「派遣切り」という言葉が、いつの間にやらメディア頻出単語のトップに登り詰めている。
奇妙な言葉だ。
朝から何回も聞いていると、なんだかもやもやした気持ちになる。
「派遣を切ることのどこがいけないんだ?」
と、当方にそういう気持ちがあるからだろうか。
そうかもしれない。このもやもやは、「使用済みのペーパータオルを捨てたことを女房になじられた時の気分」に似ていなくもない。
「だってお前、ペーパータオルってのは、捨てるための紙だぞ」
「乾かせば使えるでしょ」
「乾かして使うくらいならはじめから布のタオルを使うんじゃないのか?」
「屁理屈言わないの」
いや、私は、派遣労働者が解雇されることを喜んでいるわけではない。彼らをペーパータオル視しているのでもない。
ただ、切られることがあらかじめわかっている者が切られつつある現今の状況に、しらじらしくもびっくりしてみせているテレビの中の人たちの口吻に、偽善に似たものを感じているわけです。
そもそも原理的に言って「派遣社員」というのは、「切る」ための社員だ。企業の側からすれば、不況に直面した時にいち早く整理できるからこそ、派遣労働者を雇い入れていたはずなのだ。それゆえ、もし問題があるのだとしたら、それは、「派遣社員を切ること」よりも、「派遣社員という雇用形態を容認しているわれわれの社会」のシステムそのもののうちにある……はずなのだが、こういう時に正論を言ってもしかたがない。
実は、正論はみんなわかっている。
でも、どうしようもない。だから、「貸し剥がし」「雇い止め」「派遣切り」「内定切り」……と、新規に作成される不況関連用語には、常に情緒に流れた詠嘆の調子がつきまとうことになっている。みんな大変だね、手を貸してあげることはできないけど、同情してるよ、と。雨に濡れた野良犬に傘をさしかける感じ。でも、連れて帰るわけにはいかないんだ。ごめんよ……ぐらいな。
メディアの報道ぶりを見ていると、派遣社員を解雇した受け入れ先企業の冷血を責めるテの議論が目立つ。突然過ぎるじゃないか、と。
でも、本当のところ、現行法からすれば、雇用責任の過半は、派遣先企業にではなくて、派遣労働者として彼らを登録している派遣会社にあるはずだ。
なのに、派遣会社の責任を追及する論調はほとんど出て来ない。
不思議だ。
あるいは、「解雇より先に、なによりもまず役員報酬のカットが第一で、その次が従業員の給与の見直しであるべきだ。解雇という選択肢は最後の手段であるべきなんではないのか」式の、昔ながらの正論も、一向に主張されていない。
ただただ、「かわいそうですね」「身につまされますね」「がんばってほしいですね」という情緒的な画面を流すばかり。彼らはやる気があるんだろうか。
というよりも、そもそも、テレビ局は、派遣労働についてとやかく言える立場の職場ではない。
あの業界(私も「派遣ディレクター」として籍を置いていたことがある)は、正規の派遣ですらない偽装出向や二重派遣やピンハネアルバイト労働の温床であり、タダ同然で働く業界ワナビーのアシスタントディレクター(彼らの中には「マスコミ業界で働けるなら時給なんか無くても良い」と思っている子たちが常に一定数いて、このことがADの最低賃金を引き下げている)や、スタジオの机の下で寝起きしているサービス残業スタッフみたいな人たちに支えられている、どうにもならないタコ部屋だからだ。
でなくても、事実上の実働部隊であるところの制作会社の社員は、局社員の半分以下の給料で働いている。
それでも、その制作会社の仕事を差配している局の社員たちが額面通りに優秀な人々であるのなら、それはそれでかろうじて細いスジは通る話ではある。が、どっこい、そうはイカの禁断症状で、局社員は、優秀であるよりは、むしろ良血な人々であるに過ぎない。具体的に言うと、毎年、テレビ局に入社する社員(数十人に過ぎない)の中には、少なからぬ数の政治家の子弟やクライアントであるところの一部上場企業重役の子女が含まれているのだ。で、これに、同業マスコミの関係者(Mのもんたの息子とかT原S一朗の娘さんとか)や、ミスコン優勝者が加わって、そうやってあらかじめ採用枠が埋まっている。よって無コネの試験突破組による就職倍率は実質数千倍になる。
で、先頃、発表された「2008年全上場企業3733社年収ランキング」によれば、
《1位に輝いた朝日放送(大阪)は平均年収1556.7万円! 2位はTBS、3位はフジ・メディアHDと、ベスト3はテレビ局が独占。日本テレビ放送網も6位に入った。》(《》内、ZAKZAKより。リンクはこちら)てなことになっている。
おそろしいことである。
さて、労働者派遣法が改正されたのは小泉政権下の2004年のことだった。
肝要なのは、法改正の事実そのものではない。法改正に先だってどんな議論があったのかということだ……と思うのだが、私の記憶では、たいした議論はなかった気がするのだね。
