この接尾辞は、品質、状態、または条件を表す名詞を作るためのもので、中世英語の -our、古フランス語の -our(現代フランス語では -eur)に由来し、さらに遡るとラテン語の -orem(主格では -or)から来ています。これは過去分詞の動詞語幹に付加される接尾辞です。また、ラテン語の -atorem(主格では -ator)から派生したものもあります。
アメリカではノア・ウェブスターを通じて、-orの形がほぼ普遍的に使われています(ただし glamour では例外)。一方、イギリスでは多くの場合 -ourが使われていますが、author, error, tenor, senator, ancestor, horror などの例外も多数存在します。-ourの形が主流になったのはおおよそ1300年頃からですが、メンケンによれば、シェイクスピアの作品の最初の三つのフォリオ版では両方の綴りが無差別に、かつ同じ頻度で使用されており、-ourが一貫して使われるようになったのは1685年の第四フォリオからです。
16世紀からはラテン語のモデルに倣って -orが部分的に復活しました(governour は16世紀に -u- を失い、19世紀には完全に消えました)。また、イギリスとアメリカの両方で音韻的な綴りを採用する動きも見られました(ジョン・ウェスリーは1791年に -or が「イギリスでの流行的な誤り」と述べています)。
ウェブスターは1783年に自著の初版「英語の文法的基礎」(通称ブルー・ブラック・スペラー)で、-our の綴りから -u- を削除する習慣を批判しました。彼自身が -u- を削除するようになったのは1804年の改訂版からで、1806年に発表された影響力のある「包括的英語辞典」において正式に定着しました。この辞典では、イギリス英語の -ick をアメリカ英語の -ic に、-re を -er に変えるなど、多くの新しい綴りが提案されましたが、masheen(machine)のように広く受け入れられることはありませんでした。彼がこれらの変更を語源や著名な作家の習慣に基づいて正当化しようとしましたが、その説得力は薄いものでした。
ファウラーは、イギリスでは -orous(humorous)で終わる形容詞や、-ation や -ize で派生する語を作る際に -u- を省略する傾向があり、この場合はラテン語の起源が尊重されていると指摘しています(例:vaporize)。しかし、アメリカが一貫して一つの綴りを採用し始めると、イギリスは逆にその綴りへの固執を強めました。「アメリカが -our を honour や favour などの語から廃止したことは、同じ方向への英語の進展を加速させるどころか、むしろ遅らせた可能性がある。」[ファウラー]