廿日市市

広島県の市
廿日市町から転送)

廿日市市(はつかいちし) は、広島県の西部に位置する日本三景のひとつである厳島を有する。

はつかいちし ウィキデータを編集
廿日市市
廿日市市旗 廿日市市章
廿日市市旗
1988年4月1日制定
廿日市市章
1988年4月1日制定
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
市町村コード 34213-1
法人番号 1000020342131 ウィキデータを編集
面積 489.49km2
総人口 112,649[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 230人/km2
隣接自治体 広島市大竹市江田島市山県郡安芸太田町
山口県岩国市
島根県益田市
市の木 サクラ
市の花 サツキ
廿日市市役所
市長 松本太郎
所在地 738-8501
広島県廿日市市下平良一丁目11番1号
北緯34度20分54秒 東経132度19分54秒 / 北緯34.34822度 東経132.33158度 / 34.34822; 132.33158座標: 北緯34度20分54秒 東経132度19分54秒 / 北緯34.34822度 東経132.33158度 / 34.34822; 132.33158
地図
市庁舎位置

廿日市市役所
廿日市市役所
外部リンク 公式ウェブサイト

廿日市市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト

概要

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弥山からみた厳島神社および対岸の阿品・地御前

広島市の西に隣接し、瀬戸内海広島湾)に面した港町である。 日本三景・「厳島(安芸の宮島)」が特に有名である。同島の厳島神社世界遺産にも指定されており、旧吉和村は豪雪地帯となっている。

市の母体は旧佐伯郡廿日市町である。廿日市は中世以来、厳島神社の造営・修繕と西中国山地産の木材の集積を基盤とした木材産業の町であり、山陽道(西国街道)の廿日市本陣を中心に発展した。 高度経済成長期以後は広島市の西のベッドタウンとして発展し、1988年(昭和63年)4月1日に単独市制施行して「廿日市市」が発足した[1]。全国で655番目の市、広島県では14番目の市(なお、合併により消滅した松永市因島市を除き、存続している市としては12番目)である。

廿日市の町は商業・工業都市の側面が濃かったが、平成の大合併によって周辺の4町村(佐伯町吉和村大野町宮島町)を編入したことで、西中国山地の豊かな自然や世界遺産にも選ばれた厳島神社を含む安芸の宮島などの新しい顔を併せもつこととなった。

都市雇用圏で全国第8位の規模を持つ広島都市圏(10%通勤圏人口約158万人)を構成する一都市である。 人口は2005年に旧宮島町・旧大野町と合併して以来ほとんど横ばい傾向(合併時約11万5000人)であるが、近年は[いつ?]微減傾向にある。これは、中心市街地の人口増と山間部の過疎化が相殺しているためである。

市制施行後の文化振興政策には一定の評価がある。例えば、市の文化ホール・はつかいち文化ホール(さくらぴあ)では人口規模の割に著名な人物・団体の公演が多く催され、出演者からも高評価を受けて新たな公演につながる好循環を生んでいる[注釈 1]。また、市名の由来である「廿日の市」という市民主体の市を毎月20日に催したり、姉妹友好都市であるニュージーランドマスタートンとの交流から、JETプログラムによってニュージーランド出身の「国際交流員」を招いて様々な活動に関わらせたりするなど、多様な取り組みが見られる。

各地の大規模合併の例に漏れず、都市基盤整備、教育・文化サービスなどの地域間格差是正が最大の課題となっている。

現在の形式のけん玉発祥の地である。

地名の由来

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本来、「廿日市(はつかいち)」という地名は現在の廿日市1丁目・2丁目付近を指す狭い地区名称であり、1889年に廿日市町が発足して以降、合併を重ねて次第に広範囲を指すようになった。

廿日市という名称は、現在の中央市民センター(天神)周辺で中世以来開かれていた「廿日(はつか)の市」に由来する。厳島神社平清盛の庇護により平安時代末期に大きく発展し、地域に影響力をもったが、鎌倉時代に入ると承久の乱に伴う権力争いの中で貞応年間(1222年 - 1224年)に火災で社殿を焼失した。鎌倉幕府の命により厳島神社を再建するために対岸の地域(現在の廿日市市廿日市周辺)に多くの鋳物師たちが移り住んだことから、木材等の生活物資・再建物資の集積が始まった。 厳島神社の年4回の祭礼の最終日がいずれも20日であったことから、早くも鎌倉時代中期には毎月20日に市が立つようになり、二十日の市=「廿日市」という名称が徐々に定着していったと思われる。

当時、この地域一帯は「佐西(ささい)の浦」と呼ばれていたと考えられている。1370年(応安3年)、今川貞世九州探題として大宰府に下向する際に記した紀行文『道ゆきぶり』の中に、貞世が「かひだとかやいひける浦」(現在の安芸郡海田町)を通って「佐西の浦」(佐西郡の海岸、現在の広島市佐伯区五日市から廿日市市串戸付近)から宮島へ参詣し、「地の御前」(現在の廿日市市地御前)から山道に入って周防国へ向かう旨の記述がある。