一部に、低賃金労働の固定化や、派遣労働者の安易な解雇を危惧する議論があったのは事実だ。が、当時それらの意見はさして問題にされなかった。というのも、そのテのお話をする人たちは、あらゆる政策に対して常に危惧の念ばかりを表明している一派の人々で、一般人であるわれわれの多くは、いつも文句ばっかり言っている彼らの悲観的な語り口にうんざりしていたからだ。
で、今回、彼らの懸念はモロなカタチで現実になった。
突然の解雇という蟹工船以来の伝統的な筋立てで、だ。
さよう。われわれは、彼らの声に耳を傾けておくべきだったのかもしれない。
でも、多くの国民は、悲観論者の声をうるさがり、むしろ、もうひとつの声に耳を傾けていた。
もうひとつの声というのは、具体的にはこんな感じのお話だった。
「圧倒的に安い労働力を背景に、シェアを拡大しつつある新興工業国の追い上げに対応するためには、派遣労働の解禁はもはや避けて通れない」
なるほど。
この話も、実は、現在、米国を舞台に、モロなカタチで現実化しつつある。すなわち、強い組合を容認し、労働者の待遇を高い水準に保ち、不況下でも雇用を確保する政策を維持し続けた結果、世界一の大企業であるGMは、ほとんど倒れかけているのである。のみならず、ビッグ3と呼ばれたアメリカの自動車業界がまるごと、ツブれようとしている。これまた、非常に深刻な事態だ。
われわれはどうすれば良かったのだろうか。
労働者の権益を守れば製造業が経営危機に陥るし、かといって業界の要望を反映して派遣労働を解禁すれば失業者が大量発生する。
難しい問題だ。
って、このセリフはいつものことながら、何の解答にもなっていない。
が、私は、解決策を提示する立場の人間ではない。
その代わりに(代わりにも何にもならないのだが)邪推を述べることにする。
お国は、雇用問題の闇を隠蔽しようとしている。
われわれパンピーも、一番やっかいなところからは目をそむけている。
で、路上に放置されている猫の死骸を見なかったことにして通り過ぎる通行人みたいに、われわれは、息を止めて、早足で過ぎ去ろうとしている。
「ハケンの品格」というテレビドラマがあったのを記憶しておられるだろうか。
「2007年1月10日から同年3月14日まで、毎週水曜日22:00~22:54(JST、初回は22:00~23:09、最終回は22:00~23:04)に日本テレビ系列で放映されていた篠原涼子主演の連続テレビドラマ。全10話 平均視聴率20.1%」
と、ウィキペディアは、シンプルに言い切っているが、平均で20.1%という視聴率は、昨今の水準では「大ヒット」としか申し上げようのない見事な数字なのであって、「ハケンの品格」は、近来の事件だった。
実際、当時ベストセラーになっていた『国家の品格』と、その後追いベストセラー書籍である『女性の品格』に乗っかった、三匹目のドジョウ狙いの、品格を欠いたパクリ企画であったにもかかわらず、番組は、初回から絶好調だった。
が、今になって振り返ってみるに、あれは、どうにも罪作りなドラマだった。
主人公が特Aクラスの「スーパー派遣社員」だという設定の御都合主義もさることながら、出てくるエピソードのいちいちがデタラメ過ぎた。
たとえば、主人公は、26個の超難関資格を持ち、仕事はどの職場に行っても、誰よりもデキることになっており、時給は派遣会社によって3500円に設定されている。
で、ストーリーの中では「派遣であれ、正社員であれ、仕事がデキる者が勝つのだ」というファンタジーが毎回繰り返される。
現実はもちろん違う。
代打でホームラン王になるバッターはいないし、臨時雇いの板前が店長を怒鳴りつけて大丈夫な店も現実には存在しない。
無論、テレビドラマは、リアルであれば良いというものではない。現実離れした部分があっても、そのファンタジーが視聴者の共感を呼ぶのであれば、それはそれで成功なのであろうし、ストーリーが素っ頓狂でもプロットが奇想天外でも設定が支離滅裂でもキャラクターが常軌を逸していても、最終的に面白ければオッケーではあるのだろう。
でも、「ハケンの品格」が提示していたファンタジーは、業界にとって都合が良いだけの、お伽噺だった。
スーパー派遣社員による正社員やりこめストーリー。
下克上?
いや、確かに、弱い立場の者が権力者をやっつけるプロットは、昔から大衆演劇の定番であった。落語にも、町人が武士のハナを明かす話はたくさんある。
でも、それにしても「ハケンの品格」は、派遣労働者を応援するというよりは、むしろ、派遣労働者が置かれている差別と搾取の現実から目を逸らすことに力点を置いたドラマであった。非正規労働者慰撫企画。防衛機制の材料。ひがむよりは夢を見ようぜ式の。
結局、バブルがはじけてからこっちの20年ほど、われわれは、雇用と労働についてまともに考えてこなかったのである。
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