スキルなしでゲームを作る 「48時間イベント」でみた開発環境の進化
ゲームジャーナリスト 新 清士
1月27日の夕方から29日にかけて、国際ゲーム開発者協会(IGDA)が主催するゲーム開発イベント「Global Game Jam(グローバルゲームジャム)」が開催された。日本を含む47カ国(234会場)で1万696人が参加し、世界同時に48時間でゲームを開発するという巨大イベントだ。今年で4年目を迎えるが、昨年の参加者が約6000人だったのに比べ、大きく成長しつつある。
プロ・アマ混合で8人あまりが即席のチームを作り、48時間で1本のゲームを作り上げる。欧州から始まったこのイベントは、米国、南米、東南アジア、トルコなどの発展途上国・地域にも広がりを見せている。
日本では札幌、仙台、東京(2カ所)、京都、大阪、福岡と全部で7カ所、約500人が参加し、昨年以上に盛り上がった。
アマチュアにとって教育効果があるだけでなく、プロにとっても普段の開発作業では決して経験できないゲームにチャレンジする機会として、おもしろさが知られるようになってきている。
このイベントに参加すると、既存のゲーム開発の方法が大きく変化していることを実感することもできる。
スキル不足の開発チームでどう挑む
筆者は、日本国内で最大の会場となった東京工科大学(東京都八王子市)で参加した。144名が17チームに分けられ、基本的には各チームのリーダーにプロの開発者が就くという体制が組まれている。学生は多くはゲームやグラフィックスを学んでいる大学生や専門学校生だ。
筆者が所属したのは、オンラインゲーム会社、ドロップウェーブ(東京・新宿)の副社長を務める本城嘉太郎氏や、プロのたたき上げのプログラマーである石黒方巳氏が参加し、残りは学生で構成される9人のチームだった。
世界共通で開発テーマが発表され、今年のテーマは「自分の尾を噛(か)んで、円環状の姿になった古代の象徴『ウロボロス』の1枚の図案から自由にイメージを膨らませる」というルール。ところが、この図案のアイデアを巡り、当初から企画は紛糾した。
まず、開発チーム全体のスキルがそもそも足りない。ゲーム開発は多くの場合、メーンプログラマーに仕事が集中し、その人の作業効率が他のプロセスに大きな影響を与える。ゲームのプログラムができなければ、グラフィックスを作り込むこともできないし、ゲーム全体のマップを描くこともできない。
ところが、プログラマーは石黒氏しかいないため、彼に仕事が集中し、その進捗度合いがそのままチームの開発ペースを決めることが予想できた。これは危険な兆候だ。
開発ツールには、初心者でも比較的取りかかりやすく容易に学習できる3D(3次元)ゲームの統合開発環境「Unity」を採用することにした。しかし、石黒氏は同環境に精通しているが、他のメンバーはそうではなかった。「授業で触ったことがある」という程度の学生はいたものの、深い知識までは持ち合わせていなかった。これもさらに危険な状態だ。
「本当に面白いゲームなのか」確信が持てない
チームリーダーの本城氏は、様々なゲームのデザイン(企画)経験があり、チームのマネジメントにもたけており、限られた時間とスキルのスタッフがゲームを完成させる方法を考えた。
それは、本城氏の普段の開発スタイルを導入することだ。最もスキルが高い人を基準にゲームを考える。今回はプログラマーの石黒氏を中心に、最初に企画・仕様を厳密に決めて、効率よく分業していくアプローチがよいと想定された。
ところが企画会議は最初から迷走する。石黒氏は「一人称の視点で、暗闇の洞窟を進む。所々で壁をハンマーで叩くことで、進むべき正しい方向が光るので、その方向に進んでいく」というアクションパズルゲームを提案した。後ろから、敵がだんだんと迫ってくるので、捕まる前にゴールを目指すという内容だ。
しかしいくら議論をして、本城氏がゲームのルールとなる仕様を提示しても、ゲームが単調になりそうで、面白くなりそうなイメージが湧かない。
その壁を打ち破るため、石黒氏はチームのメンバーが次々に提案するアイデアを、プログラムで実現できるかどうかといった可能性を検討し始めた。例えば「途中で爆弾が爆発する機能を追加する」という仕様の導入などだ。
今度は「48時間では完成できないのではないか」という疑問が出てくる。このイベントで成功するコツは「思いついた仕様の3分の2は捨てる」というものがある。ただ、その段階では何をどう捨てたらよいのかが明確に浮き上がってこない。
結局、深夜になり午前2時過ぎに面白いゲームになるかどうかの確信を持てないまま本城氏が仕様を完成させ、「宇宙」をテーマに採用することだけが決まった。惑星の3Dグラフィックスを担当する学生と、音楽を担当する学生に必要な曲を指定し、石黒氏はゲームの基礎部分をプログラムするために3人は寝ずの作業に入った。残り6人のメンバーは体力を温存するため、その日の作業を終えた。
スキルがなくても「速習」できる開発環境
世界の会場での開発スタートは各地域の時間にあわせる。2日目の午前11時には、地球を一周してハワイでの開発作業が始まり、全世界で同時にゲームを作る状態に突入した。
筆者を含め、朝からろくに戦力になっていない5人のメンバーは、開発環境の「Unity」を速習することから始めた。石黒氏が作ったプログラムに合わせて、少しでも多くのゲームのマップを制作するのが目的だ。
