大庭長九郎
実業家
大庭 長九郎(おおば ちょうくろう、1840年(天保11年6月[1][2])- 1909年(明治42年)11月15日[1][2][3])は、明治期の政治家、実業家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。諱・実次[3][4]。
経歴
編集陸奥国栗原郡堀口村[4](宮城県栗原郡姫郷村、志波姫村字藤木[5]、志波姫町を経て現栗原市)の農家に生まれる。金融業により一代で富を築いた[4][5]。養蚕、製糸を奨励し地域の振興に尽力した[3][4][5]。宮城商業銀行監査役[1]、築館税務署営業税調査係顧問[2]、日本赤十字社特別社員[2]なども務めた。
1889年(明治22年)志波姫村長に就任[1][2][4]。栗原郡会議員にも選出され、1890年(明治23年)宮城県会議員に就任した[1][2][4][5]。
1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙に宮城県第四区から出馬して当選し[5]、その後、第5回総選挙でも再選され衆議院議員を通算2期務めた[2]。また、1908年(明治41年)補欠選挙[6]で宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され[5]、同年10月2日[7]から1909年(明治42年)7月19日[8]まで在任した[1]。