結成16年以上の漫才賞レース「THE SECOND~漫才トーナメント~2024」のファイナリストになるなど、全国的な知名度を高めている那覇市出身のお笑いコンビ・ハンジロウ。沖縄の芸能事務所「オリジンlil」と、東京・下北沢で開いているお笑いライブ「下北GRIP」がコラボしたライブ「オリジン×下北GRIP 秋の陣」が10月26日に那覇市内で開催され、ハンジロウもオリジンOBとして出演した。たーにーとしゅうごパークに、沖縄時代を振り返ってもらいながら、ハンジロウの今までとこれからに迫る。
ハンジロウ
たーにーとしゅうごパークによるマセキ芸能社所属のお笑いコンビ。2人とも那覇市首里出身。結成当初から「しゃもじ」のコンビ名で活動していたが、2022年5月に現名称へ改名。2003~08年まではオリジン・コーポレーション(現オリジンlil)に所属。主なレギュラー番組に「Dokyoハブストーリー 〜沖縄同郷物語〜」(沖縄テレビ)、「地元発見! ハマって★ハンジロウ」(YOUテレビ、横浜市)。受賞歴に「第5回 ビートたけし杯 お笑い日本一」(2023年)優勝など。
沖縄時代は「本当に青春」
―今回のイベント「オリジン×下北GRIP 秋の陣」では「オリジン側の一員」のような立ち位置で出演しました。どのような心持ちでしたか?
しゅうごパーク(以下、しゅうご) 根っこはオリジンなんで、実家に帰ってきたぐらいの気持ちです。
―オリジン時代を振り返ってみていかがですか?
しゅうご 本当に青春です。その当時のメンバーが誰もほぼ辞めずに東京にも沖縄にもいます。沖縄組がざみさん(こきざみインディアン)とか、Kジャージさんとか。東京だったらスリムクラブさん、キャンキャンさん、三日月マンハッタンさん、ナインボールとか。東京で活動しているけど、それでもオリジンの脈絡は続いている感じですね。模合もやっていますし。
たーにー 「元オリジン」っていうグループラインがあって、そこにみんな入っています。オリジンの同世代の芸人さん、不思議だなと思うのが、ほぼ誰も芸人を辞めていないんですよ。東京だとそんなのありえないんで。
しゅうご みんなお笑いを続けているっていうのがすごいです。
―どうしてだと思います?
しゅうご えー、みんな感覚バグってるんじゃないですか!?
たーにー 「楽しい」だけでは続けられない年齢じゃないですか(笑)? 40歳とか超えてるわけですから。すごいなあと思います。
しゅうご 本来なら、スリムさんとざみさんと(キャンキャンの)ゆっきーさん以外は全員辞めてないといけないですよね。
たーにー 辞めてないと「いけない」!?
THE SECONDで三日月マンハッタンと同組
―「THE SECOND」のノックアウトステージでは、同じ予選グループでハンジロウと三日月マンハッタンが入って、早い段階でどちらかが姿を消してしまう状況になってしまいました。あの組み合わせを知った時はどんな心境でしたか?
しゅうご 嫌よ!
たーにー ますは「嫌」ですね。
しゅうご まずは「嫌」だし、(三日月マンハッタンに)勝つしなーっていう。
たーにー ひでぇな! 後輩の発言とは思えないな。でもどうせなら、同じブロックになった以上は闘いたかったですね。それでちょっとでも沖縄勢として盛り上げられたらと思っていました。
しゅうご そこはぜひ、来年決勝ラウンドで実現させたいですね。スリムさん、三日月、ナインボールと「THE SECOND」で対戦することがこの先にあれば、激アツですよね。
―オリジンぐらいの規模の事務所から出てきて、賞レースの上位に何組も残っているのはすごいことですよね。
しゅうご そうなんですよ。みんな結構残ってるんだよなぁ。
―10月の金武町まつりに出演した際、共演者の中には、こきざみインディアンさんもいらっしゃいましたね。
たーにー 一緒の舞台に立つのはもう13、14年ぶりぐらいかと思います。気持ちがあの当時に戻りましたよね。なんせこきざみさんが20年前と同じネタやったんですよ。懐かしさを覚えたのと、まだ通用するんだという驚きでした。すごいネタを作っているんだなって。
しゅうご 同じネタでずっとウケ続けているって、大阪だとなんばグランド花月とか、東京だと浅草東洋館に出演するような師匠クラスの芸人と同じ領域ですよね。
沖縄訛りでネタをし始めた境地
―オリジン時代の思い出はどのようなものがありますか?
しゅうご 言えるものと言えないものがあるんですけど(笑)。
たーにー こきざみさんと三日月さんと北谷で投げ銭方式の路上ライブして、M-1の予選に出る資金を集めたりしていました。そういうの懐かしいですね。
しゅうご 当時はこれが一番熱くやっていたことですね。
―沖縄出身芸人としての色を前面に出したネタも結構ありますよね。
しゅうご ガレッジセールさんとかホームチームさん、キャンキャンさんとかの上の世代が、沖縄のネタをかなりやっていたので、自分たちは「あれをやったら負けだ」って思っていたんですよ。だけど、30歳過ぎたあたりで「そもそもの沖縄のアイデンティティーにあらがうことがばかみたいだな」と思うようになって、堂々と沖縄のネタをできるようになりました。沖縄のネタで動画がバズったものもあったので、今までやっていなかったのがもったいなかったなと。
―沖縄でやってきたことを東京でどのように対応させていったのでしょうか?
しゅうご それはもう、場数を踏むしかなくて。例えば「なんでよや」ってツッコんでいたのを「なんでだよ」にすると言葉のリズムが変わって間(ま)がズレてくるので、ウケなくなったことはありました。ただ、今は東京にいろんななまりの芸人さんがたくさんいて、お笑いが多様化してるんですよね。沖縄出身っていうのはそこまで珍しくもない個性だと思います。今はもう結局「なんでよや」ってツッコんでますしね。
―今後、ハンジロウとしてやってみたいことを教えてください。
たーにー みんな元気なうちにオリジンのOBで集まって沖縄でライブをやってみたいですね。やりますか!? めっちゃ楽しそうですね! 問題はスリムクラブさんのギャラですね。
しゅうご それ以外には問題は一つもない(笑)。