室町家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/02 17:06 UTC 版)
室町家(四辻家) | |
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本姓 | 藤原北家閑院流西園寺庶流 |
家祖 | 室町実藤 |
種別 |
公家(羽林家) 華族(伯爵) |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 |
山城国 東京府 東京都 |
著名な人物 |
四辻季遠 四辻与津子 |
支流、分家 |
西四辻家(羽林家・子爵) 藪家(羽林家・子爵) 北河原家(男爵) 法性寺家(地下家・士族) |
凡例 / Category:日本の氏族 |
室町家(むろまちけ)は、藤原北家閑院流西園寺家の庶流の公家・華族。公家としての家格は羽林家、華族としての家格は伯爵家[1]。
四辻家と称した時期もある[2]。西園寺家・洞院家・清水谷家とともに西園寺流四家のひとつ。
歴史
封建時代
鎌倉時代西園寺公経の四男、実藤によって創立された[2]。藪内や四辻とも号する[2]。また今出川家の邸宅が菊亭と呼ばれたことと同様に、室町家の邸宅は花亭と呼ばれた。公家としての家格は羽林家、旧家、内々[2]。
室町季顕以降、「室町殿」を名乗った足利将軍家を憚り四辻を称したが、明治期に家名を室町に戻した。なお足利将軍家には室町家本邸であった「花亭」も譲っている。
江戸時代初頭、四辻公遠の娘・与津子は後水尾天皇の典侍となり、天皇の寵愛を受けて皇子(夭折)と皇女(後の文智女王)を儲けたが、徳川秀忠の娘和子の入内を企む江戸幕府の圧力によって無理矢理天皇から遠ざけられて落飾させられた[3]。
また、これに先立って与津子の姉(死後「桂岩院」と称される)は上杉景勝の継室となり、嗣子定勝を出産したが、百日余り後に死去した。また、猪熊事件で処刑された猪熊教利も公遠の子(桂岩院・与津子の兄弟)で、一時期高倉家及び山科家の当主になったものの、朝廷内の事情で当主を退いて別家を立てたことが明らかになっている。
江戸時代後期に内大臣徳大寺実堅(東山天皇男系曽孫)の子公績が養子に入ったことから、これ以降天皇男系子孫の家系となっている。
江戸時代の家禄は200石だった[2][注釈 1]。家業は神楽、和琴、箏[2]。屋敷は梨木町[2]。
明治以降
幕末・明治維新期の公賀は、国事に奔走し維新後は、越後府知事、三等陸軍少将、宮内権大丞、雅楽助を務めた。
明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると同家も公家として華族に列した[4][5]。明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると大納言宣任の例多き旧堂上家[注釈 2]として公賀の子公康が伯爵位が授けられた[1]。公康は同年に家名を四辻から室町に改めた[7]。
2代伯爵公大(きんもと)は、貴族院議員を務めた[8]。3代伯爵公藤(きんふじ)の代の昭和前期に室町伯爵家の邸宅は東京市淀橋区西大久保にあった[8]。公藤は戦後の昭和34年(1959年)掌典長に就任し、宮中祭祀に尽力した。
以下は公賀の子孫の系譜である。
- 妻:正親町順子(正親町実徳の娘)
系譜
- 実線は実子、点線(縦)は養子。
西園寺公経 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
実氏 | 室町実藤1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公行 | 公重2 | 実為3 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
実員 | 公春4 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
実郷5 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
四辻季顕6 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
実茂7 | 季保 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
季俊8 | 季春 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
実仲9 | 季経 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公音10 | 公音 | 鷲尾隆康 | 高倉範久 | 忠順 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
季遠11 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公遠12 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
季満13 (鷲尾隆尚) | 小倉季藤 | 山科教遠 (四辻季継) | (高倉範遠) (山科教利) 猪熊教利 〔猪熊家〕 | 嗣良 | 上杉景勝継室 (桂岩院) | 与津子 (明鏡院) | 猪熊季光 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
季継14 | (高倉嗣良) 藪嗣良 〔藪家〕 | 文智女王 | 山浦光則 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公理15 | 本誓寺寅継 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
季賢16 | 季輔 | 竹内季有 | 季忠 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
季輔17 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公韶18 | 芝山広豊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公尚19[12] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
