森且行
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もり かつゆき 森 且行 | |
---|---|
生誕 |
1974年2月19日(50歳) 日本 東京都足立区 |
国籍 | 日本 |
民族 | 日本人 |
職業 | オートレース選手 |
活動期間 |
1988年 - 1996年 (SMAP時代) 1997年 - (オートレース転身後) |
活動拠点 | 川口オートレース場 |
身長 | 177.7 cm (5 ft 10 in)[1] |
体重 | 59.3 kg (131 lb)[1] |
配偶者 | あり |
受賞 | 1997年:日刊三賞・特別賞 |
公式サイト | オートレースWEB公式プロフィール |
森 且行(もり かつゆき、1974年2月19日 - )は日本のオートレース選手。
東京都足立区出身。所属はJKAの川口オートレース場。公式ファンクラブはAngelを経てビアンコ。オートレース選手になる前は、男性アイドルグループSMAPのメンバーとしてジャニーズ事務所に所属し、歌手、俳優、タレントとして活動していた。
略歴
- 1974年2月19日東京都足立区に生まれる。
- 中学時代、兄とともにジャニーズ事務所のファンクラブ「ジャニーズ・ファミリー・クラブ」へ、直接履歴書を持参して、頼み込んだ結果、2人揃ってジャニーズ事務所入りを果たし、ジャニーズJr.となる。
- 1987年11月、男性アイドルグループSMAPの前身の男性グループであるスケートボーイズの一員になり、1988年4月にSMAP結成。
- 1989年『ツヨシしっかりしなさい』で連続ドラマ初主演を務める[注 1]。SMAPのメンバーでは、初の連続ドラマ主演となった。
- 1991年、SMAPとして9月9日にCDデビューを果たす。
- 1996年5月をもってオートレース選手へ転身することに伴い、SMAPを脱退。同時にジャニーズ事務所を退社し、芸能界を引退。その後もオートレース選手としてメディア出演することはあったが、かつてのSMAPメンバーとの共演は2017年11月までなかった。
- 2000年後期にオートレース最上位のS級にランクされ、以降2005年から2006年前期、2017年前期、2019年前期に一時A級に陥落したほかはS級を維持している。
- 2008年は6月に腰の手術をしながらも好調を維持し、賞金ランキング10位(45,640,500円)。優出15回・優勝5回を筆頭に初の川口オート1位、スーパースター王座決定戦出場を決めた。
- 2013年、スポーツウエアブランドKappaのブランドアンバサダーに就任した[2]。
- 2015年、公営競技場やインターネットサイトGambooの運営をする日本トーターとのスポンサー契約をした[3]。
- 2015年9月、SMAP脱退後に初めて、自ら情報発信を行うコラム連載を開始する[4]。
- 2016年12月をもって解散したSMAPの慰労会に木村を除くメンバー4人と共に、出席している[5]。詳細は「SMAP解散騒動」を参照
- 2017年11月4日、『72時間ホンネテレビ』(AbemaTV)の企画で浜松オートレース場において香取慎吾・草彅剛・稲垣吾郎と21年ぶりのメディア共演を果たす[6]。
- 2021年1月1日、『7.2 新しい別の窓 初夢サプライズ祭り!』(AbemaTV)に出演。香取慎吾・草彅剛・稲垣吾郎との共演は、2017年11月の『72時間ホンネテレビ』以来、3年ぶり[7]。
人物
私生活
- 趣味は旅行[8]。
- 既婚者で、1998年に誕生した長男がいる。
- 「且行」の名前の由来は、川口第2回SS王座・伊勢崎第13回日本選手権のSG2冠を獲得した、且元滋紀にちなんで名付けられているという説があるが、父親が否定している。
- 大のパチンコ好き。「何度も週刊誌にパチンコの様子を激写されている」と自ら語っており、収支は「トントンくらい」[9]。2014年からはオートレースの合間を縫ってパチンコ店でトークショーなども行っている[10]。後述するように、2017年12月には自らが主人公を務めるパチンコ台も発表された。また、ボートレース場でのトークショーも増えている[11][12]。
SMAP時代から芸能界引退までのエピソード
- ジャニーズJrの頃、光GENJIの諸星和己のためにバイクを走らせたこともあった。
- 『夢がMORI MORI』の「音松くん」、1996年5月27日まで出演した『SMAP×SMAP』ともにメンバーカラーは白だった。
- 最後のソロ曲となったのは『お茶でもどうかな?』(アルバム「SMAP 008 TACOMAX」収録)。他に、『Angelの秘密』(「SMAP 001」収録)、『永遠に抱きしめたい』(「SMAP 004」収録)がある。
