相模葉山長江氏(本家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 10:04 UTC 版)
義景死後、嫡子である明義・義重と2代にわたって本家を継承したが宝治元年(1247年)に宝治合戦で三浦氏に味方したため北条氏に敗れ断絶した。続けて義景の孫である長江景秀が本家の家督を継承した。その後鎌倉時代を通じ葉山の所領を保ったが鎌倉幕府滅亡後、当時の当主である長江八郎左衛門尉は観応の擾乱で足利直義方に味方したため足利尊氏に敗北し所領を没収された。その後の消息は不明である。
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