廿日市という地名の初出は1454年(享徳3年)である。山口県柳井市の賀茂神社に残された当時の詫び状に、同神社の梵鐘(享徳3年頃鋳造)の鋳工「廿日市ひかしかり屋三郎次郎」の名が見える。

現在も日本各地に残る「○日市」という地名は安土桃山時代以降盛んになった市に由来するものが多く、鎌倉時代に市立てされたことが確認されている廿日市は、現存する最も古い「市」地名の一つとされる。

一日市から十日市までは各地に見られるが(市場を参照)「廿日市」は珍しく、2023年1月時点で住所表記に記載がある地名としては「廿日市」は当市が唯一の例である。かつて愛媛県内子町に廿日市地区があったが、住所表記上は同町内子となっている。

地理

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廿日市市中心部周辺の空中写真。
2008年5月21日撮影の5枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

位置

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広島県の西部に位置する。 北部は西中国山地の脊梁部で島根県山口県とも境を接し、南は瀬戸内海(広島湾)の穏やかな海岸線が続く。 沿岸部は都市化が進む一方、内陸の農村地帯は過疎化の進行が著しい。

特定外来生物に指定されているアルゼンチンアリが1993年に市内の木材港(広島港廿日市地区)周辺において、アジアで初めて個体が採取された。 その後、日本各地に拡散・定着している。廿日市市においても生態系や住環境への被害拡大が深刻である。

地形

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山岳

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主な山
  • 安芸冠山(1,339メートル、吉和) - 広島県第2位の標高がある。「吉和冠山」ともいい、単に「冠山」といえばこの山を指すことが多い。山頂からの眺望の良さから、西中国山地の中でも人気のある山である。中下流部に広島平野を抱える太田川の源流であり、林野庁から水源の森100選に選定されている。
  • 弥山(535メートル、宮島町) - 宮島にそびえる山。古来より信仰の対象とされてきた。山中には806年(大同元年)に弘法大師が護摩行をした火を絶やさず燃やすという「消えずの霊火堂」など、「弥山七不思議」という伝承が伝わる(弥山を参照)。宮島ロープウェーで気軽に山頂の近くまで登ることができ、眺望がよい。元旦には初日の出参りの人で特に賑わう。
  • 大峯山(1,040メートル、玖島) - 広島市街地から一番近い千メートル峰で、登山道が整備されている。「佐伯富士」の異名を持つ。
  • 極楽寺山(693メートル、原) - 山頂に真言宗の古刹・極楽寺がある。広島地方気象台が発表する「広島の初冠雪」とは、その冬初めて極楽寺山が雪化粧していると麓から観測したことを指す[2]
  • 野貝原山(719メートル、明石) - なだらかな頂上一帯はかつてのうが高原として開発されたが、後に廃墟となる。電波中継所がある。

河川

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主な川

気候

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沿岸部(廿日市・大野・宮島)

瀬戸内海式気候に属し、年間を通して温暖・少雨である。

市の年平均気温は15.2℃、年降水量の平年値は1554.6ミリ[3]。これは廿日市小学校校庭(四等三角点)の計測値である。

雨は梅雨期と台風接近時に集中する。積雪は沿岸部では少ない。夏の夕方には、日中の海風と夜間の陸風の交替による「夕凪(ゆうなぎ)」という無風状態が顕著に起こる。暑さ・日差し・高い湿度に加えて、2時間から3時間以上もまったくの無風状態が続くのが、周辺では夏の風物詩になっている。

佐伯地区

沿岸部と吉和地区の中間にある中山間地域であり、冷涼多雨の傾向にある。

地区の中心である津田には、気象庁アメダス観測機器が設置されているが、梅雨末期や台風接近時にはしばしば、1時間降水量や1日降水量などで周辺より突出した値を観測している(アメダス「廿日市津田」の観測史上最大1時間降水量は、1987年(昭和62年)9月11日の87ミリ。最大日降水量は、2005年(平成17年)9月5日の346ミリ)。

吉和地区

内陸部にある吉和地区は、市内で唯一日本海側気候に属する。吉和地区は沿岸部に比べて月別平均気温が5℃以上低く(月平均気温は1月がマイナス2.0℃、8月が22.3℃[4])、豪雪地帯対策特別措置法の定める「豪雪地帯」でもある(ちなみに、吉和地区が「豪雪地帯」の日本最南端[5])。1963年(昭和38年)のいわゆる三八豪雪では、1月31日に吉和集落で積雪197cmを記録した[6]

