITは不可欠でしょう。開発するかどうかはともかく。

井戸:でしょうね。新しいビジネスを作るためにツールとして、ある情報システムを使ってみる。駄目だったら次の手を試す。こういうやり方にしないと、イノベーションと呼べる新しい取り組みをやり切れないのではないでしょうか。今まではどうしてもシステム先行型になりがちで、「こういう商品を作るのでしたら、こういうシステムを作りましょう」という流れで来ていたと思います。

試行錯誤を繰り返し新しい事業分野を切り開く

日高:トライ&エラーでやっていくということですね。

井戸:そういう世界だと思います。パイロットプロジェクトという発想ですね。新しいことはそういう価値観を持った人たちが作り上げていくことになるでしょう。一方、業務を処理する基幹系システムの世界は正確であるとか期限厳守とかが大事で、トライ&エラーがなかなか許されないところがあります。

日高:シリコンバレーを中心にリーン・スタートアップというプロセスが流行っていますが、あれは失敗も前提に入っている。失敗した上で、そこで終わるのではなく、学んで次のプロセスに入れていく。これを繰り返して良くしていく発想ですから、井戸さんが仰っていることそのものです。ただ、日本のビジネスになじみにくいところもある。

井戸:失敗が許されないところがあるのは確かですが、一方で試行錯誤を繰り返してビジネスエンジニアが新しい事業分野を切り開いていくことも求められる。正直、私などはついていけない世界ですが。

日高:いえいえ、Watsonの利用などを拝見すると先頭を走っておられるのではないですか。

井戸:全然、走っていないです、私は。どちらだと問われたら基幹系システムをきっちり作ってきた側に入るので。ただ、他の役員も含めて、新しいやり方や考え方ができる人たちが出てきています。そういう人の取り組みを一つでも二つでも形にして、着実に前進していくことが必要でしょう。

日高:新しいことに向いている人とそうではない人がいます。向いている人は常に新しいことを考えてやっていく。向いていないからといって悪いわけではけっしてなく、出来上がっているものをしっかり守りたい人もいます。両方を視野に入れつつ、個人の性格も考えて人材配置をしていくことになるのでしょう。

 それから、きっちり仕事をしてきたシステム部門のほうにもイノベーションの素質を持った人がいるかもしれない。彼らに新しいことに対する関心をどうやって持たせたらいいかという課題もありますね。

若い人たちに世の中をもっと知ってもらいたい

井戸 潔 氏<br />かんぽ生命 取締役兼代表執行役副社長 <br />1978年4月 安田火災海上保険入社。2002年6月 安田火災システム開発代表取締役社長。2002年7月 損保ジャパン・システムソリューション代表取締役社長。2007年4月 損害保険ジャパン執行役員。2009年4月 損保ジャパンひまわり生命取締役常務執行役員。2010年4月 同社取締役専務執行役員。2011年10月 NKSJひまわり生命保険取締役専務執行役員。2013年6月 かんぽ生命専務執行役。2013年7月 かんぽシステムソリューションズ取締役。2016年6月から現職。
井戸 潔 氏
かんぽ生命 取締役兼代表執行役副社長
1978年4月 安田火災海上保険入社。2002年6月 安田火災システム開発代表取締役社長。2002年7月 損保ジャパン・システムソリューション代表取締役社長。2007年4月 損害保険ジャパン執行役員。2009年4月 損保ジャパンひまわり生命取締役常務執行役員。2010年4月 同社取締役専務執行役員。2011年10月 NKSJひまわり生命保険取締役専務執行役員。2013年6月 かんぽ生命専務執行役。2013年7月 かんぽシステムソリューションズ取締役。2016年6月から現職。

井戸:若い人たちに、もっともっと世の中のことを知ってもらいたいですね。どう後押しするかというと、一つはビジネス部門に働き場所を移して、そこで仕事をしてもらう。システム部門の職員にとってはそれが一番早い。口で言うほど簡単ではないですけれど。

 本社のビジネス部門にシステム部門の若手を3人、4人くらい入れてもらって、一定期間の後、戻ってきてもらう。その中で1人とか、2人、目覚めてその気になる人が出てくるのを待つ。これを粘り強くやっていくしかないと思います。

 これからますますビジネス部門とシステム部門との交流をしていく必要があるわけですが、なかなかそれができないので、どこの会社でも困っているのではないでしょうか。

 人事異動やプロジェクトとは別に、システム部門にいる場合でも、自分の持ち場の仕事はしっかりこなしつつ、もう少し広い視野を持って欲しいところです。そうではないとビジネス部門と対話しにくいですから。私としては経営ビジョンや経営トップの考えをシステム部門や子会社に繰り返し伝えていくようにしています。

 当社には「Big & Unique(ビッグ&ユニーク)」というビジョンがあります。それに「あたたかい会社」という言葉を付け加えている。役員全員を前に社長が「新しい技術は積極的に研究して導入し、活用していく。ただし一番重要なのは人肌のあるシステムを作ることだ」と仰ったことがありました。

