傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

わけわかんなくなりたいの

 海外旅行がお好きなんですよね、どんな風に楽しむのですか。
 そのように訊かれることがある。たいていの相手は話のつなぎにしたくて言っている。実際にわたしがどのように海外旅行を楽しんでいるのかを知りたいわけではない。だからわたしも「美術が好きなので、大きな美術館のある都市に行くことが多いですね」などと言う。
 嘘はついていない。美術は好きだし、海外の美術館にも行く。日本にも有名な作品がたくさん来るけれど、なにしろ混む。外国に行けば混まない。たとえばオランジュリーでモネの睡蓮とわたしだけの夕刻を過ごす。最高だ。
 でもほんとうは、そんなのはおまけである。
 わたしはほんとうは、ただわけがわからなくなりたくて、それでせっせと節約しては外国に行くのである。

 たとえば外国で道を渡ろうとする。信号がない。あるいは、青信号でもガンガン車が通っていく。さもなくば道幅がめちゃくちゃ広くて横断歩道っぽいものが途中で途切れている。
 はじめての町でわたしは、道さえ満足に渡れない。わたしは十二の子どものように無力で、今夜泊まるホテルのカードを命綱のように握りしめ、渡りたい道の向こうを、額縁の向こうのように遠く見る。
 訪問二度目の、少しだけ慣れた都市で地下鉄の駅に入る。電光掲示板が暗い。券売機も改札機も動いていない。改札はあきっぱなしで、人がどんどん出入りしている。
 わたしはその場に立ち尽くす。
 そのうち親切な人が寄ってきて、わざわざ英語で教えてくれる。今日はストだから駅員はいない。電車はすべて無料、勝手に乗って勝手に降りなさい。市内はそれでOKよ。

 たとえばそういう経験を、わたしはしたいのだ。生活のための基本的な法則を知らない状態に戻ること。ゼロから学習しなければ移動もできない脆弱な生き物に戻ること。拙い必死のコミュニケーションをとること。

 外国でわたしはおそらく「生き延びる」をやっている。それがわたしの娯楽なのである。
 わたしに、人生の目標のようなものはない。将来の夢を持ったこともない。子どものころからずっとなかった。わたしにあった長期的目標はただ生き延びることだけだった。そういう生まれ育ちなのである。
 十八で学生寮に入ったとき、二十歳で経済的に完全な独立を果たしたとき、二十二歳ですべての書類から血縁者の氏名を消せたとき、わたしはすごく、気持ちよかった。わたしはあの「生き延びた」という感覚以上の快楽を、中年期の今に至るまで知らない。
 だからわたしはその影を見たくて外国に行くのだろうと思う。誰のことばもわからず、誰もわたしのことばをわかってくれない、遠いところへ。

 それにしたってずいぶんと行ったから、もうあんまり必死になるシチュエーションに巡り会えない。空港でSIMカードを買って入れ替えたスマートフォンがあればなおのことだ。カフェのWi-Fiだけが頼りだった十年前を、わたしは少しなつかしむ。でも意識してスマートフォンを使わないということはない。「生き延びる」はそういうタイプのゲームではない。

 そしたら町じゃないところに行くのがいいですよ。
 旅行好きの集まりで、顔見知りの青年が言う。
 僕こないだタイのアカ族の村にお邪魔してきて、えっと、友人が言語学やってて、フィールドワークに連れてってもらったんです。そんで草いっぱい食べてきました。
 草って、麻薬とかじゃなくて、そこいらに生えてる草です。あのあたりには麻薬づくりのエリアもあったけど今はもうないです。そのずっと前から、伝統的にさまざまな植物を利用してきた民族なんです。服より先に採取した植物を入れるかばんを手に入れたという神話があるそうで。服はそのかばんをバラして作ったんだって。聞き取りの間違いかもしれないけど。
 最終、俺らの旅行ってこうなっちゃうんだなって思った。山の中で「うわあ百パーセント右も左もわからない」と思いながらそのへんの草を食う。草の名前は教えてもらえるけど、名前の意味はわからない。アカ語は難しい。そんなのでようやく本格的に楽しくなる。
 この種の旅行好きなんて可哀想なもんですよ。死なない程度の未知を体験しないと気が済まないんだから、年とったらどうしたって積む。経験が増えて知恵がついて費用に余裕ができて、積む。現地の人が商売で相手してくれる範囲を超えたらもうできることがない。俺も草くったあとどうしていいかちょっとわかんなくて困ってるところです。あ、これどうぞ、土産の草。向こうのお茶です。

 わたしは彼ほどハードな旅行を頻繁にやったのではない。だからまだ「草を食う」楽しみは残っている。