降水量は市内で最も多く、平年値は2194.6ミリとなっている。

廿日市津田(1991年 - 2020年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 17.2
(63)
19.8
(67.6)
22.8
(73)
29.1
(84.4)
31.5
(88.7)
33.0
(91.4)
37.4
(99.3)
36.7
(98.1)
35.4
(95.7)
29.4
(84.9)
24.5
(76.1)
19.5
(67.1)
37.4
(99.3)
平均最高気温 °C°F 6.7
(44.1)
8.1
(46.6)
12.2
(54)
18.1
(64.6)
23.1
(73.6)
25.8
(78.4)
29.3
(84.7)
30.7
(87.3)
26.9
(80.4)
21.3
(70.3)
15.3
(59.5)
9.2
(48.6)
18.9
(66)
日平均気温 °C°F 1.5
(34.7)
2.4
(36.3)
5.9
(42.6)
11.4
(52.5)
16.5
(61.7)
20.3
(68.5)
24.2
(75.6)
25.0
(77)
21.0
(69.8)
14.8
(58.6)
8.8
(47.8)
3.5
(38.3)
12.9
(55.2)
平均最低気温 °C°F −2.9
(26.8)
−2.6
(27.3)
−0.1
(31.8)
4.6
(40.3)
9.9
(49.8)
15.4
(59.7)
20.1
(68.2)
20.6
(69.1)
16.2
(61.2)
9.2
(48.6)
3.2
(37.8)
−1.2
(29.8)
7.7
(45.9)
最低気温記録 °C°F −11.7
(10.9)
−13.7
(7.3)
−8.4
(16.9)
−4.8
(23.4)
−0.7
(30.7)
5.8
(42.4)
10.5
(50.9)
12.5
(54.5)
3.3
(37.9)
−2.2
(28)
−4.6
(23.7)
−10.6
(12.9)
−13.7
(7.3)
降水量 mm (inch) 64.5
(2.539)
80.4
(3.165)
144.6
(5.693)
180.0
(7.087)
212.1
(8.35)
270.0
(10.63)
343.0
(13.504)
189.8
(7.472)
210.8
(8.299)
116.7
(4.594)
82.0
(3.228)
69.8
(2.748)
1,948.7
(76.72)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 8.6 9.6 11.0 10.0 9.4 12.6 12.3 10.0 10.0 7.2 7.7 8.9 117.6
平均月間日照時間 116.9 127.6 165.0 189.2 210.0 143.3 149.8 183.3 151.9 167.6 142.2 124.5 1,874
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[7]

地域

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住宅地

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人口

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廿日市市は住宅団地の開発・分譲により人口が増加してきたが、2010年代においてはほぼ横ばいである[8]

 
廿日市市と全国の年齢別人口分布(2005年) 廿日市市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 廿日市市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
廿日市市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 57,218人
1975年(昭和50年) 65,284人
1980年(昭和55年) 76,592人
1985年(昭和60年) 89,034人
1990年(平成2年) 101,630人
1995年(平成7年) 112,591人
2000年(平成12年) 114,981人
2005年(平成17年) 115,530人
2010年(平成22年) 114,038人
2015年(平成27年) 114,906人
2020年(令和2年) 114,173人
総務省統計局 国勢調査より


旧5市町村の人口推移(国勢調査[8][9][10]
  廿日市町/旧廿日市市
  5市町村合計/廿日市市

隣接自治体・行政区

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 広島県
 山口県
 島根県

歴史

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先史

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旧石器時代

現在の廿日市市域に人が居住しはじめたのは有史以前の時代のことである。市域では旧石器時代の遺跡として、冠遺跡と頓原遺跡(いずれも吉和地区)、神宮原遺跡[11](佐伯地区)などが見つかっている。 また、速谷神社(上平良地区)境内からは旧石器時代末期から縄文時代初めごろとされる安山岩製の槍先型石器が採集されている[12]ほか、厳島の北西岸の下室浜では後期旧石器時代のナイフ形石器が出土している(厳島を参照)。

縄文時代

縄文時代には海面の上昇(縄文海進)とともに瀬戸内海が形成され、沿岸部に人が居住していた。 地御前南町遺跡[13](地御前地区)からは黒曜石の石器が出土しているが、これは海を隔てておよそ100キロメートル南西にある国東半島の姫島産のもので、遠隔地とも交流があったと見られている。 土器は九州地方の影響を受けたものも多い。このほか上平良や内陸部の原地区[12]、大野瀬戸沿いの大野地区[14][15]にも縄文時代の遺跡があるほか、厳島の沿岸部にも、複数の縄文遺跡が存在している[16]

弥生時代

北部九州に稲作技術が伝えられるとほどなくしてこの地域でも稲作が始まった。丸小山遺跡[12](峰高地区)の遠賀川式土器はそのことを裏付ける典型的な西日本の弥生土器である。 また極楽寺山尾根筋の標高260メートル付近にある高尾山遺跡[12]は典型的な弥生時代後期の高地性集落遺跡で、水も引けず耕作に適さないことから海上を見張る役割を果たしていたと考えられている。この高尾山遺跡のほか、上平良地区から原地区、宮内地区にかけては堤上遺跡、河野原遺跡(1 - 5号)、広池山1号・2号遺跡(宮園団地造成に伴い消滅)、極楽寺二三丁遺跡、風呂谷遺跡、扇平遺跡、長谷1号遺跡など、農耕には適さない高地性集落遺跡が多く見つかっている。

