『SUPER HAPPY FOREVER』でまんまと虜になってしまった五十嵐耕平監督の特集上映がK2でやっているのを横目で感じながらも中々足を運べない日々…やっと行けたと思った『夜来風雨の声』では自分のコンディションが悪かったのかウトウトしてしまう失態…頼む、せめて今年いっぱいは上映続けてくれK2!
ということで、五十嵐耕平監督作品3作品目。上映後には監督ご本人と『SUPER HAPPY FOREVER』に編集で参加されている大川景子さんのアフタートーク付きの上映とタイミングが合致!
いやー良かった。
監督の作品を観れば観るほど、好きになっていくなあ。
まず手始めにおよそどのジャンルに属する作品かを考えてみるが、早速つまづいてしまう。作品自体のその掴みどころのない独特の浮遊感のようなものと、登場人物たちの所在なさ、物語が醸し出す空気感はゆるくリンクしているように思える。ところが物語の筋からではなく、あくまでも映像の連なりから生み出される緊張感が常に同時に存在していて、全くもって緩慢ではなくむしろスリリングでもある。どこがどう面白かったかと言語化するのは容易ではないが、たしかに面白かったと確信出来る。すごく不思議な魅力を持った作品だった。いったいこんな作品を、どこからどう立ち上げたのだろう。
作品に感じたチャームポイントは数あれど、その中から個人的趣向に刺さった点をひとつ挙げるなら、建物の撮り方。
デザイン性よりも機能性にほとんどの比重を置いている公共性の高い古い建物、劇中ではゴミ処理場のようなああいった公共性の高い建物から感じる、あの独特の“固さ”のような雰囲気、その圧倒的な堅牢さのようなものに、自分が無意識下で抱いていたかもしれないフェティッシュを自覚させられるかのようだった。舞台となった場所が、まさに物語の舞台として、意味的にも映像的にも完全に作品に寄与していると思えて、そこに痺れた。
どこにでもありそうな場所で、誰にでも起こりそうなことが起こる。人間にとって大切な本質は、そんな瞬間に隠れている。
そう思わせてくれるような作品、監督が好きだ。