本家木屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 01:30 UTC 版)
本家木屋の創業者は初代林九兵衛である。林家は藤原姓を名乗る家柄で、天正元年(1573年)大坂に薬種商を開き、豊臣秀吉の御用を務めたが、大坂夏の陣後弟九兵衛が徳川家康の招聘により江戸に下り、林家が二都に分かれたため、「林」の字を分解して「木屋」と号した。 元和7年(1621年)徳川秀忠が小松川筋への鶴御成の帰途、その愛鷹寿老が店内に舞い入り戻らなかったため、この鷹を下賜されたという逸話がある。この件で木屋は名を高めることになったが、鷹の飼育費が甚大だったため、鷹狩の道筋に当たらない現在地に移転したという。寿老の遺骨とされるものが近代まで伝えられていた。 江戸の本家木屋は本町三丁目で諸色問屋として雑貨を扱っていたが、寛永2年(1625年)漆器に特化した。明暦3年(1657年)の明暦の大火に焼け出され、室町二丁目に移転したと伝えられる。 一方客観史料では、貞享4年(1686年)の『江戸鹿子』、元禄10年(1697年)の『国花万葉記』に日本橋南二丁目の櫛問屋木屋九兵衛・庄兵衛の名が見える。 「木屋漆器店」は明治20年頃日本の美術工芸品全般に手を伸ばし、外国に販路を広げて繁栄を続けた。日本橋通りに連なる木屋林九兵衛・黒江屋柏原孫兵衛・きん藤小林藤兵衛の漆器店3店は「通り三軒」と称された。 明治の内に白い豪華な洋風の店舗を構えたが、関東大震災で焦土と化した。その後戦後まで営業を続けたが、昭和30年頃、遂に株式会社木屋ビルデイングとして貸ビル業に転じた。
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