「年収の壁」の真の問題は何か

中田大悟(独立行政法人経済産業研究所上席研究員)
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 日本政治の重大論点として浮上した「年収の壁」問題。錯綜する議論を経済学者・中田大悟氏が整理、分析する。
(『中央公論』2025年2月号より一部修正して抜粋)

 2024年10月に行われた衆議院議員総選挙において、国民民主党が国民の手取り所得を増やすことを公約の柱のひとつに掲げて躍進を遂げた。とりわけ注目を集めたのは、所得税課税における基礎控除等を現行の103万円から178万円に引き上げる減税政策であった。

 国民民主党が投げかけた議論の波は、単なる減税策の範囲に収まらなかった。「103万円の壁」(これは概ね誤解に基づく)と称される、かねてから問題視されることの多かった税制の歪みの閾値(いきち)を引き上げたところで、その先にある「106万円の壁」「130万円の壁」を超えれば社会保険料負担を強制されるのだから、むしろ国民の手取り所得を減らしかねないのではないか、という論難を招いた。

 議論が複雑になる背景には、社会保険制度において、短時間労働者をできるだけ厚生年金などの被用者保険でカバーすべく、制度の適用拡大の議論が長らく続けられていたことがある。現在はその重要な制度改正の方向性が固まりつつある時期である。「手取りを増やす」という政策の方向性と、社会保障のセーフティネットの拡充という方向性が、正面からぶつかっているようにも見える。

 SNSの政治に与える影響が、本邦でもようやく可視化されつつあるなか、主要なSNSを覗き見ると、手取りを増やす基礎控除等の引き上げは有り得べき政策であり、これを阻害する社会保険制度の負担増大は忌むべきものというナラティブ(言説)が席巻している。しかし、よくよくそのような言説を眺めてみると、根拠があやふやであったり、制度理解が怪しいネット論評に依拠しているものが少なくない。

 そこで本稿では、議論となっている年収の壁にまつわるあれこれを整理してみることで、はたして何が問題で、何を解決すべきなのかについて示してみたい。


(中略)

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