三浦市の丘の上、玄関を開ければすぐ油壷湾(あぶらつぼわん)が見渡せる家。これが河野さんの新居だ。
「漠然と”東京のほかに拠点をいつか持ちたいなぁ”とは思っていたんです。ただ、いつか、いつかと言っているだけでは、その” いつか”は来ないんですよね。私の“生誕60年記念”の一大プロジェクトとして、別荘兼仕事場を建てようと決心したんです」
きっかけになったのが、2020年、57歳のときの人間ドッグで0期の食道がんが見つかり、入院したこと。
「生まれて初めての入院で、ゆっくり考える時間ができたんですよね。仕事柄、人生100年時代は長く働く時代、働くという観点からいえば、まだまだこれからと自覚はしていたのですが、” いや、どう働き続けるかだけでなく、どう暮らすかも同じくらい大事じゃないか”と改めて気づいたんです。そして、60歳からの人生を楽しむには、“どんな住まいにするか”も今、考えるべきだと思いました」
そして、夫が思っていた以上に心配してくれたことも驚いたそう。
「私達が結婚したのはお互い40代で、もう自分の生活のペースができていて、それぞれの仕事と生活を優先しつつ、一緒に過ごす時は楽しむというスタイルでした。でも、これからは、2人の時間にもっと比重を置いてもいいかもしれないと考えたんです」
そして、夫との共通の価値観である「食」「旅」「友人との時間」を満喫できる場所として、東京ではなく、「自然豊かな場所で別宅」を持つ選択肢がぐっと現実味を帯びてきた。
「夫婦共通の仲の良い友人が長野に別荘を持っていて、よく遊びに行ってたんです。“ここは山の家だから、私達は海の家担当ね”って話していたんです。年に数回しか使わない別荘なら少しもったいないけれど、仕事場も兼ねるならアリじゃないかと思ったんです。使わないときは友人に使ってもらってもいいですから」
コロナ禍でリモートワークが増え、東京で仕事をする必要性が薄れたこともある。仕事用に東京でワンルームを借りていたものの、けっして質が高い仕事部屋とは言えなかったことも動機になった。
「自宅で過ごす時間が増え、どこに住まうのかで人生の豊かさが大きく違ってくることも実感したんです。朝日が昇れば働き、日が沈めば仕事を終わる。そんな暮らしに憧れて、別荘兼仕事場のワーケーションハウスを建てようと具体的に考えるようになりました」
とはいえ、通常、60代といえば、そろそろローンの完済が見えるころ。住み慣れた家を修繕したり、便利な立地のマンションに買い替えたりすることはあっても、「初めて住む場所に、一戸建てを建てる」――不安はなかったのだろうか。
「人生100年と考えたら、60歳ってまだあと40年あるんですよ。この40年を私は3つに分けて考えています。85歳ぐらいまでを元気に生活できる『アクティブ期』、95歳ぐらいまでを健康面で難はあるけれど、自分の事は自分できる『セルフケア期』、その先は誰かのヘルプを受けながら自分の尊厳を守る『要介護期』の3つです。いずれ誰もが介護が必要になり、どこかしらの施設に入る人も多いでしょう。とはいえ、実はセルフケア期までは自分の家で過ごせるんです。けっこう長いんですよね。だから60歳で自分の家を建てることは決して遅くはないと思います」
河野さんの家はバリアフリーではない。どの場所にいてもハーバービューを堪能するため、段差を付けているし、階段もインテリアの邪魔にならないよう、手すりは最小限だ。
「確かにバリアフリーとは逆行した家ですね。もちろん、いつか車椅子になるかもしれない。でもそのいつかっていつ? いつ来るか分からない、でも確率としては20年以上先の不確定な未来のために、今の生活を犠牲にしたくなかったんです」
お金の問題はどうだろうか。
「書籍『Die With Zero』がヒットしていますが、私も死ぬときまでにお金は全て使い切ってしまおうって思ってるんです。一応、老後資金、起業資金としてある程度蓄えはありましたが、ドル建ての年金など一部の貯蓄を“そんなにいらないんじゃない”と解約しました。実は、60歳って支出がすごくコンパクトになる世代でもあるんです。子どものいる家庭であれば、最も支出が多いのは子どもの教育費のかかる50代で、それを過ぎれば不確定要素は減るんです。これからもできるだけ長く働き続けるつもりですし、年金がいくらもらえるようになるかも分かっているし、なんとかなるなと思いました」
三浦市に拠点を構えて以来、やりたいことが実現でき、さらに新しい”やりたい”が生まれているという河野さん。
例えば、愛犬のハナちゃんを迎えること、夫と2人でゆったり時間を過ごすこと、釣りやSUP(サップ)など新しい趣味を始めること、新たなコミュニティをつくること。さらには、この場所を何かしらのワークショップの場として活用したいし、地元の農家さんと仲良くなって畑仕事もしてみたいーー情熱は増すばかりだ。
「場所を変えれば否応がなく新しいことを始めるでしょう。むしろ始めないともったいない。二拠点を持つことは人生の豊かさが2倍になると実感しています」
人生は思っていた以上に長い。仕事や子育てが一段落し、定年をむかえてもなお、60代はまだまだ先が長いのだ。
「住まいを変えれば生活は劇的に変わります。それは60代から始めるのに遅すぎることはないと思います」