私はこれまで、いくつかの企業で多くのプロジェクトを回してきた。
例えば、現在プロジェクトマネージャーとして扱っている製品は全世界で600万人以上のユーザーがいるソフトウエアだ。必然的に新製品や新バージョンを出す時には、多くの関係者が集まってキックオフ・ミーティングを開く。
こうした複数メンバーでのキックオフで一番気をつけなくてはならないことが、関係者の「やる気」であり、「前向きな気持ち」だ。
新製品を立ち上げようとしているメンバーが、「これは革新的な製品だ」とか「間違いなく売れる」という気持ちになっていなければ、キックオフはうまくいかない。つまり、満足のいくスタートが切れない。
ほとんどのプロジェクトは、ロケットスタートが成功の必要条件だ。
ごく特殊なケースを除き、いいスタートが切れるにこしたことはない。どんな有望な新製品もプロジェクトも、出足でしくじれば鳴かず飛ばずのうちに消えていく。
楽観的に考えることは多くのメリットをもたらす。何よりチームメンバーの気分が上がる。常日頃ストレスにさらされているビジネスパーソンにとって、前向きなメンタルを保てる状況は何よりも重要だ。気分が上向くだけでパフォーマンスは上がる。
さらに、いろいろな問題が発生しても、それを跳ね返す強靱さを保てる。ちょっとやそっとのことではへこたれない。
だからどんな困難にも粘り強く対応し、最終的には成功するまでしぶとく闘える。このへこたれない力のことを心理学の世界では「レジリエンス」と呼ぶ。そして「レジリエンス」は、ポジティブな性向を持つ人ほど強い。ポジティブ・シンキングは「レジリエンス」を強めるのだ。
ところが、このポジティブ・シンキングは行きすぎると落とし穴にはまる。
楽観的に考えすぎることが過度の自信につながって、「計画の錯誤」なるものが発生するのだ。
プロジェクトや事業計画に何らかの緩みが忍び込むように入り込み、様々な問題が発生し、プロジェクトは失敗に終わってしまう。
見渡してみると、ポジティブ・シンキングの行きすぎによる失敗は、自信にあふれる起業家によく見られる。実際に、ポジティブな考え方の程度と起業家のパフォーマンスは負の関係性があることが報告されている(注1)。
つまり、ポジティブであることは大きなメリットをもたらすが、一方でその暴走を押しとどめる抑止力が必要なのだ。
これについて、アメリカの心理学者で「ポジティブ心理学の父」と呼ばれるマーティン・セリグマンも同様の指摘をしている。彼の著書『オプティミストはなぜ成功するか』の中で「全員が将来の可能性ばかりを追求するオプティミストだったら、会社は破産する」「成功している企業にはオプティミストもペシミストも必要だ」と述べている。
プロジェクトリーダーの悩み
同じ悩みにさらされているのが、企業の中でプロジェクトを任されているリーダーたちだ。
チームの「やる気」を引き出すためには「ポジティブ・シンキング」を前面に押し出したい。同時に、計画面の"抜け漏れ"をつぶすためには、ペシミスティックな視点を持つ必要がある。これまで紹介してきた「プレモータム・シンキング」はそのための方法論だ。
では、どうすればいいか。結局のところ、次の2点が重要になる。
一つは、キックオフ・ミーティングなど、プロジェクトを始める際にポジティブ・シンキングとプレモータム・シンキングの両方が必要であることを明確にメンバーに伝えることだ。
できればプレモータム・シンキングという手法を取り入れることをあらかじめ説明し納得させておくのがベストだ。
ただ、プレモータム・シンキングの考え方を紹介するのに骨が折れるという場合もある。このときには「万全を期するために、ポジティブ面だけでなく、悲観的な見方をあえて徹底してみたい」とでも言えばいいだろう。
とにかく、楽観と悲観、あえて両面から考えることで計画の遂行を盤石にしたいと強調するのだ。
もう一つは、すべての局面を2つの考え方で進めることをメンバーの全員に自身の業務遂行時の義務としてもらうことだ。
