新田氏と徳川氏のつながりを検証する東毛中世史研究会の会員

 初冬の太田市宝泉行政センター。新田義貞が鎌倉攻めで使ったルートについて議論が交わされていた。地元の石碑に刻まれた「世良田邑」「新田七社宮」の文字を基に同市南部から利根川を渡り、埼玉県深谷市に抜ける道筋を推定した。

 熱のこもった話し合いをしていたのは、同市を拠点に活動する東毛中世史研究会の会員たち。元教員の郷土史家らが月1回集まり、新田氏や足利氏をはじめ中世に群馬県や栃木県などで活躍した武士団を巡って意見を交わしている。...