南部の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 22:53 UTC 版)
北からの侵攻と別に、アメリカ軍は、レイテ島南部を東岸のアブヨグから西岸のバイバイへ横断する道路を抜け、西岸を北上してオルモックを目指す作戦を立案していた。11月初旬に横断道は開通し、第7師団の第32歩兵連隊が進出を始めた。11月22日にブラウエン飛行場地区へ増援の第11空挺師団が到着すると、それまでブラウエン飛行場の守備をしていた第7師団主力も同様にバイバイへの移動を始めた。しかし、雨で道路状況が悪化したため、進出は低調だった。 アメリカ軍部隊の西岸進出を知った日本軍は、オルモックから独立混成第55旅団の独立歩兵第364大隊の一部を迎撃に向かわせたが、待ち伏せを受けて全滅してしまった。そこで次いで11月13日に第26師団の独立歩兵第12連隊の1個大隊を派遣し、アメリカ軍の兵力が多いのを見ると第26師団からさらに3個大隊を増援に送り、これらで斉藤支隊を編成した。 11月23日にダムラアン北方のパラナス川で、斉藤支隊とアメリカ軍の第32歩兵連隊が本格的な交戦状態に入った。斉藤支隊の攻撃でアメリカ軍は一時後退を余儀なくされ、その後、歩兵1個大隊と砲兵1個大隊、戦車などの増援を受けてかろうじて回復に成功した。その後も27日までアメリカ軍は攻勢をとることができなかったが、28日から第7師団主力が加入し戦況が逆転した。他方日本軍は、後述のブラウエン飛行場総攻撃の実施が決まったため、この方面での攻撃を中止し、徐々に後退をしていた。12月4日にはアメリカ軍の補給船団がバイバイへ到着した。アメリカ軍は、水陸両用戦車による迂回攻撃などを行いながら、わずかずつ前進した。
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