太刀振り
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太刀振り(たちふり)は京都府北部を代表する芸能のひとつで、構成から大きく3系統に分類される。俗に「丹後型」と称される太刀振りは、宮津市の籠神社を中心に加悦谷地域をはじめ丹後半島一帯に広く分布するもので、同じ技を一斉に演じる群舞に特徴がある。これを、「大太刀」といい、多くは笹囃子とともに奉じられる。 もっとも古い太刀振りは、室町時代からと伝えられる矢田部神社(旧野田川町石川区大宮)の奉納の太刀振りがあり、記録に残るところでは大宮神社(旧野田川町石川区大宮)の享保年間の記録「石川村明神祭礼之次第」に、「太刀振り二十人」と記載される。このほかに丹後地方の記録に残る太刀振りはみられないが、近世にはいくつかの村落に定着していたものと考えられている。石川区と野田川を挟んで対岸に位置する山田区の太刀振りは、山田区を代表する芸能とされているがその歴史は比較的浅く、大正時代に伝承されたものである。 太刀振りの衣装は、たっつけ袴、手甲、白足袋、鉢巻、白襷の着物姿が伝統の装束であるが、上山田地区だけは赤い襷をかける。 囃子方は、屋台の楽太鼓と締太鼓、横笛、掛け声などを組み合わせたもので、それらの拍子にあわせて振る太刀の長さは、約2メートル。地区内の巡行や神社への参詣で、舞いながら1歩ずつ進む「道振り」、いわゆる奉納舞である「宮振り」など、いくつかの型がある。
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太刀振り
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「大虫神社 (与謝野町)」の記事における「太刀振り」の解説
戦前は青年組が行っていたが戦後は小学3年生から中学3年生までの男子児童が行っている。技法は1番から5番までの5段階があり、1番は太刀を振るのみ、2番で跳躍が加わり、3番で太刀を片手持ちにし、4番で跳躍の難易度が増し、5番でさらに増すと、難易度が異なるため、3番までは全員が参加するが4・5番になると高学年の上達者のみとなる。また奉納の場所や目的によって「ホンブリ(本振り)」「ミチブリ(道振り)」「ダンブリ(段振り)」と3種に分かれ、「ホンブリ」は各戸への門付けと両神社社頭で、「ミチブリ」は神社の参道参進時に、「ダンブリ」は参道の石段を登る時に演じられる(技法の5段階を演じるのは「ホンブリ」のみで、しかも門付けでは通常3番までしか演じられない)。振り手は襦袢、裁着袴に襷を掛け、頭に白鉢巻を巻き草履を履く。なお、太刀はかつては真剣であったために怪我が絶えず、参加者は稽古に励むとともに奉納時には塩水を飲んで身を清めたという。
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