チームメンバーの一人ひとりが、自分の業務を楽観的な面で見るだけでなく、常にプレモータム・シンキングによってチェックするように強制する。こうして、プロジェクトチームの文化として、ポジティブ・シンキングとプレモータム・シンキング、両面からのチェックを確実なものにする。
士気を下げる、という批判
問題となるのが、時に「そんな悲観的な見方をするなんて、チームの士気を下げるのではないか?」といった横やりが入ってくることだ。特に、プレモータム・シンキングに馴染みのない組織では、こうした横やりがあなたの上層部から入りやすい。
日頃、社員の士気を上げることに気を配っている経営層や上位者からは、こうした懸念が示されるのは当たり前と言ってもいい。そうした観点からは「失敗を最初からイメージするなんて非常識だ」「ネガティブなことばかり考えていると士気が下がる」という考え方は当然出てくる。実際に、私もプレモータム・シンキングを紹介した経営者からはそのように言われたことがある。
しかし、成功している企業のトップほど、その人が意識しなくてもプレモータム・シンキングをしていることが多い。豊富な経験と深い洞察力を持つ人は、様々な問題点に事前に気がつき、前もって対策が打てる。だからこそ成功している人が多い。しかし、誰もが同じレベルの経験と洞察力を持ち合わせているわけではない。
だからこそ、チームで動く場合には、意識的にプレモータム・シンキングをするように仕向ける価値がある。こうすることで、深読みができ、先を見通せる人を増やす。つまり、組織全体として洞察力の底上げを図る。
独善にならないために
また、ボードメンバーに属する立場の人間が陣頭指揮を取る場合にもプレモータム・シンキングは有効に機能する。ボードメンバーというからには、楽観と悲観、両面から見ることなどお手のものだろう。逆に、それができたからボードメンバーにもなっているはずだ。
しかし、どんなに優れた人でも、時に独善に陥り、判断を誤る。さらに、経営者ともなれば、誰かに相談したくても、最終的には自分の判断を頼りにするしかない。こうした時に、意識的にプレモータム・シンキングを取り入れることで、独善の誤りを未然に防げる。
ボードメンバーや経営者がプロジェクトリーダーになると、リーダーの直感やひらめきがそのままアイデアとなり、新規事業やプロジェクトに直結しがちだ。
リーダーの直感や閃きの中にあった誤算がそのままプロジェクトの未来の失敗に直結する。チームを組み、プロジェクトを立ち上げてしまうと後戻りしにくいため、失敗の確率は高まる。
こうした時、プロジェクトチームを立ち上げる前後でプレモータム・シンキングの工程を組み込んでみるといい。
すると、いつの間にか忍び込んでいた誤算や楽観、緩みなどを第三者の冷静な目で見つけやすくなる。これは、下にいる人間の「忖度」とか「空気を読む」動きを防げるからだ。
最近ではフラットな企業も増えてきてはいるが、企業の中には雇用する側とされる側が厳然と存在する。そして何らかの評価制度がある。どんなにフラットでも、上位者と下位者のヒエラルキー構造は絶対に存在するのだ。
こうした構造の中では下位者は上位者に対して感情的な圧力を感じる。自由な意見は下から出にくいし、上に対する忖度や空気を読む動きがどうしても出てきてしまう。リーダーの出したアイデアに論理的な穴が空いていたり、間違いがあったりしても、彼らはノーと言えず指摘もできないまま同意をしてしまうことがあるのだ。ボードメンバーや経営者がプロジェクトリーダーを務める場合はなおさらだ。
ところが、リーダーから「あえて、プレモータム・シンキングをしてみよう」という明確なメッセージがあれば、その弊害を防げる。たとえリーダーから出たアイデアやプランであっても、下位者から冷静かつ合理的な批判が出しやすくなる。
さらに、シミュレーションゲームのように感じる雰囲気を作ってやれば、自由な意見はもっと出やすくなる。またリーダーにとっても、自分のアイデアやプランへの批判を受け入れやすくなる。リーダーが面子を失うことなく、下からの自由な批判や意見を受け止め、その上で修正案を全員で冷静かつ合理的に検討することができるのだ。
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