コーカサスとは? わかりやすく解説

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コーカサス【Caucasus】

読み方:こーかさす

カフカス英語名

[補説] 「高加索」とも書く。


コーカサス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/03 08:20 UTC 版)

コーカサス山脈

コーカサス英語: Caucasus)、またはカフカースカフカスロシア語: Кавказ ラテン文字転写例: Kavkaz、グルジア語: კავკასიაアルメニア語: Կովկասアゼルバイジャン語: Qafqaz)は、黒海カスピ海に挟まれたコーカサス山脈と、それを取り囲む低地からなる面積約44万km2の地域である。コーカサスの漢字表記は高加索[1][2]

英語のコーカサス、ロシア語のカフカースとも古代ギリシア語: Καύκασος (Kaukasos; カウカーソス)に由来する[注 1]。「カウカーソス」自体は、プリニウス博物誌』によるとスキタイ語クロウカシス(白い雪)に由来するとされる[3]

コーカサス山脈を南北の境界として北コーカサス南コーカサス(ザカフカジエ、ザカフカース、トランスカフカス、外カフカース)に分かれ、北コーカサスはロシア連邦領の北カフカース連邦管区および南部連邦管区に属する諸共和国となっており、南コーカサスは旧ソ連から独立した3共和国からなる。北コーカサス(ロシア)はヨーロッパに区分され、南コーカサスは西アジアに区分されることもあるが、ヨーロッパに区分されることもある。

全体的に山がちな地形で、山あいには様々な言語文化宗教をもった民族集団が複雑に入り組んで暮らしており、地球上でもっとも民族的に多様な地域であるとされる。

コーカサスの国々

コーカサスの境界図
北コーカサス
南コーカサス

厳密には、ロシア連邦クラスノダール地方のソチ周辺はコーカサス山脈の南、アゼルバイジャンのダヴァヒ県英語版クバ県クサル県英語版シアザン県英語版ハヒマズ県ヒジ県英語版はコーカサス山脈の北に位置する。

アゼルバイジャンは飛地(画像ではアゼルバイジャン領とあるが飛地である)にナヒチェヴァン自治共和国をもつが、本土西部のナゴルノ・カラバフとその周辺地域は1992年から2023年まで「アルツァフ共和国」として、アルメニア系住民の支配下に置かれる形の独立状態になっていた。

ジョージアは南西部アジャリア、北西部アブハジアの2自治共和国と北東部の南オセチアを含むが、アブハジアと南オセチアはジョージア政府の統制がまったく及ばず、独立状態となっている。

独立国

国旗
国章
国名 首都 人口
面積 (km2)
独立年 民族
アゼルバイジャン共和国 バクー 9,383,700 86,600 ソビエト連邦より1991年 アゼルバイジャン人(91.6%)、レズギン人(2.02%)、アルメニア人(1.35%)、ロシア人(1.34%)、タリシュ人(1.26%)、その他(2.43%)
アルメニア共和国 エレバン 3,100,000 29,800 ソビエト連邦より1991年 アルメニア人(97.8%)、ヤズィーディー人(1.3%)、ロシア人(0.5%)、アッシリア人(0.1%)、クルド人(0.05%)、その他(2%)
ジョージア トビリシ 4,260,000 69,700 ソビエト連邦より1991年 ジョージア人(83.8%)、アゼルバイジャン人(6.5%)、アルメニア人(5.7%)、ロシア人(1.5%)、オセット人(0.9%)、その他(1.8%)

事実上独立した地域

国旗
国章
国名 首都 人口
面積 (km2)
独立年~消滅年 民族
アブハジア共和国 スフミ 242,862 8,600 ジョージアより(宣言)1992年 〜現在 アブハズ人(50.7%)、グルジア人(19.2%)、アルメニア人(17.4%)、ロシア人(9.1%)、ギリシャ人(0.6%)、その他(3%)
南オセチア共和国 ツヒンヴァリ 55,000 3,900 ジョージアより(宣言)1991年 ~現在 オセット人(67.1%)、グルジア人(25.0%)、ロシア人(3.0%)、アルメニア人(1.3%)、ユダヤ人(0.9%)、その他(2.6%)
アルツァフ共和国 ステパナケルト 144,700 4,400 アゼルバイジャンより(宣言)1992年2023年 アルメニア人(99.74%)、ロシア人(0.12%)、ギリシャ人(0.02%)、ウクライナ人(0.02%)、グルジア人(0.01%)その他(0.1%)