- 芸能界引退直前に中居正広が司会を務めたフジテレビ『TK MUSIC CLAMP』(5月29日放送)に出演し、「(オートレースの)スターになるよ、絶対」と中居に約束していた[13]。
- 森の脱退時、中居はSMAPの解散を考えたと語っている[14]。
- 中学の時点ではオートレーサーに身長制限があったため一度断念したが、自身が年齢制限最後の年に身長制限が175cmに緩和(現在は撤廃)されたことによって、転身を決意した[15]。それでもギリギリだったことから[16]、二次試験の健康診断直前には2日前から一切横にならず[17]、水入りバケツを頻繁に持ち、身長を縮めようとしたとのこと[18]。
- 引退後に入学するオートレースの養成学校では坊主頭にしなければいけなかったため、養成学校入所の前日に私用で欠席した稲垣を除くSMAPメンバーが森の自宅に集まり、断髪式を行った[19]。
- SMAPが総合司会を務めた2014年の『FNS27時間テレビ』の終盤において、森がメンバーに宛てた手紙が読まれる一幕があった[19][20]。
- この約1ヶ月後、BSフジ『たけしの等々力ベース』に出演した森は、『FNS27時間テレビ』内で自身の手紙が読まれたことについて、「僕の手紙で感動してくれたので嬉しかった」と、自身のメンバーへの思いが伝わったことに素直に喜んだ。一方で、SMAPのメンバーとの共演には「それは(オートレースで)日本一になると約束したので、日本一になれるまでは考えていません」と否定し、自身の目標・メンバーとの約束を果たした上での「再会」を希望しているとした[21]。
- 2016年12月28日発売のSMAPのビデオ・クリップ集『Clip! Smap! コンプリートシングルス』には森の映像も収録された[22]。
出演
SMAPとしての出演については「SMAP#出演」を参照
テレビドラマ
『3年B組金八先生』を除き、ソフト化されていない。
- 3年B組金八先生 第3シリーズ(1988年、TBS) - 谷口健治 役
- このシリーズのみソフト化が見送られていたが、放送から19年経った2007年10月26日・11月23日にDVDがリリースされた。2つのDVD-BOXに分けての販売のみ。
- 東芝日曜劇場 第1698回「かあちゃんと息子」(1989年8月23日、TBS) - 佐川佳夫 役
- ツヨシしっかりしなさい(1989年、日本テレビ) - 主演・井川強 役[注 1]
- 世にも奇妙な物語「三日間だけのエース」(1991年11月21日、フジテレビ) - 主演・隆司 役
- ドラマシティ'92「汚点〜替え玉入試事件」(1992年、読売テレビ) - 広瀬晃二 役
- 娘屋の話3 雨あがり(1992年12月27日、TBS)- 田島正夫 役
- NHKスペシャル「列島ドラマシリーズ 魚のように」(1993年3月28日、NHK)
- 真夜中を駆けぬける(1993年、朝日放送) - トキオ 役
- 君が見えない(1994年、関西テレビ) - 松村次郎 役
- ママのベッドへいらっしゃい(1994年、テレビ朝日) - 佐伯龍一 役
- SALE!(1995年、朝日放送) - 近藤環 役
映画
- シュート!(1994年) - 白石健二 役
- 1994年6月29日にVHSで発売。その後2002年6月25日にDVD化されている。この映画は他のメンバー5人とともにSMAPが主演であり、テレビ番組でSMAPの過去を振り返るときに流れることがあるが、森の出演部分はカットされることが多い。しかし、2010年1月4日にはフジテレビと一部系列局でノーカット放送された。
- 大失恋。(1995年) - 純 役
- 1995年12月16日にVHSで発売。その後2003年12月5日にDVD化されている。
舞台
- 花影の花 〜大石内蔵助の妻〜(1992年) - 大石主税 役
- 魔女の宅急便(1993年) - トンボ 役
- 花影の花 〜大石内蔵助の妻〜(1995年) - 大石主税 役/大石大三郎 役(二役)
オートレース選手として
選手データ
- プロフィール[1]
- 選手登録 - 1997年6月27日
- 身長 - 177.7cm
- 体重 - 59.3kg
- 血液型 - B型
- 趣味 - 旅行
- 戦歴
- 通算優勝回数:32回
- グレードレース (SG,GI,GII)優勝回数:6回
- 全国区レース優勝回数、SG優勝回数:1回
- GI優勝回数:2回
- GII優勝回数:3回
- 受賞歴
- オートレース選手表彰
- 優秀選手賞:1回(2020年)
- 特別賞:1回(2014年)
- 日刊スポーツ新聞社制定「オートレース年間三賞」
- 技能賞:1回(2020年)
- 特別賞:1回(1997年)
- オートレース選手表彰
略歴
- 1996年8月25日、走行訓練中に金網に激突し、左股関節脱臼骨折の重傷[23]。東京医科大学病院にて手術を受け、入院・リハビリを行う[23]。
