007後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:15 UTC 版)
「ジョージ・レーゼンビー」の記事における「007後」の解説
『女王陛下の007』ではスキーを得意としていながら、スキーシーンで主演ゆえスタントマンの使用を強制されてしまったものの、元来の運動神経の良さを買われ、1973年に香港のゴールデン・ハーベスト社の名プロデューサー、レイモンド・チョウ(鄒文懐)の招きで、彼の製作するブルース・リーの『死亡遊戯』に出演するめどが立った。この作品はGH社傘下のリーのスター・プロであるコンコルド・プロダクションと、米ワーナー・ブラザースとの合作『燃えよドラゴン』より前に制作決定したため、リーは香港を除く国際市場ではまだ、映画スターと呼ばれる域に達しておらず、イギリスの植民地である香港でのレーゼンビーの映画出演は事実上の「都落ち」だった。レーゼンビーによれば、ボンド役降板の際にブロッコリから「おまえはマカロニ・ウェスタンどまりだ」と揶揄されたというが、香港のカンフー映画の脇役出演も似たようなものであった。リーの急死により、1978年に追加撮影され完成された『死亡遊戯』は脚本も大幅に変えられたことから、オリジナルのキャストも一新され、レーゼンビーの出演も叶わなかった。 だがそれ以前に、『死亡遊戯』出演が流れた代わりとして、レーゼンビーはゴールデン・ハーベストとの間に3本の映画の出演契約を取りつけた。マーシャル・アーツの特技を活かし、ゴールデン・ハーベスト製作の香港映画『暗黒街のドラゴン 電撃ストーナー』(1974年、ファン・フェン監督)でアンジェラ・マオ(『燃えよドラゴン』)と共演、この作品の原題は007の当時の中国題名『鐵金剛』作品を思わせる『鐵金剛大破紫陽觀』である。続いて香港・オーストラリア合作映画『スカイ・ハイ』(1975年、ブライアン・トレンチャード・スミス、ジミー・ウォング共同監督)で悪役を演じてジミー・ウォングとも共演、この作品でレーゼンビーはスタントマンを使わず、自ら火だるまになってジミー・ウォングとの格闘シーンに臨んだ。両作品とも興行的には成功しており、彼のアクションが存分に生かされた。同時にGH社のブルース・リー死去後の国際マーケットへのアピールに一役買っている。また、ブルース・リーの幻の共演者として、リーのドキュメンタリー番組には頻繁に登場し、その回数はなまじな共演者をはるかに凌駕し、リーの長年の友人ジェームズ・コバーン(ともに共演経験無し)にも匹敵する。また、レーゼンビーはマカロニ・ウェスタンの巨匠、セルジオ・レオーネの『夕陽のギャングたち』の出演オファーを受けるが、ブロッコリの言葉を連想したのか、これを拒否(本作は厳密にいえばマカロニ・ウェスタンではない)。代わりにコバーンが出演したという縁がある。 それ以降はアメリカ・サンタモニカに移り住み、レーサーをした。俳優としてしばしば、ボンドのパロディを演じている。1983年の『0011ナポレオン・ソロ2』では、『JB』の役名でタキシードを着てアストンマーティン・DB5に乗るイギリスのスパイを楽しげに演じた。この年はショーン・コネリー主演『ネバーセイ・ネバーアゲイン』とロジャー・ムーア主演『007 オクトパシー』が製作、公開され、世間を賑わせたが、同時に当時の歴代ボンド全員が揃い踏みの形になった(もっとも、レーゼンビーはボンドと思しき役であり、製作側は映画界で話題の「コネリーvsムーア」に当て込んでいた)。同作のプロデューサーは後に自身が製作したTVシリーズ『忍者ジョン&マックス』と『新・ヒッチコック劇場』にもレーゼンビーを起用、前者はブリティッシュエージェント、マロリー役でアストンマーティンDB5に乗り、ワルサーPPKを携え、白のタキシード姿で出演、このエピソードの悪役は前作でイリヤ・クリヤキンを演じたデビッド・マッカラムだった。後者では伝説的スパイ、ジェームズ役で主演する。このエピソードは『Diamonds aren't forever (直訳:ダイヤモンドは永遠ではない)』という題名だった。シャーリー・バッシー歌唱による主題歌をバックに冒頭から、白のタキシード姿にユニオン・ジャックがあしらわれたパラシュートを着用して登場、舞台となる山荘にチェックインする際、お馴染みのセリフを言おうとするが、「My name is……(騒音)、James……(再び騒音)」、フロント係が知っていたので、フルネームを名乗る機会を失った。その後、山荘のバーでドライ・マティーニを出そうとするバーテンダーに「Not stirred.」とちょいちょい、定番のセリフをちりばめる。番組自体が『ヒッチコック劇場』なのでストーリーは密室サスペンスだが、クライマックスには悪党を相手にレーゼンビー得意の格闘場面も存在する。猟奇犯罪を見事に解決したジェームズはスパイとしての本来の任務を達成すると、唐突にソビエト将校が現れ、丸型のスコープサイトで狙いを定めたところをワルサーで返り討ちにする。ターゲットサイトは赤く染まっていく。という内容である。近年は、DVD『女王陛下の007/アルティメットエディション:特典映像インタビュー』で姿を見せ、やや老け込んだ感はあるが、その存在をファンにアピールしている。英米で催される映画ファン向けのイベントにおいて、シリーズの元出演者のサイン会が企画される際にも、ボンドを演じた俳優としては唯一、頻繁にその顔を見せる。2012年には、ゲスト出演したTV映画で当時の新作を意識したセリフを言っている。 この他にも、スーパーマンの少年時代の活躍を描いたTVシリーズ『スーパーボーイ』で、映像化作品ではマーロン・ブランドに続いてスーパーボーイ(スーパーマン)の父親、ジョー・エルを演じ、シルビア・クリステル主演のTVシリーズ『エマニュエル』にもマリオ役でレギュラー出演、また、声優としても『バットマン・ザ・フューチャー』シリーズにキング役で出演する等、日本ではあまり知られていないが、欧州と英語圏では一定の出演作とそれに応じた知名度があり、ボンド役の契約を結びながら、イオン・プロの都合でキャンセルされたジョン・ギャビンや、ジェームズ・ブローリンよりも有名である。 現在は俳優業のかたわら、実業家としての活動をしている。不動産投資などをしてハワイ、カリフォルニアやオーストラリアの牧場、香港の建物を多数所有している。プライベートでは航海、カーレース、オートバイレース、テニス、ゴルフを楽しんでいるという。 ロジャー・ムーアとは頻繁に連絡を取り合う中で、ムーア時代の恒例行事のひとつである降板宣言がある度に、レーゼンビーはムーアに「俺はいつでも空いてるよ」と伝え、ムーアはそのまま、ブロッコリに伝えたが、返事はなかった。
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