非独立地域

国旗・地方旗
国章・地方紋章
国・地域名 首都・首府 人口
面積 (km2)
宗主国・領有国 民族
アディゲ共和国 マイコープ 425,386 7,600 ロシア連邦 ロシア人(63.6%)、アディゲ人(25.8%)、アルメニア人(3.7%)、ウクライナ人(1.4%)、クルド人(1.1%)、その他(4.5%)
ダゲスタン共和国 マハチカラ 2,910,249 50,300 ロシア連邦 アヴァール人(29.4%)、ダルギン人(17.0%)、クムイク人(13.3%)、レズギン人(13.3%)、ラク人(5.6%)、その他(19.8%)
北オセチア共和国 ウラジカフカス 712,980 8,000 ロシア連邦 オセット人(65.1%)、ロシア人(20.8%)、イングーシ人(4.0%)、アルメニア人(2.3%)、クムイク人(2.3%)、その他(5.5%)
カバルダ・バルカル共和国 ナリチク 859,939 12,500 ロシア連邦 カバルダ人(57.2%)、ロシア人(22.5%)、バルカル人(12.7%)、トルコ人(1.6%)、オセット人(1.1%)、その他(5%)
カラチャイ・チェルケス共和国 チェルケスク 477,859 14,100 ロシア連邦 カラチャイ人(41.0%)、ロシア人(31.6%)、チェルケス人(11.9%)、アバザ人(7.8%)、ノガイ人(3.3%)、その他(4.4%)
イングーシ共和国 メガス 412,529 3,000 ロシア連邦 イングーシ人(93.46%)、チェチェン人(4.55%)、ロシア人(0.78%)、トルコ人(0.18%)、クムイク人(0.03%)、キスティ人(0.03%)、その他(0.97%)
チェチェン共和国 グロズヌイ 1,268,989 17,300 ロシア連邦 チェチェン人(95.3%)、ロシア人(1.9%)、クムイク人(1.0%)、アヴァール人(0.4%)、ノガイ人(0.3%)、その他(1.2%)
アジャリア自治共和国 バトゥミ 393,700 2,900 ジョージア グルジア人(93.38%)(内、アジャール人30%)、ロシア人(2.41%)、アルメニア人(2.35%)、ギリシャ人(0.58%)、アブハズ人(0.41%)、その他(0.5%)
ナヒチェヴァン自治共和国 ナヒチェヴァン 414,900 5,500 アゼルバイジャン アゼルバイジャン人(99.1%)、その他(0.9%)(ロシア人クルド人グルジア人等)
クラスノダール地方 クラスノダール 5,226,647 76,000 ロシア連邦 ロシア人(88.3%)、アルメニア人(5.5%)、ウクライナ人(1.6%)、タタール人(0.5.%)、ギリシャ人(0.4%)、その他(3.5%)
スタヴロポリ地方 スタヴロポリ 2,786,281 66,500 ロシア連邦 ロシア人(80.9%)、アルメニア人(5.9%)、ダルギン人(1.8%)、ギリシャ人(1.2%)、ウクライナ人(1.1%)、ロマ(1.1%)、その他(6.5%)

民族

民族言語学的グループの一覧

母語とする言語によってコーカサスの主要な民族を分類すると以下のようになる[注 2]。大まかにはロシア人が北コーカサス、それ以外の諸民族が南コーカサスおよび北コーカサスの最南部に住む。

宗教

南コーカサスナゴルノ・カラバフ共和国を除くアゼルバイジャンイスラム教シーア派が大半を占める他はキリスト教が主流となっているが、ジョージアアジャリア自治共和国はキリスト教徒が主流であるもののスンニ派イスラム教徒が比較的多くなっている。

一方、北コーカサスはイスラム教スンニ派が主流をなしているが、唯一北オセチア共和国ではキリスト教が主流となっている。また、北コーカサスにはロシア人などのスラブ系民族も多いため、キリスト東方正教も広く信仰されている他、無宗教も多い。チェチェン共和国ダゲスタン共和国イングーシ共和国で特にイスラム教の信仰が厚く、スンニ派イスラム原理主義の巣窟となっており、サウジアラビアワッハーブ派との関連もある。

歴史

この地域には人類が古くから住みついていたことが分かる証拠として、紀元前9500年ごろの金属器が発見されている。また、紀元前4000年ごろからのマイコープ文化クラ・アラクセス文化英語版(紀元前3500-2200年)の遺跡が発見され、大変多くの金属器が出土し、銅石器や青銅器文化であったことが分かった[4][5]

古代には南コーカサスにアルメニア人、グルジア人のキリスト教文化が栄え、北コーカサスではアゾフ海東岸・カスピ海西岸の草原地帯で興亡したキンメリアスキタイフンアヴァールハザールなどイラン系テュルク遊牧民の国家の支配下にあった[要出典]。山岳地帯では先住のコーカサス諸語の話し手たちが居住しており、イラン系やテュルク系の人々と交じり合って文化的・人種的影響を受けつつ独自で多様な言語と文化を保った。

13世紀モンゴル帝国軍が到来してジョチ・ウルスイル・ハン国に分割され、14世紀以降はイスラム化が進んだ中央アジアのテュルク系遊牧民に代わるマムルークの供給源としてイスラム勢力との絶え間ない接触を続けた。

16世紀以降、南コーカサスはサファヴィー朝などのイラン勢力とオスマン帝国の争奪の場となり、1578年オスマン・サファヴィー戦争英語版のひとつララ・ムスタファ・パシャのコーカサス戦争英語版が起こった。北コーカサスでは15世紀にジョチ・ウルスの勢力を継承したクリミア・ハン国やオスマン帝国が進出して支配を広げたが、17世紀以降、大コーカサス山脈北麓のステップ地帯からコサックを尖兵とするロシア帝国の影響力が浸透し始めた。

19世紀に入ると北コーカサスの併合を完了したロシアは大コーカサス山脈の南にまで勢力を伸ばし、南コーカサスを支配するカージャール朝イランとオスマン帝国からこの地方を奪った。同じ時期、北コーカサス東部の山岳地帯では、ミュリディズム運動と呼ばれるイスラム神秘主義のひとつナクシュバンディー教団の指導者たちを中心とする反乱が起こり、ロシア支配に激しく抵抗した(コーカサス戦争)。

ロシア革命が起こると、南コーカサスではアルメニア、グルジア(ジョージア)、アゼルバイジャンが1918年に独立を宣言するが、相互に対立を続けるうちに1921年に赤軍の侵攻を受け、1922年ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国を結成してソビエト連邦に合流した。北コーカサスでもチェチェンやダゲスタンで独立運動が起こるが赤軍によって赤化が進められ、ロシアに編入された。

1991年のソ連解体は、形式上連邦からの分離独立権を認めたソ連憲法に基づき南コーカサスの3共和国に独立を果たさせたが、北コーカサスの諸民族自治共和国はロシア連邦からの分離権を憲法によっても認められず、独立運動をロシア当局に押さえ込まれた。中でもチェチェン共和国1991年に就任したジョハル・ドゥダエフ大統領のもとでソ連およびロシア連邦からの分離独立を宣言し、強硬姿勢を貫いたため、1994年よりロシア連邦軍の攻撃を受け、第一次チェチェン紛争が勃発した。以来、チェチェンを中心に戦乱、テロが続発し、北コーカサスはロシアの中でも特に不安定な地域になっている。一方、独立を果たした南コーカサス3国も、アゼルバイジャンとアルメニアのナゴルノ・カラバフ戦争などを原因として民主化の阻害と経済発展の停滞が著しく、問題が山積している。

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 人類の四大人種のひとつであるコーカソイド、英語で「白人」を意味するCaucasian (コケージアン)も同語源である。
  2. ^ 語族は民族名を示すものではないので注意が必要である。

出典

  1. ^ 哈爾濱商品陳列館(編)「後高加索社會主義ソウエート共和國」『哈爾濱商品陳列館パンフレツト』第61号-第70号、露滿蒙通信刊行會、1927年、17頁- (コマ番号0156.jp2-)、doi:10.11501/1886278全国書誌番号:20270790 国立国会図書館サイトでインターネット公開。
  2. ^ 井上雅二『亜細亜中原の風雲を望んで』照文閣、1942年、24頁 (コマ番号0025.jp2-), 45頁- (コマ番号0035.jp2)頁。doi:10.11501/1878344 「第3章 第1信 高加索山中より」、「第4章 第2信 高加索首府より」。インターネット公開。
  3. ^ Natural History Book 6
  4. ^ 前田弘毅「神話世界の中のコーカサス」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 63-64ページ
  5. ^ 香山陽坪、『ソヴェート・カフカ ス考古学の概観』p101、JOI:JST.Journalarchive/jorient1955/1.99f

関連項目

座標: 北緯42度15分40秒 東経44度07分16秒 / 北緯42.26111度 東経44.12111度 / 42.26111; 44.12111

外部リンク


コーカサス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 14:38 UTC 版)

中東戦域 (第一次世界大戦)」の記事における「コーカサス」の解説

11月2日開戦同時にロシア帝国コーカサス軍はオスマン第3軍英語版)の根拠地であるエルズルムへと進撃した国境付近で薄いながら騎兵幕を展開していたオスマン軍はすぐにこれを知ることができた。オスマン第11軍団英語版)は反撃し、さらにオスマン第9軍団英語版)も加わってゆっくりと北進ていった11月終わりまでに戦線国境からエルズルム向かって25キロメートル地点膠着した。ロシア軍損害は約7千で、オスマン軍は約1万3千失った12月8日第3軍活を入れるため参謀本部員のハーフズ・ハック・ベイ大佐第3軍参謀長としてトラブゾンへと到着したハック大佐第3軍参謀長ドイツ人のグーゼ(Guse)中佐攻勢計画策定するよう個人的に指示与えた。グーゼ中佐作戦計画立てたが、あまりに雄大な作戦のため第3軍司令官ハサン・イッゼト・パシャ難色示し隷下第9軍団長アフメト・フェヴズィ(英語版准将も不安を漏らした。この案は、1個軍団前線ロシア軍拘束し、2個軍団でもって左翼からロシア軍背後回り込むというものである12月12日参謀総長エンヴェル・パシャエルズルム到着し、この大規模攻勢作戦実行決断した。第9及び第10軍団英語版)長は作戦成功疑問漏らして更迭された。 12月22日オスマン第3軍攻勢開始したロシア側はこれほど早く攻勢に出るとは予想だにしていなかったが、前線から野戦司令部に届く報告オスマン軍攻撃示していた。作戦2日目オスマン軍最左翼第10軍団はオルトゥを占領してさらに前進左翼第9軍団24日までにサルカムシュの郊外達し25日夜にはサルカムシュの旧市街到達した28日には第10軍団セリム歩を進め、サルカムシュとカルスとをつなぐ道路封鎖したここまで順調な滑り出し見せたオスマン軍攻勢であったが、急激な天候の悪化ロシア軍反撃によって急速に衰えてくる。12月終わりごろのオスマン第10軍団記録によると、1.5メートルにまで達し気温はマイナス26度にまで下がったという。 オスマン軍右翼第11軍団前線ロシア軍への締め付けは十分ではなく多数ロシア軍将兵がサルカムシュ防衛のため後退していった。露カフカス軍司令官代理情勢悲観して前線より退避したが、参謀長でこのときロシア第2カフカス軍団指揮していたニコライ・ユデーニチあくまでもサルカムシュ固守決断現地指導するとともに部隊をサルカムシュに差し向けるよう指示したオスマン第9軍団はサルカムシュ占領手間取り第10軍団北方より応援に来たロシア援軍部隊側面晒され苦戦した。エルヴェル・パシャは督戦するも戦況進展せず1月4日を境にして攻守逆転した強烈なロシア軍圧迫堪えかねてオスマン第9及び第10軍団後退し始める。さらに第10軍団司令部襲撃され司令官及び参謀長捕虜となる惨状照らし1月7日オスマン軍全面退却移った。 サルカムシュ会戦呼ばれる戦いロシア軍勝利終わりロシア将軍ユデーニチはロシア・カフカス軍野戦司令官へと昇進した本会戦によってオスマン軍は兵約5万人を失いロシア軍2万8千もの損害出した

※この「コーカサス」の解説は、「中東戦域 (第一次世界大戦)」の解説の一部です。
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