大野地区高畑で大正時代末に発見された「高畑貝塚」からは、海産の貝殻と共に土器片、石鏃、獣や人の骨が出土している[17]。 旧大野町文化財協会の出版物[18]には「当時の京都大学人類学教室の清野謙次教授の鑑定によると、人骨は約二千年前の若い女の骨で(中略)土器は弥生式土器でありました」とあり、長らく縄文から弥生期の貝塚と見なされているが、清野教授の当該論文[17]には「土器は小破片である為によく分かり兼ねるが、恐らく縄文土器系統のものであって、末期に位するものらしい。(中略)人骨は小児骨と完全に近い熟年の頭骨(顔面骨及下顎骨を欠く)である。いづれも貝層中から出て来たものであると云ふが、頭形に於て多少の疑義がある、日本石器時代の人骨であるか、或は貝塚に後世墓地があって後世人骨が出て来たものなるや判然しない」とあり、鑑定結果が不明瞭であったことが分かる。大野地区では江戸期の貝塚である「郷貝塚[19]」など、中世から近世のものと見られる貝塚が複数確認されており、高畑貝塚も新しい時代の貝塚、あるいは複合遺跡であった可能性が考えられる。

古代

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飛鳥時代

この地域がヤマト王権の支配下に入ると、部民制のもと佐伯部がおかれた。一帯は佐伯郡(さへきのこほり)として安芸国に組み込まれた。佐伯部は東国人の捕虜を播磨讃岐伊予安芸阿波の5か国に移住させて品部として設定したもので、在地の豪族が「佐伯直」や「佐伯造」となって伴造として業務を管掌していた。これらの豪族は畿内の有力豪族である佐伯連(後に宿禰)に管掌されており、この地域は間接的に天皇・畿内に連なる部民であった。またこの地域の佐伯直は、後に厳島神主家となった。

伝承によると、推古天皇元年(593年)に豪族の佐伯鞍職が神託を受け、勅許を得て厳島の御笠浜に社殿を創建した(「厳島神社縁起」)とされ、これが厳島神社の由来という。 文献の初出は811年(弘仁2年)に名神に列したというもので、927年(延長5年)には『延喜式神名帳』において名神大社に列せられている。以後、廿日市市域の歴史は厳島神社の動向に大きく左右されることになる。

平安時代

佐伯郡の郡衙(役所)は現在の広島市佐伯区利松あたりにあり、種箆(へら、現在の廿日市市下平良)という郷名が承平年間(931年 - 938年)の「和名類聚抄」に見える。律令制実施後は五畿七道山陽道(古代山陽道)が平安京から太宰府に通じる大路として整備され、市域には種箆と濃唹(おおの、現在の廿日市市大野高畑)という2箇所の駅家があった。

1146年(久安2年)、平清盛安芸守に任ぜられ、高野山の高僧から「安芸の厳島神社を修繕すれば、並ぶ者なき官位と栄華を手に入れられよう」と預言されて厳島神社の修繕を決意し、1168年(仁安3年)には海上に浮かぶ壮麗な寝殿造の社殿を造営する。 摂津国四天王寺からは舞楽を移し入れ、多くの武士や貴族が甲冑刀剣、鏡面を奉納するなど京の文化が多く流入した。 中でも「平家納経」は、経文の装飾のみならず経箱・唐櫃に至るまで絢爛豪華な装飾が施されており、平安時代の工芸を今に伝える第一級史料とされる。

12世紀後半には清盛の庇護のもと、佐伯郡内でも平良荘・宮内荘(廿日市市宮内)・大竹・小方(大竹市小方)・川内・寺田・保井田・佐々利別府・石道村・久島郷(廿日市市玖島)・吉和村(廿日市市吉和)などに厳島神社社領が加増されていった。

中世・近世

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中世には廿日市周辺は厳島神社領であった。友田興藤大内氏に敗れて以降は、大内氏、陶晴賢に支配され、厳島の戦いの後に毛利氏の支配下となった。その後は広島藩領となった。江戸時代には西国街道の廿日市宿が置かれて栄えた。1802年の旅行記『筑紫紀行』には「人家千軒ありといへり、おほくは瓦葺にて宿屋茶屋多く町長し」とある[20]。幕末の長州戦争では現在の市の西部が戦場になった[21]ほか、長州藩の進軍を止めるためとして、広島藩によって廿日市の宿場町が焼き払われた[22]

近代

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明治時代

近現代

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昭和時代
  • 1947年(昭和22年)12月5日 - 昭和天皇の戦後巡幸。宮島口駅でお召し列車を下車後、宮島に渡り岩惣旅館に宿泊。翌日は広島市へ向かった[23]
  • 1956年昭和31年)9月30日 - 廿日市町・平良村原村宮内村地御前村が合併して新たに廿日市町が発足。
  • 1957年(昭和32年)6月10日 - 五日市町佐方の一部区域を編入。
    • 高度経済成長期以降、広島市に隣接する五日市町と西隣の廿日市町は、ともに広島市のベッドタウンとして急速に発展を遂げた。五日市町は1980年国勢調査で、廿日市町は1985年国勢調査で、それぞれ人口日本一の町となっている。両者は人口増に伴う都市基盤整備の議論の渦中におかれ、五日市町は広島市との合併を選択して、1985年(昭和60年)3月、旧町域全域を区域とする「広島市佐伯区」が発足した。当初は廿日市町も佐伯区に編入するとの案があったが、廿日市町は単独市制を選択したため立ち消えになった。
  • 1988年(昭和63年)4月1日 - 市制施行し、廿日市市が発足。当初は面積47.89平方km、人口約58,000人(1985年国勢調査では52,020人)のコンパクトな市であった。

