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中川郡 (天塩国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北海道天塩国中川郡の位置(1.美深町 2.中川町 3.音威子府村 黄:明治期)

中川郡(なかがわぐん)は、北海道天塩国上川総合振興局

人口5,616人、面積1,542.46km²、人口密度3.64人/km²。(2024年9月30日、住民基本台帳人口)

以下の2町1村を含む。

郡域

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1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町1村に名寄市の一部(智恵文)を加えた区域にあたる。

郡名の由来

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天塩川の中流域に位置することに由来する[1]

歴史

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郡発足までの沿革

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江戸時代の中川郡域は西蝦夷地に属し、松前藩によって開かれていたテシホ場所に含まれた。江戸時代後期になると文化4年南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え、中川郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり庄内藩が警固を行い、同6年以降は庄内藩領となっていた(6藩分領)。

戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年8月15日大宝律令国郡里制を踏襲して中川郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

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北海道一・二級町村制施行時の天塩国中川郡の町村(19.下名寄村 20.中川村 21.常盤村 青:区域が発足時と同じ町村および合併を経ていない町村 黄:名寄市)
明治9年の大区小区
  • 第29大区
    • 1小区

脚注

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  1. ^ アイヌ語地名リスト トヨト~ノブシ P91-100”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年11月17日閲覧。

参考文献

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関連項目

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