今年は、3年に1回、参議院選挙が行われる年。それとともに4年に1度、首都東京の都議会議員選挙が行われる年でもある。2つの選挙が重なるのは12年ぶり。昨年は東京都知事選や自民、立憲民主の代表選の後に衆議院選挙が行われ、一大選挙イヤーになったが、今年もそれに劣らないほどになるかもしれない。
石破茂首相は後になって否定しているが、年末には参院選と衆院選を同時に行う「ダブル選」について、「これ(可能性)はある」と思わせぶりな発言をしていた。昨年秋の衆院選で自民党は大敗したばかりで、そう簡単にダブル選には踏み切れないとの見方は強いけれど、一寸先は闇の政界では、くすぶり続けていくことになるかもしれない。
ただ衆院選がなくても、今年の夏が一大政治決選の場になるのは確かだ。12年に1度、東京都議選と参院選が重なる年に、都議選で勝てばその後の参院選も勝利できるという言い伝えがある。実際、12年前の2013年都議選で自民党は立候補した59人全員が当選する圧勝で、その後の参院選も大勝。その東京都議選、参院選ともに、党本部の開票センターで当確のバラがどんどん増える様子を見守っていたのが、当時幹事長だった石破首相だ。言ってみれば、都議選勝利→参院選勝利の「成功体験」を、身をもって知っている人物。その人物が、今回12年ぶりに回ってきた2つの選挙に「大将」として臨むことになる。
ただ今回は、昨年の衆院選後のタイミング。12年前とは違って、簡単には勝利の方程式は見通せない。
12年に1度の「都議選&参院選」の年に、参院選の前にまず行われる東京都議選の持つ重要さを、各党は認識している。都議選は1つの地方選挙ではあるが首都東京の議会選挙。各党とも国政選挙並みの布陣で臨み、それは自民党総裁の首相も同様だ。
前回12年前の2013年は、前年の2012年衆院選で政権を取り返した直後の安倍晋三首相(当時)が、告示前に休日返上で都内14カ所を遊説し、当時肝いりだった「アベノミクス」の正当性を訴えて回った。この時、安倍氏は「日本を取り戻すためには都議選に勝たなければ。都議選に勝った政党が、国政選挙も勝つ」と訴えた。告示後、国際会議に出席で日本を離れたが、帰国した直後に遊説を再開。結果、59人全員が当選した。
24年前の2001年は、首相就任時の支持率が8割を超えた小泉純一郎首相(83)の時代。同年4月に就任後の初の本格的な選挙が東京都議選で、小泉氏はラストサンデーに都内10カ所、走行距離で約150キロを遊説で回った。車ですべて追いかけ取材をしたが、小泉ブームの熱気の中、この時も55人の候補者中53人が当選した。
首相就任からそう時間がたたない中での都議選、というところでは、今回も過去2度の状況と同じだが、石破首相の場合、昨年の衆院選で大敗した後、という点が大きく違う。自民党に対する有権者の視線も、前回2回とはまったく違う逆風の中、首相は12年ぶりの決選に臨むことになる。
石破首相は1月7日の党仕事始めで当時の「成功体験」に言及。「都議選は公認候補が全員当選し、その後の参院選も勝利につながったことを昨日のように覚えている」とした上で、「昨年の総選挙で国民のみなさまの厳しいご審判をたまわった。国民のみなさまの納得と共感をいただけるよう、誠心誠意全力でつとめていきたい」と語った。
党内で恐れる声があるのが、36年前に行われた1989年の都議選&参院選だ。当時の自民党はリクルート事件という「政治とカネ」の問題を抱え、選挙直前の4月には初の消費税が導入された。当時の宇野宗佑首相に女性問題が浮上する大逆風もあり、自民党は公示前の議席63から20議席減らす大敗。その後の参院選で自民党は歴史的大敗となり、初めて参議院で過半数を割り込む事態に。首相は退陣し、自民党はその4年後の衆院選で、初めて政権を失った。都議選を勝てば参院選でも勝つ、だけでなく、都議選に負ければ参院選で負けたという「悪夢」(関係者)の歴史もあるのだ。
今回の東京都議選について関係者を取材すると、前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏が新党を率いて参戦する動きが「波乱要素」の1つになるとの見方や、都議選と参院選の選挙結果はいずれにしても石破政権の今後に影響もたらす、という声を多く耳にした。
12年前の自身の成功体験を、石破首相が再び再現することはかなうのだろうか。【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)