 速くて正確なシステムを作ることはもちろん必要だけれども、冷たいシステムだったらまずい。そういうことをシステム部門は考えていこうじゃないか。社長の言葉を借りて、こういう風に私が話すわけです。

日高:高齢者向けのサービス提供をしていくとなると、まさに人肌の業務プロセス、システム作りが重要になりますね。

 今の新しいITの世界でやるべきことは大きく三つあると考えています。一つ目は既存の業務とそれを支えるシステムをいかに良くしていくか。コスト削減とかスピードアップですね。二つ目は自分たちの製品やサービスの質をいかに上げていくか。ここで新しい取り組みができます。三つ目は色々な取り組みを集大成して、お客さまのインティマシーを確立すること。親交とか、感銘を受けるという意味です。三つをきちっとやっていける会社がITをうまく使えていると思います。あたたかい会社とか人肌のシステムというのはまさにインティマシーの話ですね。

 これからビジネスの見える化がますます進みます。そうなるとお客さま、それは個人であろうと法人であろうと、自分が受けているサービスを簡単に他社と比較できるようになってくる。そのときにあたたかい気持ちを持てる、感銘を受けるかどうか、そこがブランドの差になっていくと見ています。

井戸:昔と違って利用者の方がシステムのことを詳しく知っているわけですよ。パソコンを扱い慣れている方がどんどん出てきている。どこまでそういう人たちにきめ細かなサービスをしていけるか、本当にあたたかみのあるサービスを提供できるのか。他社比較と仰いましたが、競争を考えてもそこが大切ですね。

「パソコンの向こうにお客さんがいる」、そう思って仕事をして欲しい

 最終的には、お客さま志向だと思います。それからフロント。我々の場合は代理店である日本郵便ですから、そこを意識する。たまたま、かんぽシステムソリューションズの決起大会があったときに、「パソコンの向こうにお客さんがいると思って仕事をして欲しい」と話しました。技術者は自分の目の前のパソコンを見て一日中仕事をするものですから、自分たちのお客さまの存在が直接見えにくいので。

 それから会社全体としてお客さまからの称賛や感謝の声を共有しようとしています。それをシステム部門にも持ち込み、我々の仕事はこれだけお客さまから感謝されている、と知らせていきたい。

<b>日高 信彦 氏</b><br />ガートナー ジャパン 代表取締役社長<br />1976年東京外語大外国語部卒業後、日本アイ・ビー・エム入社。1996年アプリケーション・システム開発部長。2001年アジア・パシフィックCRM/BIソリューション統括。2003年4月から現職。
日高 信彦 氏
ガートナー ジャパン 代表取締役社長
1976年東京外語大外国語部卒業後、日本アイ・ビー・エム入社。1996年アプリケーション・システム開発部長。2001年アジア・パシフィックCRM/BIソリューション統括。2003年4月から現職。

日高:システム部門はともすれば縁の下の力持ちになってしまいがちですからね。

井戸:私の立場からは公言しづらいのですが、はっきり言えば、システム部門も子会社もパートナー会社の皆さんも、本当によく仕事をしているわけです。ところが、家族からの評判となると今ひとつ。システムの切り替えは土日にやりますから、仕事に出てこなければならない。緊急時の対応もある。

 そういう状況で頑張っている部下に対し、責任者の私としては、仕事の充実感、やりがいを持てるように働きかけていきたい。ここが一番考えなければいけないことです。お客さまの声を伝えるのはその一つです。

 とにかく私は人を育てたい、何としてでも育って欲しい。これからパートナー会社の力を借りて、できるだけ若い人たちに他流試合をやらせたい。別の会社に研修に行かせたりプロジェクトに参加したり、そういう機会を増やしたい。外の世界を見せてあげたい。こう強く思うわけです。

 例えば、Fin Tech(フィンテック)という言葉が出ている中で、第一生命と業務提携しました。Fin Techについて共同研究していきます。業務提携に当たって人材交流を明確に謳っています。かんぽ生命の中に閉じこもっているのではなく、幅広く生命保険業界の人と結び付いていこう、ということです。

日高:必要とされるスキルも変わってきますからね。データサイエンティストがもっとプロジェクトに入っていくこともある。プロジェクトのやり方もリーン・スタートアップのようになる。デジタル製品やクラウドに詳しい人、新たなシステム構造を考えてアーキテクチャーを描ける人も必要です。

 あたたかいお客さまケアができるシステムを設計するには別のスキルがいるでしょう。お客さまにとって、あたたかいシステムとは何なのか。具体的に会社に対して示せる人がいないとできない。他社の事例に精通していて、デジタルテクノロジーを使えばここまでできるということが分かっている。そういう設計感覚がいるわけですね。

 忘れてはならないのは情報セキュリティーですよね。新しいチームを作るときに、そういう人が社内にいないとうまくいかない。

井戸:仰るとおりです。そういう態勢をなんとかして、会社を挙げて作ろうとしているわけです。データアナリストとか、今まで必要としていなかったスキルを持つ人について積極的に採用するとか。

