林博太郎
日本の教育学者
林 博太郎(はやし ひろたろう、1874年(明治7年)2月4日 - 1968年(昭和43年)4月28日)は、明治時代から昭和時代にかけての日本の教育学者、実業家、政治家。伯爵、文学博士。
人物情報 | |
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生誕 |
1874年2月4日 東京府芝(現・東京都港区) |
死没 | 1968年4月28日(94歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京帝国大学文科大学 |
配偶者 | 峰(先妻・園田孝吉長女)、ふき(後妻・田島竹之助長女) |
両親 | 荘三(父) |
学問 | |
研究分野 | 教育学 |
研究機関 |
学習院 東京高等商業学校 東京帝国大学文学部 |
学位 | 文学博士(日本・1919年) |
主要な作品 |
『欧米対照 修身科新教授法』(1917年) 『最近心理学参照 教育学十講』(1925年) 『国民学校原義』(1941年) |
学会 |
哲学会 明治聖徳記念学会 |
主な受賞歴 | 帝都復興記念章 |
林 博太郎 はやし ひろたろう | |
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生年月日 | 1874年2月4日 |
出生地 |
日本 東京府東京市芝 (現東京都港区) |
没年月日 | 1968年4月28日(94歳没) |
出身校 |
東京帝国大学文科大学哲学科 (現東京大学文学部) |
前職 | 学習院教授 |
現職 |
霞会館監事 高千穂商科大学理事長 |
所属政党 | 研究会 |
称号 | 帝都復興記念章 |
配偶者 |
園田峰子 林富貴子 |
親族 |
義父・田島竹之助(貴族院議員) 娘婿・宮原旭(貴族院議員) 娘婿・井上勝英(貴族院議員) 曾孫・堀内詔子(衆議院議員) |
選挙区 | (伯爵議員) |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1914年2月7日 - 1947年5月2日 |
来歴
編集東京生まれ。父は林荘三、母はしづ。祖父は伯爵の林友幸。東京府尋常中学校から旧制山口高等学校を経て、1899年(明治32年)7月、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業後、1903年(明治36年)までドイツ留学。翌1904年(明治37年)に学習院教授に就任した。
1907年(明治40年)に襲爵し、1914年(大正3年)2月[1]から1947年(昭和22年)まで貴族院議員に選出される。1908年(明治41年)、東京高商(現・一橋大学)教授兼宮内省式部官。1919年(大正8年)、東京帝大教授(文博)。
1932年(昭和7年)7月から1935年(昭和10年)8月まで南満洲鉄道総裁。他に母校・東京府立一中同窓会如蘭会長、戦後は、霞会館監事、高千穂商科大学理事長などを務めた。
親族
編集- 祖父:林友幸(貴族院議員、九戸県権知事など歴任)
- 最初の妻:園田峰子 1884年 - 1907年 園田孝吉次女。結婚後5年で病死[2]
- 後妻:林富貴子 1885年-1944年 貴族院議員田嶋竹之助長女、女子学習院卒。日本女子補導団初代総裁[3][4]
- 3人目の妻 (Kaneko) 金子[要出典]
- 二男 鹿園博仲 1909年-1929年 男爵鹿園実博の養子[5]
- 三男 林友春 1915年-2004年 学習院大学名誉教授、東洋教育史 / 妻: 林貞子 牧野伸顕の孫。東海大学名誉教授、松濤幼稚園の創設者[6][7][3]
- 二女 藤瀬孝子 1906年- 東京、化学者で東北帝大教授藤瀬新一郎に嫁す[3]
- 三女 宮原寿子 1911年- 男爵・宮原旭(ガールスカウト日本連盟第3代会長[3][4])に嫁す。
- 四女 安田妙子 1912年- 東京、安田新(安田善四郎 (2代目)の三男)に嫁す[3]
- 五女 鹿園淑子 1913年- 男爵・鹿園直治に嫁す[3]。直治は南部利克の六男で鹿園博仲(林博太郎二男)の養子となり鹿園家を継ぐ。
- 孫・鹿園直建
- 六女 美恵子 1921年[3]- 子爵・井上勝英に嫁す
- 七女 徳子 1923年[3]- 学習院大学名誉教授・木越邦彦(陸軍中将・木越安綱の孫)に嫁す
