大澤正明
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大澤 正明 おおさわ まさあき | |
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内閣広報室より公表された肖像 | |
生年月日 | 1946年1月21日(78歳) |
出生地 | 日本 群馬県太田市 |
出身校 | 慶應義塾大学 |
前職 | 群馬県議会議員 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 | 旭日重光章 |
親族 | 父・大澤明治(尾島町長) |
公選第17-19代群馬県知事 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2007年7月28日 - 2019年7月27日 |
第80代 群馬県議会議長 | |
在任期間 | 2006年5月30日 - 2007年4月29日 |
選挙区 | 新田郡選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1991年4月30日 - 2007年4月29日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1983年 - 1991年 |
大澤 正明(おおさわ まさあき、1946年〈昭和21年〉1月21日 - )は、日本の政治家。
群馬県知事(公選第17・18・19代)、群馬県議会議員(4期)、第80代群馬県議会議長、尾島町議会議員(2期)などを歴任した。
来歴
[編集]1946年1月21日、群馬県新田郡尾島町(現在の太田市)で生まれる。父は尾島町長を務めた大澤明治[1]。1964年、群馬県立太田高等学校卒業。1969年、慶應義塾大学工学部卒業。
1970年、海上自衛隊幹部候補生学校卒業(20期1分隊)[注 1]。
1971年、大沢建設株式会社入社。その後、尾島町議2期、群馬県議4期を務める。2006年5月30日から1年間、第80代群馬県議会議長も務めた[2]。
2007年7月22日、群馬県知事選挙に、自由民主党公認で立候補。5選を目指した小寺弘之らを破って群馬県知事に初当選し、全国唯一の政党公認知事となる。
2011年7月3日、群馬県知事選で再選。今回は自民党公認ではなく、無所属として立候補し、自民党、公明党、みんなの党の推薦を受けた。
2015年7月5日、群馬県知事選で3選(無所属、自民党・公明党推薦、連合群馬支持[3])。
エピソード
[編集]- 2011年7月13日、知事公舎に知人の女性を宿泊させたと週刊新潮に報じられた問題で、仕事で関係のある女性を泊めたことを記者会見で認めた[7]。
- 産経新聞が実施した全国の知事に対するアンケート(回答は45都道府県)によると、海外出張に際して飛行機のファーストクラスを利用しているのは5知事のみであり、大澤もそのうちの1人であった[8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “プロフィール | 群馬県知事・大沢正明 公式ウェブサイト”. 2018年12月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月25日閲覧。
- ^ “歴代正副議長一覧 - 群馬県議会”. www.pref.gunma.jp. 群馬県. 2024年7月9日閲覧。
- ^ 西本龍太朗 (2023年5月17日). “知事選 連合群馬が山本氏支持 /群馬”. 毎日新聞デジタル. 毎日新聞社. 2024年8月19日閲覧。(毎日新聞朝刊2023年5月17日付、地方版・群馬)
- ^ “臨時記者会見要旨(2月6日)”. 群馬県. 2019年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月22日閲覧。
- ^ 秋の叙勲 県内で59人受章NHKニュース|NHK NEWS WEB|群馬 NEWS WEB 2020年(令和2年)11月3日
- ^ 『官報』号外第230号、令和2年11月4日
- ^ 森本充 (2011年7月13日). “酔いつぶれ「明日送っていくよ…」 群馬県知事、県公舎管理規則違反に「今後は慎まなければ」(全2ページ)”. MSN産経ニュース. 2011年7月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年7月13日閲覧。
- ^ “【全国知事緊急アンケート】海外出張費、舛添都知事が突出 唯一1泊10万円の上限超え ファーストクラス利用は5人(全2ページ)”. 産経ニュース. 産経デジタル (2016年5月12日). 2022年1月28日閲覧。
関連事項
[編集]外部リンク
[編集]- 群馬県 - 知事のページ - ウェイバックマシン(2019年2月11日アーカイブ分)- 群馬県公式サイト
- 大澤正明 公式サイト - ウェイバックマシン(2018年8月6日アーカイブ分)
- 大澤正明 旧公式サイト - ウェイバックマシン(2014年12月22日アーカイブ分)
公職 | ||
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先代 小寺弘之 |
群馬県知事 公選第17 - 19代:2007年 - 2019年 |
次代 山本一太 |
議会 | ||
先代 中村紀雄 |
群馬県議会議長 第80代:2006年 - 2007年 |
次代 中沢丈一 |