現代

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平成

行政

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市長

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  • 市長:松本太郎(2019年11月3日就任、2023年10月無投票再選、2期目)
    前市長:眞野勝弘(2007年 - 2019年)は前々市長山下三郎に続き、推薦政党は自民民主公明社民新社会党と、共産党を除くほぼ全ての政党であった。これは前職の山下が元々社会党所属だったことが影響している。革新色の強い新社会党が自民党と同じ候補を支援するのは全国的にも珍しかった。
  • 副市長(任期 いずれも2024年1月1日から4年[24]
    • 原田忠明(再任[24]
    • 村上雅信(前・廿日市市役所生活環境部長)[24]
  • 教育長:生田徳廉(令和3年4月1日 - 令和6年3月31日)[25]

役所

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廿日市市庁舎のほか、旧宮島町・旧大野町・旧吉和村・旧佐伯町に支所を置いている。

廿日市市庁舎 複合施設
支所画像

議会

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市議会

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  • 定数:28人
  • 任期:2021年4月1日 - 2025年3月31日
  • 議長:新田茂美(新政クラブ)
  • 副議長:広畑裕一郎(成蹊21)
会派の構成

(2023年11月2日[26]

会派名 議席数 議員
新政クラブ 9 岡本敏博、濱本紀洋、坂本和博、梅田洋一、向井恵美、北野久美、井上佐智子、佐々木雄三、新田茂美
成蹊21 5 栗栖俊泰、広畑裕一郎、林忠正、徳原光治、高橋みさ子
クラブみらい 5 山口三成 、佐々木由華、枇杷木正伸、中島康二、堀田憲幸
無会派の会 5 山下竜太郎、吉屋智晴、水野善丈、田中憲次、山田武豊
公明党 3 大崎勇一、山崎英治、隅田仁美
日本共産党市議団 1 大畑美紀

衆議院

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当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
平口洋 73 自由民主党 133,126票
大井赤亥 40 立憲民主党 70,939票

官公庁

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国家機関

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法務省
財務省
厚生労働省

上記3出先機関は、いずれも廿日市地方合同庁舎(廿日市市新宮一丁目15番40号)に入居している[27]

施設

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警察

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本部
交番
  • 宮内交番(廿日市市宮内)
  • 地御前交番(廿日市市地御前五丁目)
  • 阿品台交番(廿日市市阿品台四丁目)
  • 大野交番(廿日市市梅原一丁目)
  • 宮島口交番(廿日市市宮島口一丁目)
  • 宮島交番(廿日市市宮島町)
駐在所
  • 平良駐在所(廿日市市上平良)
  • 友和駐在所(廿日市市友田)
  • 津田駐在所(廿日市市津田)
  • 吉和駐在所(廿日市市吉和)

消防

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本部

旧吉和村域は広島市消防局へ委託している。

消防署
  • 廿日市消防署
    • 西分署

医療

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主な病院

郵便

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区内の郵便物の集配は市内にある3つの郵便局(一部地域は大竹市にある大竹郵便局)で行っている。

主な郵便局

郵便番号は以下の通り。

図書館

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主な図書館
  • はつかいち市民図書館 - 下平良。市庁舎や文化ホール「さくらぴあ」等と一体化した複合施設である。
  • はつかいち市民大野図書館 - 大野。合併前は大野町立図書館。
  • はつかいち市民さいき図書館 - 津田。合併前は佐伯町立図書館。

文化施設

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美術館

交流施設

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多目的ホール

運動施設

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メディア

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対外関係

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姉妹都市・提携都市

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海外

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姉妹都市
提携都市

経済

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木材港(広島港廿日市地区)は西日本有数の木材専門港であり、周辺では輸入木材に関連した住宅産業、家具関連産業が盛んである。

また、以前はけん玉作りも盛んで、最盛期には日本国内で40%のシェアを占めていた[31]

第一次産業

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漁業

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瀬戸内海の豊かな恵みを受けた近海漁業が盛んである。 特にカキ養殖(広島かき)は非常に盛んで、「カキいかだ」は周辺の風物詩となっている。 地御前地区の「地御前かき」は全国的なブランドとして知名度が高い[32]。また大ぶりな「大野のアサリ」も人気がある。

第二次産業

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工業

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市内に本社をおく主な企業としては、ウッドワンチチヤスマルニ(木工家具大手)、サクラオブルワリーアンドディスティラリー広島醤油フジマートバッケンモーツアルト(本店は広島市中区)などがある、またフマキラーが本店(本社は東京都千代田区)および工場を置いている。 また、デオデオが2000年代に本社を移転し、エディオンになってからも主要拠点を引き続き置いている(登記上本店は広島市中区)。 その他、広島が発祥のカルビー(本社は東京都千代田区)広島工場、中国新聞社広島工場(広島ちゅーぴーパーク。中国新聞朝日新聞日刊スポーツデイリースポーツなどを印刷)などがある。

旧大野町時代には、サントリーの工場も存在した。

第三次産業

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商業

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主な商業施設

店舗面積が5,000平方メートルを超えるものについて記述する[33]

  • フジグランナタリー - 1999年7月10日に開店したコミュニティ型ショッピングセンター(CSC)。JR阿品駅とペデストリアンデッキで直結しており、ヒロシマナタリー跡地再開発事業で生まれたナタリーマリナタウンの中核施設となっている。13,014m2
  • tina court(ティナコート) - 新宮。2008年11月19日に開店した。スーパーマーケットのアルク廿日市店(運営会社は山口県丸久)、家電店のエディオンなどで構成される複合商業施設である。10,586m2
  • ザ・ビッグ宮内店 - 1985年11月30日、みどり宮内店として開店したスーパー。5,782m2
  • ゆめタウン廿日市 - 2015年6月11日グランドオープン。市役所・合同庁舎・郵便局・防災拠点等が集積する廿日市市シビックコア地区に開業したコミュニティ型ショッピングセンター(CSC)。店舗面積は約50,000m2と広大で、アルパーク西棟・東棟(広島市西区、計47,069m2)やゆめタウン広島(38,700m2)よりも大きく、中国地方でもイオンモール倉敷(82,000m2)・イオンモール広島府中(64,500m2)に次ぐ規模の大型商業施設。店舗数は201店舗、従業員数2,200人(うち新規雇用1,700人)が見込まれ、地域への経済効果が期待される。
かつて存在した商業施設
  • ヒロシマナタリー - 阿品。1974年(町制時代)に開園し、1996年3月に閉園した遊園地。広島都市圏を代表する遊園地の一つであった。現在、跡地に建つショッピングモール「フジグランナタリー」及び住宅地「ナタリーマリナタウン」として、名を留めている。
  • チチヤスハイパーク - 大野。チチヤス乳業が経営する遊園地であったが、中国新聞社に譲渡され「ちゅーピーパーク」として再出発した。遊泳施設「チチヤスダイヤモンドプール」は、ほぼそのまま「ちゅーピープール」として営業している。
  • のうが高原 - 野貝原山に1965年から1986年まで存在した。
  • サントリーバードサンクチュアリ - 旧大野町時代に、サントリーの工場に隣接して存在した。
  • イオン廿日市店 - 地御前。1972年にニチイ廿日市ショッピングセンターとして開店し、1991年に廿日市サティ、2011年にイオンと運営母体を変えつつ地域の商業拠点として根付いていたが、2014年3月に施設老朽化のため閉店した。9,009m2

観光業

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「安芸の宮島」の名で知られる厳島(宮島地区)は、世界遺産「厳島神社」のほか国宝や国の特別天然記念物など文化財・自然遺産を数多く抱え、年間を通じて多彩な行事に彩られる世界的な観光地である。宮島口桟橋の駅舎には多数の看板が掲げられているなど、世界遺産に相応しくない状態も見られ、景観への課題は残る。

沿岸部ではマリンスポーツ釣り海水浴など、瀬戸内海の特長を生かしたレジャー産業が盛んである。他方で北部の吉和地区においては、800メートルから1200メートルの標高を生かしたスキースノーボードの冬季スポーツや夏の高原レジャーが盛んである。

生活基盤

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ライフライン

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電信

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市外局番

市外局番はほぼ全域が0829(廿日市MA。市内局番は20、30 - 40、44 - 59、70 - 89)。

例外は旧大野町のうち下灘、鳴川両地区と、同じく経小屋の一部、猪ノ打の一部、旧佐伯町の浅原中山の一部で、大竹市と同じ0827(市内局番は52 - 59)である。0827は山口県岩国MAの局番なので、他地区からこの例外地区にかけると、同じ廿日市市内でありながら県外通話扱いということになる。

なお、かつて同じ0829(旧・五日市廿日市MA)だった旧五日市町地域(現・広島市佐伯区)は現在082-9**-****(広島MA)で、市外通話扱いとなっている。一方で旧湯来町地域は廿日市MAのため、今は広島市佐伯区の一部でありながら、廿日市市からは市内通話扱いとなる。

教育

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大学

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私立

短大

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私立

高等学校

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県立
私立

中学校

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市立

小中一貫校

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市立

小学校

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市立

特別支援学校

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県立

交通

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鉄道

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中心となる駅はJR山陽本線廿日市駅。ただし利用者総数が最も多いのは宮内串戸駅である[34][35]

新幹線

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市内に駅は存在しない。山陽新幹線広島駅 - 新岩国駅間で当市を通過するが、トンネル区間が多い。

鉄道路線

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西日本旅客鉄道(JR西日本)
広島電鉄(広電)

索道

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広島観光開発
  • 宮島ロープウェー:紅葉谷駅 - 榧谷駅 - 獅子岩駅