- 弟:林荘次郎(妻は男爵で奈良華族の中川興長の娘・貞子)
栄典
編集著作
編集- 「生れてから今日まで」(『教育』第5巻第1号、岩波書店、1937年1月 / 第5巻第2号、1937年2月)
- 著書
- 『欧米対照 修身科新教授法』 宝文館、1917年9月
- 『最近心理学参照 教育学十講』 宝文館、1925年2月
- 『国民学校原義』 東洋図書、1941年1月
- 編書
- 『新しき愛国論』 愛国社、1924年5月
- 『中等修身教科書』 三省堂、1924年巻一-巻五
- 『女子修身教科書』 三省堂、1925年巻一-巻五
- 『帝国女子修身』 三省堂、1925年巻一-巻五
- 『理科指導壱百回』 堀七蔵共編、東洋図書、1931年5月上巻・下巻
- 『中等新公民教科書』 東洋図書、1933年12月上巻・下巻
脚注
編集- ^ 『官報』第458号、大正3年2月9日。
- ^ 『新薩摩学風土と人間』 鹿児島純心女子大学国際文化研究センター、図書出版 南方新社, 2003
- ^ a b c d e f g h 林博太郎『人事興信録. 第14版 下』 (人事興信所, 1943)
- ^ a b 矢口徹也「女子補導団の研究」早稲田大学 博士論文 (教育学)乙第2117号、2007年、NAID 500000435435。 第11章 戦後ガールスカウトの発足と女子補導団-占領期におけるGHQ・CIEの青年教育政策とガールスカウト」より
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、703頁
- ^ 『ある華族の昭和史: 上流社会の明暗を見た女の記録』酒井美意子 主婦と生活社 1982年
- ^ 林友春氏死去/学習院大名誉教授 四国新聞、2004/11/18
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
関連文献
編集- 「林博太郎氏教育学」(大日本学術協会編修 『日本現代教育学大系 第八巻』 モナス、1927年11月)
- 大日本学術協会編修 『日本現代教育学大系 第八巻』 日本図書センター、1989年11月、ISBN 4820552740
- 永田英治「林博太郎と理科教育研究会: 大正期,昭和初期の理科教育研究の水準」『宮城教育大学紀要 第2分冊 自然科学・教育科学』第19号、宮城教育大学、1984年、11-33頁、ISSN 02894424、NAID 40004500305。
- 「林友春(伯爵)」(霞会館華族家系大成編輯委員会編 『平成新修 旧華族家系大成 下巻』 霞会館、1996年11月、ISBN 9784642036719)
- 榑松かほる「資料・林博太郎及び春山作樹の著作目録」『桜美林論集』第25号、桜美林大学、1998年、19-30頁、ISSN 13427830、NAID 40005170531。
外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、林博太郎に関するカテゴリがあります。
- 帝国議会会議録検索システム - 国立国会図書館
- 林文庫(林博太郎) - DIJ
- 学習院コレクション - 学習院大学図書館。林文庫の解説あり。
公職 | ||
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先代 澤柳政太郎 |
教科書調査会会長 1927年 - 1932年 |
次代 鎌田栄吉 |
先代 鎌田栄吉 |
教育評議会会長 1922年 - 1924年 |
次代 (廃止) |
その他の役職 | ||
先代 川田正斉 学校法人高千穂学校理事長 |
学校法人高千穂学園理事長 1966年 - 1968年 学校法人高千穂学校理事長 1964年 - 1966年 |
次代 小池厚之助 理事長代行 |
先代 酒井忠正 |
尚友倶楽部理事長 1946年 - 1952年 |
次代 酒井忠正 |
先代 澤柳政太郎 |
帝国教育会会長 1928年 - 1932年 |
次代 鎌田栄吉 |
先代 平山成信 博物館事業促進会会長 |
日本博物館協会会長 1931年 - 1932年 博物館事業促進会会長 1930年 - 1931年 |
次代 正木直彦 |
日本の爵位 | ||
先代 林友幸 |
伯爵 林(友幸)家第2代 1907年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |