各巻の概要
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首巻 永録10年(1567年)まで 天文15年(1546年)信長元服。天文21年(1552)頃父織田信秀が死、家督相続。天文23年清洲城攻略。永録1年(1558年)弟織田信勝を謀殺。永録2年岩倉城を攻略。永録3年桶狭間の戦い。永録7年犬山城を攻略し尾張統一。永録10年稲葉山城の戦いで岐阜を攻略。 巻1 永録11年(1568年) [2月北伊勢を征服。(勢州軍記)] 7月足利義昭を招く。9月近江の六角氏を破り入京。10月三好三人衆らを破り畿内平定。義昭は征夷大将軍。 巻2 永録12年(1569年) 2月義昭のために二条城を建築開始、4月完成。10月南伊勢攻め(大河内城の戦い)。 巻3 元亀1年(1570年) 4月朝倉義景を攻めたが 浅井長政が離反したため京へ逃走(金ヶ崎の戦い)。改めて6月に朝倉・浅井軍と姉川の戦い。9月に石山本願寺が敵対(野田城・福島城の戦い)。9月近江志賀の陣で対決した朝倉・浅井軍を比叡山延暦寺が保護。 巻4 元亀2年(1571年) 5月長島を攻めたが撤退。9月坂本および比叡山を焼き討ち。 巻5 元亀3年(1572年) 7月浅井の小谷城を攻めたが撤退。10月武田信玄が甲府から西上。12月三方ヶ原の戦いで徳川家康が敗北。 巻6 天正1年(1573年) [4月信玄が病死。] 7月義昭を追放(槙島城の戦い)。8月朝倉・浅井滅亡(一乗谷城の戦いと小谷城の戦い)。11月佐久間信盛が三好義継を滅ぼす(若江城の戦い)。 巻7 天正2年(1574年) 4月越前を一向一揆が支配。9月長島一向一揆を殲滅。 巻8 天正3年(1575年) 5月長篠の戦い。8月越前一向一揆を殲滅。9月から柴田勝家が越前を支配。11月信長は権大納言・右近衛大将。 巻9 天正4年(1576年) 1月安土城を築城開始。5月本願寺と天王寺の戦い。7月第一次木津川口の戦いで毛利方の村上水軍に敗北。 巻10 天正5年(1577年) 3月雑賀紀州攻め。10月織田信忠が松永久秀を滅ぼす(信貴山城の戦い)。10月羽柴秀吉が播磨から中国攻めを開始。[11月信長は従2位右大臣。] 巻11 天正6年(1578年) 2月播磨の別所長治が謀反。[3月上杉謙信が急死。] 10月斎藤利治が飛騨経由で越中攻め(月岡野の戦い)。11月鉄甲船を使った第二次木津川口の戦いで大阪湾の制海権を握る。以後本願寺を兵糧攻め。11月摂津の荒木村重が謀反。 巻12 天正7年(1579年) 5月安土城完成。明智光秀が8月に丹波を、10月に丹後を平定。備前の宇喜多直家が毛利から織田へつく。12月荒木一族を処刑。 巻13 天正8年(1580年) 1月秀吉が三木合戦の末に播磨を平定。3月小田原の北条氏政と同盟。5月羽柴秀長が但馬を平定。 8月本願寺が降伏し大坂本願寺戦争終結。11月勝家が加賀を平定。 巻14 天正9年(1581年) 2月京都御馬揃え。9月織田信雄が伊賀を平定(天正伊賀の乱)。10月秀吉が鳥取城を兵糧攻め。 巻15 天正10年(1582年) 3月信忠の甲州征伐で武田氏滅亡。5月秀吉が備中高松城の戦いで水攻め。[6月勝家が越中魚津城を攻略。] 6月本能寺の変。 ([ ]内は信長公記に記載がない事項の補足。)
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「クイーンズブレイド 美闘士列伝」の記事における「各巻の概要」の解説
武者巫女絵巻 2007年4月28日発売。武者巫女トモエがヒノモトから大陸へ旅立つ直前の話で、彼女に襲いかかる妖怪や忍者との闘いの物語。イラストはえぃわ。 古代王女の書 2008年2月15日発売。古代アマラ王国の滅亡、そして沼地の魔女の手により復活したメナスとセトラの物語。イラストはF.S。 流浪の戦士冒険記 2009年2月28日発売。流浪の戦士レイナの旅立ち、炎の使い手ニクスの誕生。イラストは金子ひらく。
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ナムコスターズと他球団の対戦が全巻共通のテーマである。第1巻の冒頭では、ナムコスターズは万年最下位の弱小球団として描かれているが第2巻の冒頭でリーグ優勝して以降は球界の大物が「打倒ナムコ」を旗印に編成する様々な球団と対戦するのがパターンになっている。著者は巻ごとに異なっているが、サイコロを使わないゲームシステムと中村亮がイラストを担当している点は全巻共通である。
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通常の寺社縁起のごとく、開山の縁起を記したものではなく、平安時代中期に信貴山で修行して当山の中興の祖とされる命蓮に関する説話を描く。山崎長者の巻、延喜加持の巻、尼公の巻の3巻からなる絵巻で、作者は不明ながら、人物の表情や躍動感を軽妙な筆致で描いた絵巻の一大傑作であり、『鳥獣人物戯画』とともに、日本の漫画文化のルーツとされる。
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慶長8年古活字本による。 巻 西暦 1 1318 後醍醐天皇即位。 1324年討幕計画発覚(正中の変)。 2 1331 再び討幕計画発覚。以後が元弘の乱。 後醍醐天皇は笠置山城へ脱出。 3 楠正成、赤坂城で挙兵。 笠置山は落城。後醍醐帝逮捕。赤坂城も落城。 4 1332 後醍醐帝、隠岐へ流罪。 5 幕府の執権北条高時は「田楽以外になにもしない」と評される。 6 楠正成、赤坂城を再攻略。 7 楠正成、改めて千早城で挙兵。後醍醐帝、隠岐を脱出。 8 1333 播磨国の赤松則村が反乱し、京の六波羅軍と戦う。 9 足利尊氏、鎌倉から上洛。途中で討幕を決意し、六波羅を攻め落とす。 10 新田義貞が上野国で挙兵。鎌倉を攻め、北条高時死。鎌倉幕府滅亡。 11 九州の鎮西探題も陥落。 後醍醐帝が帰京。建武の新政。 12 1334 公家の政治に武士は不服。護良親王が逮捕され失脚。翌年暗殺。 13 1335 高時の子北条時行が鎌倉を占領。尊氏が東征し鎌倉を奪還(中先代の乱)。 14 新田義貞が尊氏追討のため東征(建武の乱はじまる)。尊氏は新田軍と戦いつつ入京。 15 1336 奥州の北畠顕家軍が上洛。尊氏は、新田・北畠・楠連合軍に敗北し、都落ち。 16 尊氏は九州を根拠地に、再び上洛。湊川の戦いで楠正成が戦死。 17 尊氏入京。 北朝の光明天皇が即位。 18 後醍醐帝は吉野へ潜幸し、南北朝分裂。 1337 新田軍が守る越前の金ヶ崎城が陥落。 19 1338 北畠顕家が石津の戦いで戦死。尊氏は征夷大将軍となり、室町幕府はじまる。 20 新田義貞、越前国の藤島で、斯波高経と戦い戦死。 21 1339 後醍醐帝崩御。後村上天皇が後継即位。 22 1342 脇屋義助(新田義貞の弟)が、伊予国で病死。 23 土岐頼遠が、酒に酔って光厳上皇の牛車に矢を射り、斬首。 24 1345 尊氏、天竜寺を建て、後醍醐帝を供養。 25 1347 楠正成の嫡男楠正行が挙兵。藤井寺と住吉で勝利。 26 1348 幕府の執事高師直が、四條畷で楠正行と戦い、正行は戦死。 続いて師直は吉野を攻め、後村上帝は逃亡。 27 1349 尊氏の弟足利直義と高師直が不和。直義は出家。その政務を尊氏の嫡子足利義詮が後継。 28 1350 直義が京都を脱出、南朝と結んで高師直に対し挙兵(観応の擾乱)。 29 1351 高師直兄弟は、直義と和睦したが、直義方の上杉能憲に殺される。 30 尊氏が南朝と和睦し、4ヶ月間の正平一統。直義攻めのために尊氏は関東へ。 1352 直義は鎌倉で急死。尊氏が京不在の間に、北畠顕家の弟北畠顕能と、楠正成の三男楠正儀が、第1回南朝軍入京。 31 尊氏は関東で新田軍に勝利(武蔵野合戦)。 義詮は京を奪還(八幡の戦い)。 32 1353 楠正儀と直義の元部下山名時氏らが、第2回南朝軍入京。 1355 尊氏の庶子足利直冬と山名時氏らが、第3回南朝軍入京(神南の戦い)。 いずれも翌月には義詮・尊氏軍が京を奪回。 33 1358 尊氏、背中の腫れ物により病死。 34 足利義詮、足利家第2代将軍になる。仁木義長を引き継いで細川清氏が執事。 35 1360 細川清氏と関東管領畠山国清により、仁木義長が失脚。 36 1361 細川清氏も失脚。仁木義長と細川清氏は南朝へ下る。畠山国清も失脚し伊豆で謀反。 37 細川清氏と楠正儀が、第4回南朝軍入京。翌月撤退。 38 1362 細川清氏は、いとこの細川頼之と戦い讃岐で戦死。畠山国清は修善寺城で降伏。 39 1363 周防・長門の大内弘世、山陰の山名時氏、仁木義長らが幕府に従う。 40 1367 足利義詮が病死。細川頼之が管領となり、新将軍足利義満を補佐。
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