ソーシャルメディアで経営改革 老舗食品スーパーの決断
広がる「ソーシャルシフト」
茨城県を中心とする北関東に約140店舗を展開する老舗食品スーパーのカスミ。インターネットとは無縁で、ツイッターやフェイスブックなどでの情報発信もいっさいしてこなかった同社が「ソーシャルシフト」に沸いている。ソーシャルシフトとは、ソーシャルメディアを使って社内改革や経営革新に取り組む動きを指す。昨年11月に同名の書籍が発刊されたのを機に、全国でソーシャルシフトが広がりを見せている。
「ツイッターやフェイスブックでお客様や社員の声に耳を傾け、対話し、真の顧客志向の経営へと変革する。『ソーシャルシフト』に書かれている事例を知り、カルチャーショックを受けた。何を言ってるんだと思われるかもしれないけれど、それほど立ち遅れていた。地べたに這いつくばって汗水垂らし、お客様に頭を下げていればいいんだと、ずっと思ってやってきたから」
この3月に71歳になるカスミの小浜裕正会長は、茨城県つくば市に構える地方大学のような風貌の本社で、そう吐露した。1965年、米軍による北ベトナム爆撃が始まった年に神戸商科大学を卒業後、ダイエーに入社。たたき上げで専務取締役まで上り、2000年、カスミに転じた。以降、副社長、社長、会長を務め、カスミの再建に肝胆(かんたん)を砕く。
ファミリーレストラン、コンビニエンスストア、ホームセンター……。不採算事業を次々に整理し、本業の食品スーパーに集中。03年にはイオングループと資本・業務提携をし、持ち分法適用会社となった。徹底したコスト削減と顧客志向で業績は回復、右肩上がりで売上高を伸ばす。12年2月期の売上高は約2200億円、営業利益は77億円と、ともに過去最高を見込む。
だが、チェーンストア産業の生き字引ともいえる小浜会長は今、業績のV字回復を果たしながらも、強烈な危機感にさいなまれているという。
「顧客の声を聞くと言いながら、何も聞いていなかった」
「昨年、カスミは創業50周年を迎えた。消費者のライフスタイルは大きく変わり、リーマンショック以降は生活感も変化した。しかし食品スーパーは何も変われていない。米国のGMS(総合・スーパー)を学び、それに縛られ、なかなか自己革新ができないでいる。食品スーパーが果たすべき役割や使命は何なのか。従来型ではない思想で社会とのつながりを再構築しない限り、食品スーパーは廃退していくんだろうという危機感が強烈にある」
「我々はお客様の声を聞くと言いながら、じつは何も聞いていないに等しかった。本質も捉えることができていない。地域の生活者との接点のあり方を根本から変えないと、過去の経験の積み上げだけではこの先、生き残るのは難しい。ただ分かってはいるけれど、どうすればいいのか。悶々(もんもん)としていたというのが正直なところです」
そう危機感を抱え、懊悩(おうのう)していた小浜会長は、書籍との出会いを機にソーシャルメディアを経営に生かすという未知の世界へと踏み出す。
全日本空輸、スターバックス、良品計画……。ソーシャルメディアを通じて社員と消費者、社員同士が対話しながら、ボトムアップで経営変革を進める各社。それらの事例が載ったソーシャルシフトを小浜会長に差し出したのは、カスミの監査役だった。
「僕はフェイスブックもツイッターもやっていない。その世界はまったく疎い。けれども、本の内容が、カスミの目指すべき方向と同じだということは分かった」。そう話す小浜会長は、同書籍を教材とした「読書勉強会」を毎週火曜日の朝7時から、定例役員会議の前に開催することにした。
役員に現場の邪魔をさせない
参加者は定例役員会議に参加する執行役員以上の16人。章ごとに担当を決め、毎回、担当が自分なりに読み解いた感想と、自社にどう生かすべきかの提案などを披露した。「ここは非常に共感できます。でも、ここはカスミでは難しい」。読書勉強会は昨年12月から今年1月まで、計7回開催された。
経営層がフェイスブックやツイッターが何たるかを理解し、最新のソーシャルメディアを使いこなす。そんな短絡的なことが目的だったわけではない。小浜会長の狙いは2つ。思想を共有すること。そして「役員に現場の邪魔をさせないこと」だ。
「生活者の知識、知恵との『交流』をいかに工夫して実践するか。双方の知恵の交流からしか、新しい価値は創造できない。そのために、生活者との新しい関係性を作り上げることが『ソーシャルシフト』だと思っている。何も道具を勉強したいわけじゃない。思想を勉強したかった」
「何が世の中で起きているのか。どういう手段があるのか。我々経営層が最も疎い。せいぜいメール。自分の物差しで物事を見ているから、フェイスブックの認識すらない。だから、若手がソーシャルメディアを活用した取り組みを提案しても、上層部が否定して潰しにかかる。少なくとも理解をし、邪魔をしてはならないという気持ちを役員に持たせたかった」