この開発環境は最初の学習やゲームを動かすまでのハードルが低い。プロの開発環境としても十分に耐えうるうえ、安価でもあることから、日本でも急速に普及が進んでいる。本城氏の会社でも開発に利用されているそうだが、本城氏自身は実際に使ったことはなかったという。
「果たして2時間程度で学習できるのか?」という疑問がついて回ったが、驚いたことに3時間後にはそれなりにゲームを動かせるようになってしまった。
「Unity」を使ったゲーム開発は、プラモデルを飾るジオラマに似ている。いわば「動くジオラマ」のイメージだ。ゲーム全体のルールを決めて、プラモデルに当たる「プレハブ」と呼ばれるものを画面上に配置する。プレハブにはプログラムが埋め込んであり、後は再生ボタンを押すだけで、ゲームが遊べる。プレハブの配置を変えればゲームの内容も変わってくる。
敵に相当するモンスターは「点」で表示され、これがプレーヤーに迫ってくる。テストでは点に赤い色がつけられており、筆者がお遊びで100個置いてみた。するとプレーヤーが急いで移動しないと、100個のモンスターがどんどん集まってくる。最後にはモンスターに押されて画面の外に押し出されてしまい、それが妙におもしろい。
個人の創意工夫が反映される即席ゲーム開発
石黒氏はモンスターの移動速度を簡単に変更できるようにしていた。プログラマーではなく企画者側では数値を変えることで、ゲームのおもしろさをどう演出するかを試行錯誤できるのだ。
ブレイクスルーはそこから起こり始めた。東京工科大学の学生である松浦章人さんが、さらに悪のりして、色違いで速度の違う様々なモンスターを作り、マップ上に配置した。一部のモンスターはミサイルのように飛んでくる。高速でプレーヤーをマップ上から押し出そうとしてくるので、それを回避しながらゴールを目指すゲームになってきた。
すると石黒氏が「モンスターメーカー」と呼ぶプレハブを追加した。これは任意の時間で、任意の量のモンスターを生み出すことができるものだ。10秒で60体ものモンスターが迫り、大量のモンスターで画面があふれるようになった。これでゲームの性質ががらりと変わり、明らかに当初案よりもおもしろいという手応えが出てきた。
通常のゲーム開発と即席でゲームを作る場合の違いは何か。本城氏はそれぞれの方法論が決定的に違うことに気付いたという。
最初にがっちりと仕様を決めるのではなく、まず動く物を作る。その上で、プログラミングやマップ作りなどの分業を進め、ゲームの中身を練り上げていく。既存のマネジメント手法を破棄して、個人の創意工夫を反映させることで生まれるゲーム性に流れを任せることにした。
すると、どんどんと新しい機能が追加され、さらに別のゲームに発展していく。
2日目の夜にはゲームの方向性が明確になり、周辺の他チームの人に遊ばせては、その失敗に爆笑が起きるという好循環も生まれた。2日間で3時間程度しか寝ていない石黒氏は、ふらふらな状態でもゲームを作り込む楽しさを満喫していた。他のチームメンバーも一様に寝不足で無精ヒゲを生やしていたが同様に作業を楽しんでいた。
48時間でたどり付けるゲームの骨格
3日目の午後7時が「48時間」の終了である。その時間きっかりに、たとえ未完成であってもネット上の公式ページにアップロードしなければならない。最後の数時間は追い込みで、各チームとも「どこまでこだわれるか」という争いになってくる。
だが、筆者のチームのゲームは完成度の点で問題が残るものが出来上がってしまった。ゲームの製作者は開発途中で操作に慣れてしまうため、難易度の高いものを作りがちだ。本来ならテストプレーヤーを募って、難易度を調整しなければならないのだが、とてもその時間がなかった。
そのため、松浦さんの作ったマップは、本人以外はゴールにたどり着けないほど、難しいものなった。実際に遊んでみて最終面まで到達できた人はまずいないだろう。
ただ、ゲームの骨格ははっきりと出来上がった。グラフィックスをスタイリッシュにして、バランスを取って、キャラクターを追加していけば、テンポが極端に速いレースのような、愉快なアクションゲームになるだろう。
スキルが乏しいメンバーを抱えても、わずか48時間で、ここまでゲームの骨格を作り上げられるということは、ゲーム開発のあり方が大きく変わっていることを示している。自分用のノートパソコンを持ち込めば、誰もが十分に作り込めるほど、ゲームの開発環境の敷居が下がっているのだ。
終了後のプレゼンでは、17チームで同じようなゲームは一つもなかった。良く仕上がったパズルゲーム、とりあえずゲームを作り上げたがバランス調整に難があったチーム、完成に至らず悔しがっていたチーム、時間が足りないため一部の機能に特化して仕上げたチームなど、それぞれがドラマを抱えていた。
同じメンバーでチームを組むことは2度とないだろうが、参加者は一様に「ゲームを作ることは本当に楽しい」と実感していた。GGJの期間中、全世界では2210ものゲームが発表され、国境を越えてみながゲーム開発でダンスを踊った48時間だった。
1970年生まれ。慶應義塾大学商学部及び環境情報学部卒。ゲーム会社で営業、企画職を経験後、ゲーム産業を中心としたジャーナリストに。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)副代表、立命館大学映像学部非常勤講師、日本デジタルゲーム学会(digrajapan)理事なども務める。