佐藤博 (野球)
表示
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 山形県酒田市 |
生年月日 | 1951年5月12日(73歳) |
身長 体重 |
183 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1973年 ドラフト1位 |
初出場 | 1977年7月3日 |
最終出場 | 1977年9月23日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
佐藤 博(さとう ひろし、1951年5月12日 - )は、山形県酒田市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]酒田商業高校では1969年の西奥羽大会県予選準々決勝に進出するが、酒田東高に敗退し、甲子園には届かなかった。日立製作所へ入社。1971年から都市対抗野球大会に3年連続出場。1973年は再試合も含め5連投、3連勝で準決勝に進出。この大会に優勝した日本鋼管に敗退[1]するが好投手として注目を集めた。
1971年ドラフトで大洋ホエールズから4位指名を受けた。大洋ファンだった佐藤は入団を希望したが、同時に同僚の渡辺孝博もドラフト指名を受け(ヤクルトアトムズ)、「一度に2人もエースが抜けられたら困る」と会社側に反対されたため、入団を拒否した。1972年ドラフトでロッテオリオンズから4位指名を受けたが、このときはセ・リーグの在京球団を希望していたため、2度目のプロ拒否となった。
1973年ドラフトでヤクルトから1位指名を受け、入団[2]。オーバースローからスライダー、カーブ、フォークを武器とした。本格派の大型右腕でアマチュアでの実績も十分、大きく期待されたがプロでは大成せず1979年に引退した[2]。
1980年から1989年までヤクルトの打撃投手を務めた[2]。現在は同球団のスコアラー。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1977 | ヤクルト | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 60 | 15.0 | 17 | 2 | 2 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 7 | 5 | 3.00 | 1.27 |
通算:1年 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 60 | 15.0 | 17 | 2 | 2 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 7 | 5 | 3.00 | 1.27 |
記録
[編集]- 初登板:1977年7月3日、対阪神タイガース15回戦(阪神甲子園球場)、8回裏に5番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:1977年7月9日、対大洋ホエールズ10回戦(長野県営松本野球場)、8回表に谷岡潔から
背番号
[編集]- 20 (1974年 - 1978年)
- 56 (1979年)
- 82 (1980年 - 1986年)
- 87 (1987年 - 1989年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 佐藤博 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)