古代の御所 瓦から迫る 

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廃寺や窯跡などで出土

企画展 山麓に寺院並ぶ風景

2005年に見つかった二光寺廃寺の出土瓦。文献にも登場しない新発見の寺院跡だった(御所市で)
2005年に見つかった二光寺廃寺の出土瓦。文献にも登場しない新発見の寺院跡だった(御所市で)
水泥北古墳出土の排水管。半分に割ると丸瓦になり、同じ技術で作られた(御所市で)
水泥北古墳出土の排水管。半分に割ると丸瓦になり、同じ技術で作られた(御所市で)

 御所市内で見つかった飛鳥時代の瓦に着目した企画展「御所市域の古代寺院と瓦」が、市文化財展示室(御所市室)で開かれている。山麓に寺院が並び立ち、藤原宮の瓦を供給した窯もあった、かつての姿をうかがわせる展示だ。(中井将一郎)

 飛鳥に近く、巨勢氏など古代豪族の本拠地となった御所市域。展示では、市内の廃寺や窯跡などで見つかった飛鳥時代以降の瓦80点を並べ、古代の「首都近郊」の風景を想像させる。

 二光寺廃寺(7世紀後半)から出土した、ハスの花をかたどった「 蓮華文れんげもん 」の軒丸瓦や、唐草が描かれた平瓦なども展示。二光寺廃寺は2005年に御所市西北窪の金剛山麓の水田で発見された文献に登場しない「謎の寺」で、建物跡や大量の瓦、レリーフ状の仏像などが確認された。

 出土した瓦は、渡来系氏族の寺とされる檜隈寺跡(明日香村)や藤原宮などと同じ型式のものなどバラエティーに富む。市教育委員会の金沢雄太技師は「様々な地域や渡来系氏族の協力があったことがうかがえる」とし、渡来系氏族によって、こうした寺が山麓に相次いで建立されたという。

 古代寺院が造られた背景は、かつては権力の象徴だった古墳が6世紀の仏教流入によって、寺院に代わっていったことがあるという。

 水泥北古墳(6世紀後半)ではその過渡期がわかる。地下に埋められていた、土器製の排水管は2個の丸瓦をくっつけたような円筒形で、瓦と同じ土質。寺院の丸瓦と同じ製法で造られたとみられる。土管は国内初の本格的寺院だった飛鳥寺でも発見されており、金沢技師は「仏教が入ってきた時代、先端技術も同時に取り入れられたことがわかる。古墳と寺院の文化が結合した事例」とする。

 藤原宮に瓦を供給した最大の瓦窯であることがわかった高台・峰寺瓦窯の平瓦も紹介。27日まで。観覧無料。午前9時~午後5時。問い合わせは市文化財事務所(0745・60・1608)。

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