建築後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 02:27 UTC 版)
1949年以前一階のバンドに面した部分は二つの銀行に貸し出されていた。この場所は後の1980年代にシティバンク上海支店になった。一階の残った部分はショッピング街に変わった。二つの主棟が中央で交差し、その部分は八角形のホールになっている。1階から3階はオフィスとして貸し出された。サッスーンの本社と子会社は4階に居を構えていた。5階から7階にかけてはサッスーン家の経営するキャセイ・ホテルが入店しており、エキゾチックで国際的な内装で飾り付けられていた。8階はバー、ビリヤード室、中華料理店が入店していた。9階にはナイトクラブと小さな喫茶店が入店していた。10階のペントハウスアパートメントはサッスーンの住居になっていた。さらにピラミッド型の屋根の部分は大食堂である。キャセイ・ホテルは上海で最も名門のホテルとされ、シンガポールのラッフルズホテルや香港のペニンシュラホテルと比肩するほどであった。上海を訪れる大使の多くがこのホテルに滞在した。各国から集まる宿泊客のため、イギリス風、フランス風、ドイツ風、イタリア風、スペイン風、インド風、日本風、中国風の客室が用意されたという。 1949年の中国共産党による上海占領の後、このビルは接収され、幾つかのオフィスは地方金融委員会によって使われた。1952年に、ビルは上海市政府に完全に接収されることとなった。その後、1956年に和平飯店に売却されてその元でホテルとしての営業を再開した。1965年には旧パレス・ホテルビルも購入し、パレス・ホテルビルを和平飯店南楼、サッスーンハウスを和平飯店北楼とも呼ぶようになった。1992年に和平飯店は世界ホテル協会によって最も有名なホテルの一つに記録された。今日、特にジャズバンドと、屋上テラスのレストランが有名である。屋上からは黄浦江を挟んで現在活気にあふれている浦東新区を見ることができる
※この「建築後」の解説は、「旧サッスーンハウス」の解説の一部です。
「建築後」を含む「旧サッスーンハウス」の記事については、「旧サッスーンハウス」の概要を参照ください。
建築後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 02:28 UTC 版)
「旧横浜正金銀行上海支店ビル」の記事における「建築後」の解説
1945年以降、このビルは修理された後に中央銀行の所在地となった。ビルの名前も中央銀行ビルとなった。1949年に中国共産党により上海が占領されると、このビルは中国人民銀行の華東区のオフィスになった。1956年、上海紡績工業局はこのビルに入店し、業務を執り行った。現在は中国工商銀行上海支店として使用されている。 ウィキメディア・コモンズには、旧横浜正金銀行上海支店ビルに関連するカテゴリがあります。 表 話 編 歴 上海、外灘の建築物 気象信号台 アジアビル シャンハイクラブビル ユニオン・アシュランス・カンパニーズビル 日清ビル 中国通商銀行ビル 大北電報公司ビル 輪船招商局ビル 香港上海銀行ビル 江海関 交通銀行ビル 露清銀行ビル 台湾銀行ビル ノースチャイナ・デイリー・ニューズビル チャータード銀行ビル パレスホテルビル サッスーンハウス 旧中国銀行ビル 横浜正金銀行ビル 揚子ビル 怡和洋行ビル グレンラインビル インドシナ銀行ビル 旧英国駐上海総領事館 ブロードウェイマンション 典拠管理 LCCN: n81047085 VIAF: 155947474 WorldCat Identities: lccn-n81047085 この項目は、中国に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/PJ:中国)。
※この「建築後」の解説は、「旧横浜正金銀行上海支店ビル」の解説の一部です。
「建築後」を含む「旧横浜正金銀行上海支店ビル」の記事については、「旧横浜正金銀行上海支店ビル」の概要を参照ください。
- 建築後のページへのリンク