世界選手権へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 10:27 UTC 版)
「ジャコモ・アゴスチーニ」の記事における「世界選手権へ」の解説
これらの結果はドメニコ・アグスタ伯の目にとまり、アゴスチーニはMVアグスタと契約、マイク・ヘイルウッドのチームメイトとなった。1965年シーズン、アゴスチーニは350ccクラスでホンダのジム・レッドマンとタイトルを争った。シーズン最終戦、日本GPで彼のマシンは不調となり、タイトルはレッドマンの物となった。 1965年シーズンが終わると、ヘイルウッドは気難しいアグスタ伯の下で走るのに嫌気がさしホンダに移籍した。アゴスチーニはMVアグスタの第1ライダーとなり、彼はそれに応えて500ccのタイトルを7年連続で獲得した。彼はまた、350ccのタイトルも7回獲得し、マン島TTレースも10回制した。彼は現在もイギリス人以外で同レースを10回制した唯一のライダーである。1967年シーズンはヘイルウッドとタイトル争いをすることになるが、グランプリ史上最もドラマチックなシーズンの1つとなった。最終戦はヘイルウッドが勝利し、両名とも5勝を挙げたものの、有効ポイントの差でアゴスチーニがタイトルを獲得した。 1972年のマン島TTレースでジルベルト・パロッティが事故死し、アゴスチーニは2度とマン島TTレースに参加しないと発表、グランプリ界に激震が走った。彼は37マイルのコースが世界選手権を戦うには危険だと考えた。当時TTレースはカレンダーの中で最も権威のあるレースであった。その他のトップライダーも彼のボイコットに賛同し、1977年にマン島TTはグランプリのカレンダーから外れることとなった。 アゴスチーニは1974年シーズンをヤマハで戦うと発表し、レース界を驚かせた。日本メーカーのファクトリーライダーとして彼は、アメリカでの2輪レースで最も権威のあるデイトナ200で勝利した。その年彼は350ccのタイトルを獲得したものの、500ccは負傷と機械的問題のためタイトルを逃がした。1975年は500ccのタイトルを獲得、2ストロークマシンで最高峰クラスを初めて制することとなった。 1975年のタイトルはアゴスチーニにとって最後のタイトルとなった。1976年、彼は500ccにスズキとMVアグスタで参加し、350ccではアッセンで唯一勝利した。ニュルブルクリンクでは500ccにMVアグスタで参加、優勝したがこれが最後の勝利となった。この勝利は4ストロークマシンにとっても最後の勝利となった。 1977年シーズンは復帰したヤマハで戦いシーズン6位となった。この年をもってアゴスチーニは世界GPを引退、同様に750cc耐久も引退した。 1969年以降のポイント制度: 順位 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 得点 15 12 10 8 6 5 4 3 2 1 年クラス車両12345678910111213ポイント順位1963年250ccモト・モリーニESP GER IOM NED BEL ULS DDR NATRet ARG JPN 0NC1964年250ccモト・モリーニUSA ESP FRA IOM NED BEL GER4 DDR ULS NAT4 JPN 612位1965年350ccMVアグスタ GER1 IOM3 NED3 DDRRet CZERet ULS FIN1 NAT1 JPN5 32 2位 500ccMVアグスタUSA GER2 IOMRet NED2 BEL2 DDR2 CZE2 ULS FIN1 NAT2 32 2位 1966年350ccMVアグスタGERRet FRA2 NED2 DDR1 CZE2 FINRet ULS2 IOM1 NAT1 JPN 42 2位 500ccMVアグスタGER2 NED2 BEL1 DDRRet CZE2 FIN1 ULS2 IOM2 NAT1 36 1位 1967年350ccMVアグスタGER2 IOM2 NED2 DDR2 CZE7 ULS1 NATRet JPN 32 2位 500ccMVアグスタGER1 IOMRet NED2 BEL1 DDR1 CZE2 FIN1 ULS20 NAT1 CAN2 46 1位 1968年350ccMVアグスタGER1 IOM1 NED1 DDR1 CZE1 ULS1 NAT1 32 1位 500ccMVアグスタGER1 ESP1 IOM1 NED1 BEL1 DDR1 CZE1 FIN1 ULS1 NAT1 48 1位 1969年350ccMVアグスタESP1 GER1 IOM1 NED1 DDR1 CZE1 FIN1 ULS1 NAT YUG 90 1位 500ccMVアグスタESP1 GER1 FRA1 IOM1 NED1 BEL1 DDR1 CZE1 FIN1 ULS1 NAT YUG 105 1位 1970年350ccMVアグスタGER1 YUG1 IOM1 NED1 DDR1 CZE1 FIN1 ULS1 NAT1 ESP 105 1位 500ccMVアグスタGER1 FRA1 YUG1 IOM1 NED1 BEL1 DDR1 FIN1 ULS1 NAT1 ESP 90 1位 1971年350ccMVアグスタAUT1 GER1 IOMRet NED1 BEL1 DDR1 CZERet SWE1 FIN1 ULS NATRet ESP 90 1位 500ccMVアグスタAUT1 GER1 IOM1 NED1 BEL1 DDR1 SWE1 FIN1 ULS NATRet ESP 90 1位 1972年350ccMVアグスタGER2 FRA4 AUT1 NAT1 IOM1 YUGRet NED1 DDRRet CZERet SWE1 FIN1 ESP 102 1位 500ccMVアグスタGER1 FRA1 AUT1 NAT1 IOM1 YUGRet NED1 BEL1 DDR1 CZE1 SWE1 FIN1 ESP 105 1位 1973年350ccMVアグスタFRA1 AUTRet GERRet NAT1 IOM YUG NED1 CZE2 SWE2 FIN1 ESP 84 1位 500ccMVアグスタFRARet AUTRet GERRet NATC IOM YUG NEDRet BEL1 CZE1 SWE2 FIN1 ESP 57 3位 1974年350ccヤマハFRA1 GER AUT1 NAT1 IOM NED1 SWEDNS FIN YUG1 ESP 75 1位 500ccヤマハFRARet GER AUT1 NATRet IOM NED1 BEL2 SWERet FIN CZE6 474位1975年350ccヤマハFRA2 ESP1 AUTRet GERRet NAT2 IOM NED4 FIN2 CZERet YUG 59 2位 500ccヤマハFRA1 AUTRet GER1 NAT1 IOM NED2 BELRet SWERet FIN1 CZE2 84 1位 1976年350ccMVアグスタFRARet AUTRet NATRet YUGRet IOM NED1 FINRet CZERet GERRet ESP 1515位500ccMVアグスタFRA5 AUT6 GER1 267位スズキ NATRet IOM NEDRet BELRet SWE FINRet CZERet 1977年350ccヤマハVEN GER2 NAT8 ESP- FRA11 YUG- NED- SWE13 FIN- CZE10 GBR- 1616位500ccヤマハVEN AUT GER NAT5 FRA2 NEDRet BEL8 SWE9 FINRet CZE2 GBR9 376位
※この「世界選手権へ」の解説は、「ジャコモ・アゴスチーニ」の解説の一部です。
「世界選手権へ」を含む「ジャコモ・アゴスチーニ」の記事については、「ジャコモ・アゴスチーニ」の概要を参照ください。
- 世界選手権へのページへのリンク