- 1997年春、負傷により、同期生に数ヶ月遅れて養成所を卒業。指導員に広瀬登喜夫が就いた[注 2]。
- 1997年7月6日、デビュー戦を1着で飾る。森の存在により、この日の川口オートには3万5千人ものファンが押し寄せたと言われている。同年、日刊三賞・特別賞受賞。
- 1998年4月14日、25期生の新人王決定戦で優勝。
- 1998年、オートレース選手の森且行としてポカリスエットのCMに出演。
- 2001年、オートレース選手の森且行としてユニクロのCMに出演。
- 2003年10月4日、「GII若獅子杯争奪戦」(山陽)でグレードレース初優勝。
- 2004年3月21日、SG(グレードレース最高峰)第17回全日本選抜オートレースで初優出(5着)。
- 2005年7月28日 - 31日、鈴鹿8時間耐久ロードレースでオートレース・ハルクプロ監督を務め、青木治親・安田毅史ペアが総合3位。クラス優勝した。
- 2007年4月、平成19年度のオートレースイメージキャラクターに選ばれ同CMに出演。
- 2008年度後期適用ランク(平成20年1 - 6月の結果を基に算出)で全国14位となり、初めて川口オートレース場で1位となった。
- 2008年12月9日、「西日本鉄道 GII第4回オーバルチャンピオンカップ」(飯塚)で、5年ぶりとなるGII優勝
- 2009年1月28日、「第57回GI開設記念グランプリレース」(川口)で、GI初優勝
- 2009年度前期適用ランク(平成20年7月 - 12月の結果を基に算出)で全国5位となり、2期連続で川口オートレース場1位となった。
- 2011年10月11日、通算400勝達成(船橋・第61回GIオート発祥記念船橋オート祭・10R)
- 2013年7月17日、「第37回GIキューポラ杯」(川口)で、4年ぶりGI優勝
- 2014年月日、「第4回GII川口記念」(川口)で、6年ぶりGII優勝
- 2014年8月9日、通算500勝達成(川口・チャリ・ロト杯・準決勝・12R)
- 2017年11月17日、通算600勝達成(川口・セントラル自動車技研杯・準決勝・10R)
- 2017年12月31日、「ラ・ピスタ新橋カップ スーパースターフェスタ2017」内「スーパースターシリーズ戦(GII格)」で、優勝
- 2020年11月3日、「オッズパーク杯 SG第52回日本選手権オートレース」で、SG初優勝[24]。
- 2021年1月24日、「GI開設64周年記念レース」(飯塚)第11R「特別選抜戦」の1周目に外から進出を図ったが、バランスを崩した内の選手に接触する形で転倒し、コースの外側へ吹き飛ばされ激突、福岡県内の病院に搬送された。診断結果は骨盤骨折、全治未定[25][26][注 3]。
- 2021年2月9日、公益財団法人JKAが、森の現状について発表。「1月24日の負傷後、福岡県内の病院に搬送された後、都内病院に転院。骨盤骨折、腰椎骨折の診断で、これまで3度の手術を受けて、無事に終了した。レースの復帰は1年程度の期間が見込まれる。」と説明[28][注 4]。
グレードレース戦歴
- SG戦歴
- SG優勝回数: 1回
- 日本選手権オートレース '20年
- SG優勝回数: 1回
- GI戦歴
- GI優勝回数: 2回
- キューポラ杯争奪戦(川口)'13年
- 開設記念グランプリレース(川口)'09年
- GI優勝回数: 2回
- GII戦歴
- GII優勝回数: 3回
- 川口記念(川口)'14年
- オーバルチャンピオンカップ(飯塚)'08年
- 若獅子杯争奪戦(山陽)'03年
- GII優勝回数: 3回
CM・広告
- ポカリスエット(1998年)
- ユニクロ(2001年)
- サントリー「南アルプススパークリング」『#スイッチしよう』(2018年4月24日 - ) ※広告。特設サイトにてインタビュー記事及び動画を配信[30]
パチンコ
- パチンコCRオートレース 〜スピードスター☆森且行!〜(2018年2月 - 、高尾)
関連項目
脚注
注釈
- ^ a b なお、元々同役で内定していた高橋良明が収録開始前に死去したことに伴い、急遽森が起用される事となった。
- ^ 選手間で「森争奪戦」が発生することを危惧した選手会側から広瀬に指導員の依頼が行われた
- ^ 事故後、ファンから連日、JKAや飯塚や川口に問い合わせが相次ぎ、広報によると「これまでは一選手の完治までの期間を個別には発表していない」とのことだが「(森の場合)事故による反響、影響が大きいので、何らかの形で発表することも検討している」と述べた[27]
- ^ 森との面会は新型コロナウイルス感染症拡大防止の面から制限されているため、森に代わって実兄がコメントを発表。
