法的権利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 17:55 UTC 版)
「カリフォルニア・ゴールドラッシュ」の記事における「法的権利」の解説
ゴールドラッシュが始まったとき、カリフォルニアは格別に無法地帯だった。サッターズミルで金が発見された当時のカリフォルニアはまだ事実上はメキシコの一部だが、米墨戦争の結果としてアメリカ軍が占領していた。1848年2月2日にグアダルーペ・イダルゴ条約に調印したことで戦争を終わらせ、カリフォルニアはアメリカ合衆国の所有物になったが、正式な領土ではなく、1850年9月9日になって州になった。カリフォルニアは軍隊の統制する普通とは異なる状態の地域として存在した。地域全体の市民議会、行政府あるいは司法府が無かった。地元の住民はメキシコの規則、アメリカの原則および個人的な指図という混乱させ混ざり合った制度の下で運営していた。先住するインディアンたちはもちろん無視された。インディアンがアメリカの最高裁判所で「人間である」と認定されたのは1879年のことである。 米墨戦争を終わらせた条約でメキシコの土地払下げをアメリカ合衆国に尊重させた中で、金鉱原のほとんど全てはそれらの払下げ地の外にあった。その代わりに金鉱原は主に公有地になっており、正式にはアメリカ合衆国政府が所有する土地を意味していた。しかし、まだ法的な規制は設定されておらず、実際に法を執行する機構もなかった。 フォーティナイナーズにとっての利点は、当初の金が単純に「採り放題」だったことだった。金鉱原には私的財産が無く、免許料も無く、政府が出来るまでは税金も無かった。フォーティナイナーズは自分達の法典を作り上げることに頼り、自分達の地元で執行力を設定した。1850年から1852年まで、52の鉱山法が設定された。坑夫達は実質的にカリフォルニアに存在したメキシコの鉱山法を適用した。例えば、その場所に早く到着した者と遅く到着した者との権利をバランスさせる規則が試みられた。「土地の所有権」は探求者によって「主張」されることができたが、その権利は実際に活動している限りにおいてのみ有効だった。坑夫達はその採鉱見込みを見極めるだけの長さで所有権を持った土地で働いた。土地の大半がそうだったようにそこの価値が低いと考えられたとき、坑夫達は伝説の大鉱脈を探してその場所を放棄して行った。土地が放棄されるか活動されていない場合、他の坑夫がその土地を「横領」した。「横領」は、ある坑夫が以前は他の者に所有権を主張されていた土地で働き始めることを意味していた。土地に関する紛争は個人的かつ乱暴に扱われ、時には一群の探求者が調停人として処理した。これはしばしば民族間の緊張感を高めることになった。 フォーティナイナーズに採用された鉱山所有権の規則は、アメリカ合衆国西部中で新しい鉱山ラッシュのそれぞれに広がっていった。アメリカ合衆国議会は1872年のチャフィー法(鉱山法)で最終的にこの慣行を法制化した。
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