バス

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路線バス

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コミュニティ交通

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廿日市さくらバス

道路

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高速道路

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国道

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その他の道路

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(広島県道30号廿日市佐伯線を除く主要地方道および一般県道の市内の区間の維持管理権限は、2008年(平成20年)6月に広島県から廿日市市へ移管)

道の駅

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航路

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港湾

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船舶

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宮島航路
JR西日本宮島フェリー
宮島連絡船宮島口桟橋 - 宮島桟橋
宮島松大汽船
宮島航路: 宮島口桟橋 - 宮島桟橋
瀬戸内シーライン
広島・元宇品〜宮島航路:広島港(宇品) - グランドプリンスホテル広島前 - 宮島港3号桟橋
アクアネット広島
ひろしま世界遺産航路:元安桟橋(広島平和公園) - 宮島港3号桟橋
大野宮島航路:大野桟橋[43] - 宮島港3号桟橋
宮島口宮島航路:宮島口桟橋 - 宮島港3号桟橋
瀬戸内海汽船
宮島・呉ブルーライン(4-11月の土日祝限定運航):宮島港 - 呉港

船舶で宮島を訪れる人の数は、上記のほかチャーター便などもあわせて年間283万人以上(2006年)にのぼる[44]

観光

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百選

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名所・旧跡

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廿日市地区
桜尾城跡(桂公園) - 小早川隆景居城。その後、城主のひとり桂元澄の子孫桂太郎が土地を買収して寄贈したことで桂公園の名前が付けられている。
篠尾山-廿日市天満宮
洞雲寺 - 陶晴賢墓所
速谷神社
地御前神社
極楽寺山・極楽寺
アルカディアビレッジ
佐伯地区
岩倉温泉
小瀬川温泉
吉和地区
もみのき森林公園、もみのき森林公園スキー場
女鹿平温泉女鹿平温泉めがひらスキー場
クヴェーレ吉和
ウッドワン美術館
潮原温泉
宮島地区
日本三景「安芸の宮島」
元来は、弥山の山頂から望む多島海の景観が「日本三景」。
厳島神社および弥山原生林(世界遺産
宮島水族館
大聖院
大野地区
妹背(いもせ)の滝
おおの自然観察の森
ちゅーピーパーク
中国新聞社広島工場。中国新聞朝日新聞(中四国向けの大阪本社版と山口県東部向けの西部本社版を印刷)、日刊スポーツデイリースポーツなどを印刷。旧チチヤスハイパーク
宮浜温泉
宮島競艇場

文化・名物

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名産・特産

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廿日市地区
けん玉カキ地御前かき)、醤油コイ
吉和地区
わさびあわび茸
宮島地区
もみじ饅頭しゃもじ宮島細工
大野地区
アサリ大野あさり

方言

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全域で広島弁(安芸方言)が使われる。都市化により、他地域から転入してきた住民も増えてきてはいるが、彼らの多くがほどなく日常生活で広島弁を使いはじめるほど、広島弁の影響が強い。 なお、近接する山口弁(とくに岩国市などの山口東部方言)の影響も受けており、廿日市市内を西へ行くほどその影響が濃くなる。

廿日市市で用いられる山口弁の語彙の例
「せんない(仕方がない、面倒くさい)」「〜しちょる(〜している)」「ぶち(とても)」
それぞれ、広島弁の「たいぎい」「〜しとる」「ばり」に対応するが、ニュアンスが微妙に異なるために両方の語彙が混在している。

スポーツ

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野球

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バスケットボール

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サッカー

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出身関連著名人

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出身著名人

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政財界・法曹界
学術・文化・芸術界
音楽・芸能界・アナウンサー
スポーツ選手

ゆかりのある人物

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廿日市市を舞台とする作品

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文学

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音楽

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  • 夕陽の笛 - 作詞:石本美由紀、作曲:木下忠司、歌:ひばり児童合唱団(1969年)
  • 安芸の宮島 - 作詞:仁井谷俊也 / 作曲:弦哲也 / 編曲:前田俊明 / 歌:水森かおり(2009年)
  • 宮島街道 - 作詞:おきせてる美 / 作曲・歌:坪北紗綾香 / 編曲:加藤健一(2010年)
  • 桜と空に折り鶴を〜はつかいち平和の歌〜 - 作詞・作曲:植広佳巳 / 歌:四季が丘小学校合唱団&ムジークシュトラーセン(2012年)
  • 明日へ羽ばたけ はつかいち〜はつかいち音頭〜 - 作詞:三宅立美 / 作曲:田中一夫 / 歌:北川ひろし(2013年)

映画

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ドラマ

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脚注

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注釈

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  1. ^ これには、広島市内の主要なコンサート会場がいずれも音響面で必ずしも良い評価を受けていないことも関係していると考えられる[独自研究?]
  2. ^ 「738-03xx」地域は元・吉和郵便局管轄。2006年に吉和郵便局の無集配局化に伴って佐伯郵便局へ移管。
  3. ^ 「739-05xx」地域は元・宮島郵便局管轄。1995年に宮島郵便局の無集配局化に伴って大野郵便局へ移管。