秀藤20[13] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
実長21[14] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公亨22 | 裏松公英 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
実慎 | 公万23 | 西四辻公碩 〔西四辻家〕 | 公説 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公説24 | 藪公通 | 西四辻公尹 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公績25[15] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公健26 | 公賀 | 北河原公憲 〔北河原家〕 | 公康 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公賀27 | 公平 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
室町公康28 | 公大 | 東儀民四郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公大29 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公藤30 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公範31 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公庸32 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その他の室町家
関白藤原師通の子・家政の系統が政範・雅長と続いたが、雅長の子・家信が「室町」を家名とした。 6代目の雅秋が「木幡」と改称したが、その曾孫の雅遠の代である室町時代末期に絶家した。
この他に近衛基通の子兼基が鷹司または室町を家名にしたとされているが、4代で絶家している。
脚注
注釈
出典
- ^ a b 小田部雄次 2006, p. 324.
- ^ a b c d e f g 太田 1934, p. 6531.
- ^ "御与津御寮人". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2022年12月16日閲覧。
- ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 118.
- ^ 『人事興信録〔初版〕』619頁。
- ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 108.
- ^ a b c d e f g h i j 平成新修旧華族家系大成下p718-719
- ^ a b c 平成新修旧華族家系大成下p815
- ^ 人事興信録第14版し34
- ^ 権中納言持明院基輔の子
- ^ 神祇伯白川雅光の子
- ^ 権大納言高野保春の次男
- ^ 内大臣徳大寺実堅の子
参考文献
- 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年(平成6年)。
太田, 亮 著「国立国会図書館デジタルコレクション 室町 ムロマチ」、上田, 萬年、三上, 参次 監修 編『姓氏家系大辞典』 第1巻、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、6003頁。 NCID BN05000207。OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572 。
太田, 亮 著「国立国会図書館デジタルコレクション 四辻 ヨツツジ」、上田, 萬年、三上, 参次 監修 編『姓氏家系大辞典』 第1巻、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、6003頁。 NCID BN05000207。OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572 。
- 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。
関連項目
室町家
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「スペシャリスト (テレビドラマ)」の記事における「室町家」の解説
室町美也子〈38〉 演 - 紺野まひる(第1作 - 第4作 / 連続ドラマ第8話 - 最終話) 宅間善人の元妻。 宅間の逮捕時には子供(後の法彦)を身ごもっていたが、宅間の服役を機に離婚。しかし今でも宅間とは互いに愛情を抱いている。そのため武藤からは「宅間唯一のアキレス腱」と、姉小路からは「船の錨のような存在」と評されている。 宅間が出所した直後に再会し、そこで武藤と交際していることを明かす。だが第3作で、本性を表した武藤に連れ去られ人質となってしまう。 連続ドラマ第8話で上京し、宅間に再会。その後、「『我々』の存在・秘密を知る人物」の1人として、「我々」にスカウトされた犯罪者・小池智英に毒入りの水を飲まされ、危篤状態に陥る。同第9話にて、彼女が大学時代に書いた小説を参考にして宅間が書いたコラムが「我々」の基本理念となった事が判明する。同最終話では、直接描かれなかったものの、意識を取り戻した事が示唆されている。 室町法彦 演 - 伊賀亮(第1作 - 第4作) 宅間と美也子の息子。宅間が服役した直後に生まれたため、第1作にて出所してきた宅間に初めて会う。最初の頃は実の父である宅間に対して沈黙していたが、第4作では美也子の入院中に宅間と仲良く打ち解けている様子が見られた。 連続ドラマ第9話では、美也子が上京している間に姉小路家に預けられていた。
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