北関東の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 00:18 UTC 版)
室町時代、関東地方には鎌倉公方が置かれ、関東の諸国の統治を任じられた。これを補佐するのが関東管領である。ところが、鎌倉公方家は室町幕府と対立、関東管領とも反目し、関東一円を巻き込んだ争乱を引き起こした(永享の乱・享徳の乱)。 関東管領職には足利氏の外戚である上杉氏が就任、上杉家は4分家に分かれて交代で関東管領職を担った。鎌倉公方が衰えると関東管領上杉氏が台頭するが、山内上杉家と扇谷上杉家が敵対、抗争するようになった。 戦国時代に入ると相模国の後北条氏が関東一円に進出し、関東管領職は実力を失い名ばかりの地位となった。上野国の平井城(群馬県藤岡市)を本拠とする関東管領・山内上杉家の上杉憲政は、河越城の戦い(1546年、埼玉県川越市)で後北条氏に大敗した。 その後も上杉憲政は南から後北条氏(北条氏康)、西から武田氏(武田信玄)の侵攻を受ける。上野国の諸勢力は後北条氏に転じるものが相次ぎ、とうとう上杉憲政は天文21年(1552年)に越後国(新潟県)の長尾氏(上杉謙信)を頼って落ち延びた。
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