出典

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  1. ^ 昭和最後に市制施行した市となった。
  2. ^ 広島地方気象台/季節現象
  3. ^ 廿日市市国民保護計画 第1章総論
  4. ^ よしわナビ(廿日市市観光協会吉和支部)より
  5. ^ 国土交通省「豪雪地帯の地域指定図」
  6. ^ 『吉和村誌 第一集』(p.46)
  7. ^ 廿日市津田 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2024年3月22日閲覧。
  8. ^ a b 廿日市市まち・ひと・しごと創生人口ビジョン
  9. ^ a b c d 国勢調査 - 広島県ホームページ
  10. ^ a b 国勢調査 - 廿日市市ホームページ
  11. ^ 藤野次史「広島県佐伯郡佐伯町神宮原遺跡採集の遺物」『旧石器考古学』43 (1991) 旧石器文化談話会
  12. ^ a b c d 『廿日市町史 通史編(上)』 廿日市町 1988
  13. ^ 河瀬正利「広島県佐伯郡廿日市町地御前南遺跡出土の遺物について」『広島大学文学部帝釈峡遺跡群発掘調査室年報VII』(1984) 広島大学文学部帝釈峡遺跡群発掘調査室
  14. ^ 中越利夫「大野瀬戸周辺の遺跡・遺物 (1)」『内海文化研究紀要』第23号 (1994) 広島大学文学部内海文化研究施設
  15. ^ 『財団法人広島県教育事業団発掘調査報告書第15集 大野郷遺跡 大野町中央地区土地区画整理事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告書』 (財)広島県教育事業団 2006
  16. ^ 古瀬清秀他「厳島における考古学的踏査とその検討 (1)-(4)」『内海文化研究紀要』第34-37号 (2006-2009) 広島大学大学院文学研究科付属内海文化研究施設
  17. ^ a b 清野謙次「安藝國佐伯郡大野村高畑貝塚」 『日本石器時代人研究』 岡書院 1928
  18. ^ 大島忞『大野町文化財協会シリーズ第三集 ふるさとの歴史散歩』 大野町文化財協会 1984
  19. ^ 『広島県埋蔵文化財調査センター調査報告書第48集 郷貝塚発掘調査報告書』 (財)広島県埋蔵文化財調査センター 1986
  20. ^ 廿日市宿 コトバンク 2024年5月30日閲覧。
  21. ^ 残念社 一般社団法人はつかいち観光協会 2024年5月30日閲覧。
  22. ^ 幕末の廿日市町屋の悲劇 廿日市市郷土文化研究会 2024年7月29日閲覧。
  23. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、100頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  24. ^ a b c 副市長に新たに村上雅信氏 廿日市市議会が選任案同意”. 中国新聞デジタル (2023年12月21日). 2024年3月15日閲覧。
  25. ^ 教育長と教育委員の紹介”. 廿日市市 (2023年11月13日). 2024年3月22日閲覧。
  26. ^ 議員名簿 会派別 - 広島県廿日市市”. 廿日市市議会事務局 (2023年11月2日). 2024年2月13日閲覧。
  27. ^ 地方合同庁舎が落成 国の3機関一カ所に - 西広島タイムス 2008年10月17日付
  28. ^ 廿日市市が米ハワイ郡と姉妹都市協定 明治時代に移住”. NHK. 2024年5月3日閲覧。
  29. ^ 中国新聞2009年5月17日付「世界遺産PRへ日仏連携 厳島神社で調印式」
  30. ^ 西広島タイムス2009年5月22日号「廿日市市と仏のモン・サン=ミッシェル 世界文化遺産有する両市が観光友好都市提携 」 Archived 2010年1月13日, at the Wayback Machine.
  31. ^ けん玉 - はつかいち旅ナビ
  32. ^ 地御前かき 全国旅行情報サイト「ジャパン・ヨンナナ・ゴー」 2023年7月25日閲覧。
  33. ^ 面積データは社団法人日本ショッピングセンター協会 都道府県別SC一覧(PDF)
  34. ^ 廿日市市国民保護計画 p.11(PDF)
  35. ^ 廿日市市統計書(2010年版)H.運輸・通信(PDF)。JRは乗車人数、広電は利用者総数のため注意。
  36. ^ バス情報 路線バス 広電バス
  37. ^ 石見交通株式会社
  38. ^ 宮島口空港線 ひろでんモビリティサービス
  39. ^ 吉和での自家用有償旅客運送事業「ほっとバス」 廿日市市
  40. ^ 楽々キャブ 大野第一区ホームページ
  41. ^ 宮島島内での移動 はつたび 広島県廿日市市観光公式サイト
  42. ^ 大竹・栗谷線バス 大竹市
  43. ^ 宮島大野航路”. アクアネット広島. 2011年11月17日閲覧。
  44. ^ 廿日市市統計書(2007年版)H.運輸・通信
  45. ^ 檜山修之(ひやまのぶゆき)の解説”. goo人名事典. 2020年11月3日閲覧。
  46. ^ 管絃祭 ひろしま文化大百科 2023年6月2日閲覧。
  47. ^ 厳島 新潮社 2023年6月2日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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