ドキュメンタリーの実験室「ETV特集」が挑んだ“NHK流”の全面否定
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「Nスペ」とはひと味違うNHKのドキュメンタリー枠「ETV特集」(Eテレ=土曜午後11時)。地味でお堅い印象もあってご存じない方も多いだろうが、その内容は社会の片隅に暮らす人々の息遣いから歴史の再検証まで多彩だ。有料配信サイト・NHKオンデマンド(NOD)でドラマをしのぐ利用件数を記録するなど、ここ数年、静かな人気を呼んでおり、海外からも注目されるようになってきた。認知度アップの背景には、長らく続いた“NHK流”の全面否定があるという。(読売新聞オンライン 旗本浩二)
全力投球の震災番組、海外では不評
「NHKが全精力をつぎ込み、一番力のあるディレクターが作った番組も、一歩、日本の外に持って行ったら全く見てもらえない。ゆゆしき問題だったが、それが現実でした」。東日本大震災後、「ETV特集」で放送した数々の関連番組について、同枠担当の矢吹寿秀統括プロデューサーが明かす。そこで2010年代半ばにその理由を検証。欧米のドキュメンタリーは、日本のものとは作りが全く違うことに改めて思い至った。
Eテレのドキュメンタリー枠は、教育テレビ時代から脈々と続く。NHKのテレビ放送がまだ1波しかなかった1956年11月、ラジオの「教養特集」のテレビ版がスタート。「政治、経済、文化、音楽、美術などあらゆる分野からテーマを引き出し、徹底解剖する画期的な教養番組」とされ、59年に教育テレビ誕生後は、62年に同チャンネルに移行した。番組名や放送枠は変わっているが、1波時代以来、今年11月で65周年を迎える。その意味では、日本の公共放送の歩みともほぼ軌を一にする隠れた大看板だ。この20年ほどは「歴史・文化・弱者」に焦点を絞り、総合テレビが扱わないテーマもカバーしてきた。
パターン化した“文法”全部外す
だが、NHKに限らず、80年代以降の日本のテレビドキュメンタリーはパターン化していた。
「ニュースの2分枠のリポートも『クローズアップ現代』も『NHKスペシャル(Nスペ)』も基本的な構造は変わらないんです。ナレーションが入る映像があって、インタビューがあって、またナレーション、インタビュー……というふうに転がっていく。だから、地方局でニュースリポートを作れるようになったディレクターは『Nスペ』も『プロフェッショナル』も作れるんです」
さながらドキュメンタリーの大量生産を可能にする方程式のようだが、海外ではナレーションとインタビューの繰り返しはドキュメンタリーとはみなされないという。「どうしてニュースの映像を60分も見ないといけないのかと言われてしまう。そんなのを見させられるのは、ただ苦痛なだけなんですよ」
矢吹統括プロデューサーによると、パターン化の背景には、それまでフィルム撮影だった番組制作の現場に70年代後半から浸透したビデオテープレコーダー(VTR)の影響があるという。フィルム制作は、現像など手間暇がかかるが、映像の陰影や立体感が表現できる。それ故、当事者が発した言葉の重みやその際の表情をどう伝えるか、制作者に工夫の余地が残される。
この利点を重視して欧米では、ニュースはVTRで制作するものの、映画やドラマ同様、テレビのドキュメンタリーでもフィルムが使われ続けてきた。ところが日本では、ニュースもドキュメンタリーも一緒くたにしてVTRで作るようになり、ナレーションで状況を説明し、合間にインタビューを差し挟む“文法”が確立。その方が見やすいと考えられて80年代に定着し、長らく続いてきたという。
ただ、フィルム時代に比べると、登場人物の言葉が“添え物”にされてしまっている感じは否めない。このため、科学ものは辛うじて海外の放送局などに購入してもらえるものの、力を入れた震災関連番組まで「ニュースと変わらない」とそっぽを向かれる始末だった。そこで矢吹統括プロデューサーが担当になった4年前から、その“文法”そのものを全部外し、「ドキュメンタリーの実験室」と新たに位置づけなおしたのが、現在の「ETV特集」だ。
ナレーション削減で「自分なりに解釈できた」
何より努めたのがナレーションの削減だ。18年1月の「カキと森と長靴と」では、震災により打撃を受けた海を、漁師が山に木を植えることで再生させる活動を続ける養殖家・畠山重篤さんに密着。完全ノーナレーションで制作し、米国のジャクソン・ワイルド・メディア・アワーズで審査員特別賞を獲得したほか、各国への売り込みにも成功し、面目躍如を果たした。
ノーナレーションは、同年4月の「ラーマのつぶやき~この社会の片隅で~」でも実現。日本で暮らすシリア難民一家の先行きの見えない苦悩を、高校生の長女のモノローグからあぶり出し、「地方の時代」映像祭で選奨を受賞した。同年5月には、全編ろう者の静かな手の声と現場音と最小限のBGMで描き出した「静かで、にぎやかな世界~手話で生きる子どもたち~」を放送。ナレーション排除の試みがテーマとぴたりとかみ合い、芸術祭大賞とギャラクシー賞大賞を獲得した。
ナレーションを減らすと、その分、当事者の言葉を丹念に拾う必要に迫られる。そこで従来のような長い棒の先に装着したマイクを近づけて声を収録する方式でなく、相手の胸に直接マイクをつけてもらうなど、それまでのドキュメンタリー制作の常識を次々と覆していった。「スタッフみんなの意識改革を行い、入局してから教えられてきたことを一回置いて、新しいやり方にトライした。ナレーション排除というだけで、作り方全部が変わっていったが、それにより海外からも、もちろん日本の視聴者からも受け入れられるようになった」
実際、視聴者からは「より取材現場の臨場感を感じられた」「作り手の解釈を(ナレーションによって)無理やり押し付けられる感じがなくなり、内容に集中して自分なりに考えることができた」といった感想が寄せられている。
ただ、19年3月の「誰が命を救うのか 医師たちの原発事故」(ギャラクシー賞優秀賞)のように、客観的なデータへの言及や時系列に沿った補足説明は、ナレーションを適宜使った方が効果的な場合もある。要はバランスの問題だ。
ネット視聴、連続ドラマ上回ることも
ナレーション改革のほか、新機軸として海外のドキュメンタリー映画監督も起用する。19年3月の「HOME 我が
様々な試行錯誤の末に「ETV特集」の認知度は徐々に増しており、SNSで反響を呼んだケースも出てきた。精神病院に不必要に長期入院させられた人々の姿を描いた「長すぎた入院 精神医療・知られざる実態」(18年2月)では、40年もの入院生活から解放された男性の喪失の嘆きをひりつくような言葉でつづり、放送後、2週間ほどツイッター上で話題になっていたという。
また、今年3月、奈良・箸墓古墳の調査を基にヤマト王権成立の過程を大胆に推理した「誕生 ヤマト王権~いま前方後円墳が語り出す」は、NODで利用件数上位を普段独占している連続ドラマを上回る好成績を挙げた。「長すぎた入院」もNODでは人気で、放送時にSNSで話題になった作品が、その後のネット視聴につながっているようだ。
今後は、「長すぎた入院」の続編のほか、8月には、スクープ性の高い戦争関連番組も連打。太平洋戦争開戦80年となる今年12月に向けては、開戦にまつわる作品を準備中だ。「欧米でも受け入れられる作りを目指しつつ、日本の視聴者に見てもらえる線を毎回探っている」と矢吹統括プロデューサー。公共放送らしい実験精神をこれからも大切にしてほしい。(写真はNHK提供)