 セキュリティーはしっかり確保していかないといけません。約3200万件もの保有契約(個人保険)をお預かりしているわけですから。ここでも人材の採用や育成が大きなテーマになっている。内製化と言いましたが、方向はそうだとしても、すべての人を中でじっくり育てることは不可能なので、短期間にそういうプロを確保することも重要になります。

日高:人材の育成について伺ってきました。それに関連して御社の株式上場は何か影響しましたか。

井戸:スピード感が変わってきているのではないでしょうか。広い意味でお客さまを意識するというところも。

日高:それは井戸さんが引っ張ってきたからでは。

井戸:いやいや、私はただのせっかちなので。「早くしろ」と言っているだけです。ただ、私が言っているのは初動についてです。初動をとにかく早く、立ち上がりがすべてだということです。

日高:いったん動き出した後は弾みがつきますしね。失敗したプロジェクトを振り返ると、原因は始めのところにあった、という例が大半です。

 上場企業として成長戦略が問われますから、新しいマーケットに出ていかないといけませんね。一方でライバルの新規参入もあるでしょうし。

井戸:現状をお話すると、今の我々のマーケットの約9割は郵便局なのです。どちらかといえば、郵便局にお客さまが来て下さる世界ですね。これからは自分たちがもっと出ていく世界です。人の動き方も変えなければいけません。

日高:基幹系システムの新しいベースを作ったり、Watsonのような新しい技術を使ったり、プロジェクトのやり方を変えたり、いろいろな手を使って人材を育成したり、イノベーションの部隊を作ったり、様々な取り組みについて伺いました。全ては今後に向けた布石ということですね。

井戸:はい。これからもっともっと変えていく必要があると思います。

一夜にしてぱっと良くなることなどあり得ない

日高:すでに大変な変革を実行されてきたと思います。最後に井戸さんご自身のキャリアと、そうした民間での経験がどう生かされたのか、お聞かせください。

井戸:昔から同じことをやっているだけという気がしているのですけれど(笑)。前の会社のときも、本体のシステム部門と子会社が一体に動けるようにしましたし。本当に同じことをここでもやっているというだけですね。

日高:井戸さんご自身、若いころからシステムの仕事をされてきたのですか。

井戸:システム部門の本流にいたわけではないのです。プログラマーの教育は受けていません。COBOLで書かれたプログラムは読めますけれども書けません。

 元々は安田火災海上保険(現・損害保険ジャパン日本興亜)に入り、最初の4年間ほど新人教育を担当して、それから商品開発の部門に行きました。その後、システム部門に異動になって、それからずっとシステムの企画仕事を主にしてきました。

日高:システム部門への異動を希望したわけではないのですか。

井戸:希望も何も、本当に突然の異動でした。当時、安田火災で大きな開発プロジェクトがあったので、商品業務が分かる若手が必要だったのでしょうか。それとも商品開発部門で一番下だったから、余っていたのかな(笑)。

日高:まさにビジネスエンジニアじゃないですか。

井戸:ビジネスエンジニアと呼べるかどうか分かりませんけれど、システム作りそのものというより、企画とかプロジェクトマネジメントとか、子会社の経営とか、人材育成とか、そういう経験を積んできました。

日高:損保ジャパンがスタートしたときの統合プロジェクトを担当なさったのですよね。

井戸:はい。そのプロジェクトを経験し、それから生保子会社の方へ行って、そこでも統合をやりました。損保と生保、両方のシステム統合を経験したので、もうこれで終わりだろうと思っていたら今回、こちらでシステム更改の仕事をしています。

日高:損保ジャパンでの一連の経験は今、どう生きているのでしょうか。

井戸:難しい質問ですけれども、損保ジャパンというのは、とにかく一点突破する強さ、スピード感があって、それが身に付いている気がします。お客さまのために他社には負けないサービスと商品をいち早く提供する、という気持ちはずっと持っています。

日高:今回のお話を一言でまとめると人材育成だったという気がするのですが、「なかなか効果が出るものではない、粘り強くやらなければいけない」とも仰っていました。それも経験に裏付けられた発言だと受け止めましたが。

井戸:損保ジャパンのシステム子会社の社長を7年間ほど務めました。そのとき、とにかく人を育てようということで、人事制度を全部変えて、ありとあらゆることをやりました。例えば、大連に開発センターを設置した。コストを削減する狙いもあったのですが、やはり人を育てたかったのです。

 中国の人たちとやり取りして痛感したのは良い意味での執着心です。勉強に対する情熱も凄い。それが分かったものですから、大連に開発拠点を設置して、そこにシステム子会社の人間をどんどん送り込みました。

 「君たち、中国人の中で、もまれてこい」ということです。一緒に働いて、いかに自分たちと違うか、そして自分の技術を自分で徹底的に磨くことの大切さを肌で知って欲しかった。システムズエンジニアのプロなのだから。

 だからといってそんなにすぐ効果は出ませんから、そこは我慢して続ける。情報システムの仕事は、トラブルが起きると即、分かりますが、人材育成とか開発の生産性や品質の向上とか、その辺りになると時間がかかります。一夜にしてぱっと良くなることなどあり得ない。それをじっと耐えて待つのもシステム責任者の仕事だと思っています。

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