「ソーシャルシフト推進室」を3月に設置
2月中旬、カスミは新設の組織「ソーシャルシフト推進室(仮)」の設置を決めた。具体的にソーシャルメディアをどう活用するか。社員にどう浸透させ、顧客とどう向き合うべきかを、数人のメンバーを軸に、3月から検討していく。
「まずは当初メンバーの数人を指名して自主的にやらせてみようかなと。対象は担当マネージャー(課長職)以下。部長以上はやらせない。人選は今までの人事が決めるやり方はやめとけと言っている。だいたい人事はろくな決め方ができないんだから。その後のメンバー補強は公募なり、彼らが決めていけばいいと思っています」
ツイッターやフェイスブック含め、何一つ公式のアカウントを持たず、店舗も社員も何1つ発信して来なかった。その古い会社をがらりと変える大きな一歩を、カスミは踏み出した。
「会社を大きく変えるのは現場だけじゃ難しい。特に、ネットとは無縁の旧来型企業のトップに読んでほしいと思っていた」。『ソーシャルシフト』の著者、斉藤徹氏はそう話す。
ツイッターやフェイスブックで新商品の情報や企業広報をする。そんな小手先の「ソーシャルメディア対策」には何の意味もない。「経営者がソーシャルメディアを使いこなせと言いたかったわけでもない。組織の壁で断絶された社員同士が対話を始め、顧客のことを分かったつもりでいた社員が直接、顧客と交流できる時代。社員同士、社員と顧客がつながる力を、経営陣は無視してはいけない。それを、伝えたかった」と斉藤氏は言う。
経営層を対象とした講習会で後押し
とは言え、過去の成功体験に縛られ、自らの手綱を信じ、社員や顧客の声に耳を貸そうとしない経営者は多い。特に自分の知らない、あるいは興味がないソーシャルメディアの話になると、リスクを盾に露骨な拒絶反応を見せる経営者も多いという。カスミの小浜会長のように「役員に邪魔をさせない」と理解を示す経営者は希有と言ってよい。
会社を変えたいと現場がいくら蜂起してもひねり潰そうとする経営者をどう説得するか。斉藤氏は壁にぶつかる企業の経営陣を対象に、ソーシャルシフトの理解を深める「講習会」の受託を、この3月から本格化させる。想定する発注者は、変革を望む意欲ある現場。すでに大手飲料メーカーなど数社からの引き合いがあるという。
斉藤氏はメディア産業の見地も必要と、講師として元電通の佐藤尚之氏も誘った。佐藤氏はCMプランナーとして活躍した一方、早くからブログを立ち上げ、官邸のソーシャルメディア活用に個人として携わった経験もある。昨年3月からは、電通を辞め、官民による被災地支援の情報共有サイト「助けあいジャパン」の運営などを続けてきた。佐藤氏は言う。
「多くの日本企業は、ソーシャルメディアを自社に関するアテンション(興味)を誘う場所として扱う。媒体という発想。フェイスブックページを作ろう、ツイッターでアカウントを作ろう。広告会社と大きなキャンペーンをぶち上げるけれど、それでは3日後には誰も話題にしなくなる。表層的な上からの発想ではまったく通用しないし、意味がない」
企業版「アラブの春」、草の根で始動
あえて遠回りをして、経営に関わる全員の認知を底上げし、現場にまかせる。そのための土台作りを支援するために、斉藤氏と佐藤氏は手を組んだ。ただ、望む企業すべてに対応することは不可能。基本は、「企業版『アラブの春』を現場主導で実現してほしい」と斉藤は願う。すでに、現場の蜂起は草の根で始まっている。
「1月に集まった大阪のメンバーなのですが、2回目の集まりをしようということで、2月28日、大広大阪本社の会議室でミーティング予定です。大阪でのソーシャルシフトのミーティングにご興味のある方がいましたら、ご連絡いただけましたら幸いです」「福岡のソーシャルシフトの会も第1回の勉強会を開催します。2月23日です」……。
2500人以上が参加するフェイスブックのコミュニティー「ソーシャルシフトの会」では最近、こんな書き込みが頻繁に投稿される。こうした、カスミの読書勉強会のようなオフ会が、昨年11月以降、全国各地で10回以上、開催されている。企業の垣根を超えた有志の作戦会議だ。参加者は勉強会の成果を自社に持ち帰り、社内改革に備える。
広がるソーシャルシフトの輪。カスミの小浜会長は言う。「ソーシャルメディアの活用で内部情報の漏えいなど問題が増えるのではと危惧しないこともない。でもそういうことをするヤツは個人のツイッターでもどこでもやる。やらないことの方がリスク」。北関東の老舗食品スーパーを見習うべき日本企業は、「大手」といわれるほど多いと感じるのは気のせいだろか。
(電子報道部 井上理)