「需要」があろうがなかろうが、それとは関係のないところでやる、「供給」しようとやるわけじゃない、ただ「やる」。だからこそ慎重にならなきゃいけなかったのにうっかりすっかり忘れてた。一瞬くらい大丈夫でしょ、その油断で足をすくわれる。おっかないですなー資本主義的なしくみ、計算が合わなきゃいけないやり方、そういうものとは別のところで、生活の一環、ぼんやりとあいまいに区切れ目なく、やらなきゃいけなかった。むしろそこにだけ本気で全力でチャレンジしなきゃいけなかった。誰にもチャレンジしろとは言われてない。むしろ外からの要求はいつだってそれとは真逆で、計算が合わなきゃ続けられないしくみのほうにひっぱろうとする。みんな良かれと思ってやっている。やり方が違うだけで誰も悪くない。だからこそ外向きのサービス精神のようなものに乗っ取られずにしれ〜っと、存在するかしないかあやふやな感じで立っているのが肝心だった。すくう足がどこにあるかよくわかんない感じで。なのについつい発揮しちゃうサービス精神(のようなもの)、足はっきりくっきり丸見え。またやっちゃいましたわたし。しかし間違えてしまったものは仕方がないし、間違えたのだと言い切るのもまだ早い。そもそも間違えたらダメなわけでもなくてたぶんそこにしか創造はうまれない。チャレンジはおもしろい。オーダー主はわたしだ。こっちに歩いて行ったらどんなかたちや色が見えるだろう。岩場かな