【本記事は『鬼滅の刃』最終巻までの内容を含みます】
『鬼滅の刃 無限列車編』で描かれた炭治郎の「無意識領域」を見て、改めて炭治郎の純粋さを感じた人は少なくないだろう。どこまでも続く水面の上に広がる青い空以外、何もない空間。しかし、その「何もなさ」にこそ炭治郎のある種の「狂気」があると、精神科医の斎藤環さんは指摘する。精神科医が見た、『鬼滅の刃』の「もうひとつの物語」とは。
「正義の被害者」と「闇落ちした被害者」の戦い
炭治郎の「狂気」について触れる前にまず、『鬼滅の刃』が描いているものについて説明しておく必要がある。本作における鬼とは、「トラウマゆえにモンスター化した人間」の隠喩である(われながら、いかにも精神科医らしいベタな解釈だとは思う)。
暴力の被害者は、時として加害者(=鬼)になることがある。対人援助の仕事に関わったものならば覚えがあるだろう。決して多くはないが、虐待やDVの被害者の中には、支援のために差し伸べた手を、肘から食いちぎりにくるものがいる。虐待や暴力によるトラウマは、まれに恐るべき加害者を作り出すことがあるのだ。この言い方が誤解を招くというのなら、逆の言い方をしてみよう。極悪非道に見える犯罪加害者の多くは、しばしば過酷な生育環境、あるいは凄惨な暴力被害の犠牲者である、ということ。
それゆえ他者のトラウマに深く関わろうとする者には、一定の「覚悟」が要求される。何度裏切られてもすべて受け入れる、という覚悟ではない。それでは単なる自暴自棄と区別がつかない。覚悟とは「もしこの一線を越えてしまったら、たとえ被害者であろうと裁く」という覚悟のことだ。ある種の罪は、許されてしまうことが地獄につながる。許さないこと、毅然として裁くことが時に救済となる可能性を、「鬼滅」は極めて説得的に描いている。