Title in Japanese: 日本(人)のアイデンティティと美意識の境界におけるゆるキャラと人類とその境界線の不思議な不安定感 Japan has become overrun by friendly critters: (typically)soft, furry mascot-suited characters known as yuru kyara (wobbly mascot characters)or gotôchi kyara (local...
moreTitle in Japanese: 日本(人)のアイデンティティと美意識の境界におけるゆるキャラと人類とその境界線の不思議な不安定感 Japan has become overrun by friendly critters: (typically)soft, furry mascot-suited characters known as yuru kyara (wobbly mascot characters)or gotôchi kyara (local characters), who exist in order to make their locality or sponsoring agency beloved and famous. Of special interest in this paper are those cases where the uncanny area or border between kyara and human identities is not only crossed but violated, as traits are appropriated across categories. Recently, intersections appear between the usually asexual furry suited types and the doe-eyed girls of anime and manga fandom known as moe kyara. Not only are there a handful of these moe yuru kyara, but the non-moe yuru kyara may incorporate clearly human traits in their form or behavior, just as their aesthetic begins to permeate everyday life more deeply. Case studies also include unofficial yuru kyara, yuru kyara whose kigurumi mascot suits incorporate exposed human body parts, yuru kyara who violate character norms of behavior and speech(see Occhi 2012), and the various and gendered ways in which the yuru aesthetic currently intrudes into everyday life. 日本(人)のアイデンティティと美意識の境界におけるゆるキャラと人類とその境界線の不思議な不安定感 公式または非公式マスコット、いわゆる「ゆるキャラ」をめぐる現象から、我々が人間的または非人間的な美意識とアイデンティティの境界通過傾向を再考することができる。この現象は、ゆるキャラの増加に基づいており、その数は少ないながら、人間のようなかわいい、または色っぽい「萌え」キャラとゆるい「ゆる」キャラの境界を超える「萌えゆるキャラ」も出現している。ゆるキャラ自身、またはそのスポンサーに興味を持たせるため、各種イベントに、ゆるキャラが一人で参加したり、全国各地から様々なゆるキャラが集まったりする。このようなイベントは、それ自体を目的として来た見物客、または偶然に居合わせた見物客が公共の場でゆるキャラの美意識を消費する機会として、ゆるキャラとの交流の機会を提供することになる。そのようなイベント会場またはその他の商業施設では、グッズを集めることが可能であるため、ゆるキャラの個人消費を促すことにもつながっている。結果として、遊びの場と日常生活の間に存在するイベントの境界線を超えることになる。 キャラと人間のアイデンティティの間に存在する不思議な境界地帯または境界線を超えるだけでなく、侵害された事例を中心に今回の発表を行う。少数の萌えゆるキャラが存在するだけでなく、非萌えゆるキャラも人間の特徴を明らかに形また振る舞いの面に取り入れており、その美意識がより深く日常生活に浸透し始める可能性もあるといえる。事例研究は、非公式ゆるキャラ、人間の一部分をあらわしたゆるキャラ、キャラとしての基準を侵害したふるまいや言動を行うゆるキャラ(Occhi 2012)と、その全体的ないわゆる「ゆるさ」が最近の流行のキーワードとして与えている影響、また日本の社会生活の他の領域に応用されている望ましい美意識についての指摘を行う。 少数の萌えゆるキャラがあるだけでなく、非萌えゆるキャラが明らかに人間の特徴も彼らのフォームまたはふるまいに取り入れながら、逆にゆるキャラの美意識価値がより深く日常生活に浸透し始めるかもしれません。 事例研究は非公式ゆるキャラ、むき出しの人間のパーツのあるゆるキャラ、ふるまいと言葉の性格標準を侵害する ゆるキャラ( Occhi 2012で定める)とその望ましい美学を示している最近ファッショナブルなキーワードが日本の社会生活の他の領域にあてはまった全体的な影響を含むまれています。