「この度、いつも応援して頂いてる皆様には状況をすぐにお知らせできずに大変ご心配をおかけ致しました。医療スタッフの方々の手厚いサポートのもと無事に手術を終えることが出来ました。本人、家族共々治療に専念して参りますので、温かく見守っていただければ幸いです。今後も森且行への応援をよろしくお願い致します」[29]
出典
- ^ a b c 所属事務所紹介ページ
- ^ オート森且行 17年前SMAPと「日本一」誓い合う(東京スポーツWeb 2013年7月30日)
- ^ 森且行が日本トーターとスポンサー契約(日刊スポーツWeb 2015年8月1日)
- ^ 森且行コラム 森Diary(Gamboo 2015年9月3日)
- ^ SMAP解散の忘年会、事務所からの“中止勧告”で直前に店変更 堺正章プロデュースの焼肉店に(デイリー新潮 2017年1月13日)
- ^ 【72時間TV】21年ぶり森且行との4ショットに計58万件超「いいね!」
- ^ “オートレーサー森且行が「ななにー」登場 草なぎの結婚祝福「つよポンおめでとう!」”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2021年1月1日). 2021年1月1日閲覧。
- ^ “森且行選手プロフィール|ネットスタジアム|オートレースオフィシャル”. オートレース AutoRace Official Website. 2014年7月27日閲覧。
- ^ 森且行 SMAPネタ完全解禁!元メンバーが解いたジャニーズの“呪縛” - 東京スポーツ・2017年12月13日
- ^ 元SMAP・森且行、パチンコ台リリース! 元ジャニーズ初の展開に業界内外から驚き - cyzo woman・2017年6月21日
- ^ 森且行 休日はボートレースのトークショー/大村 - 日刊スポーツ・2018年1月19日
- ^ 森且行がからつでもトークショー「コンプリートしたい」と全場制覇を宣言 - デイリースポーツ・2018年1月24日
- ^ CLAMP TALK (NON EDITED VERSION) Vol.30 フジテレビ 1996年5月29日 OA
- ^ “SMAP最初の解散危機は森脱退だった”. デイリースポーツ online. (2014年7月27日) 2014年7月27日閲覧。
- ^ 森且行、21年越しに語るSMAP脱退の葛藤「本当に迷惑かけました」 - ORICON NEWS、2017年11月5日
- ^ 香取慎吾 森且行SMAP脱退告白の時の心境は「ふざけんな」 - スポニチ、2017年11月4日
- ^ 1996年 「ウィンク・アップ」 6月号
- ^ 六戸産ナガイモにレーサー森且行選手も笑顔 - 東奥日報社 Web東奥、2016年10月29日
- ^ a b 【森且行 SMAPへの手紙全文】最後の6人のSMAPは四谷の焼き肉店
- ^ “SMAP感涙…森且行、直筆手紙で感謝”. ORICON STYLE. (2014年7月27日) 2014年7月27日閲覧。
- ^ 森且行 SMAPメンバーの涙に「嬉しかった」, THE PAGE, 2014年8月26日
- ^ SMAP最後の映像作品 ブルーレイ・DVDは森且行カットせず,デイリースポーツ,2016年11月4日
- ^ a b 「アイドルがレーサーになる日 〜森且行23歳 400日の挑戦」NHK総合、1997年8月16日放送[信頼性要検証]
- ^ “元SMAP森且行オート日本選手権で初V/川口S”. (2020年11月3日) 2020年11月3日閲覧。
- ^ “24日落車の森且行は骨盤骨折、入院治療中”. サンスポZBAT!オート. 産業経済新聞社 (2021年1月25日). 2021年1月26日閲覧。
- ^ “骨盤骨折の森且行、全治未定も全日本選抜は絶望的”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社 (2021年1月26日). 2021年1月26日閲覧。
- ^ “【オートレース】骨盤骨折の森且行は福岡から転院へ JKAに問い合わせ殺到”. 東スポweb. 東京スポーツ新聞社 (2021年1月27日). 2021年2月9日閲覧。
- ^ “森且行は復帰までは約1年…3度の手術は無事に完了”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社 (2021年2月9日). 2021年2月9日閲覧。
- ^ “元SMAP森且行選手、レース復帰まで1年程度 骨盤・腰椎骨折で計3回手術も無事終了”. ORICON NEWS. ORICON (2021年2月9日). 2021年2月9日閲覧。
- ^ “「サントリー 南アルプススパークリング」スペシャル動画「#スイッチしよう」を公開!”. サントリー食品インターナショナル・ニュースリリース一覧 (2018年4月24日). 2018年4月24日閲覧。