憲法解釈を変更する閣議決定が為された翌日の7月2日、ツイッター上に奇妙な動画がアップされた。
そのおどろくべき映像は、瞬く間に話題を独占した。
元ネタはテレビのニュースだった。
当初、私は
「泣き乱しながら潔白主張」
と題されたその動画のタイトルに違和感を覚えた。
「『泣き乱す』って、そんな日本語あったっけか?」
と思ったからだ。
あるいは、そういう日本語があったのかもしれない。調べれば、辞書にも載っているのかもしれない。でも、少なくとも、この国で五十数年暮らしてきた人間である私は、その言い回しを聞いたことがない。とすれば、「泣き乱す」は、ニュース画面のテロップに使う用語としてはいささか不適切なのではなかろうか……などと考えながら当該の動画を見て、私の違和感は吹っ飛んだ。
「誰がね、誰に投票してもぉおお、同じや、同じや思てぇ……わぁあああはあ、この日本んぁぁあああ……」
といった調子の、ほとんど日本語として意味を為さない号泣と絶叫の混交物に、あえてタイトルを付けるのだとしたら、確かに「泣き乱す」ぐらいな造語が必要であったのかもしれない。
「泣き崩れる」では弱すぎるし、「泣きじゃくる」でも実態に届かない。「泣き喚く」や「むせび泣く」を持ってきてさえ、あの号泣っぷりを十分に描写し尽くしているとは言いがたい。
とすれば、「泣き乱しながら」という前例の無い言い回しを使ってみたくなったデスクの気持ちも理解できる。個人的には「泣きぶっ壊れる」「泣き砕け散りながら潔白主張ぉぉおおおお!」ぐらいなテロップをカマしても良かったのではなかろうかと思っている。
が、大切なポイントはそこではない。
考えてみてほしい。
当件は、一地方議員の、経費流用疑惑にすぎない。
それも、問われているのは、交通費の過大請求だ。
ニュースバリューとしては、地元ローカル局の枠組みから外に出るはずのない事案だ。
それが、SNSの世界では、他を寄せ付けないトップニュースになっている。
バランスを欠いた事態であると申し上げねばならない。
おかげで、集団的自衛権の行使容認をめぐる官邸前デモの話題や、憲法の解釈、改憲の是非を問うお話は、ものの見事に弾き飛ばされて、脇役の位置に後退している。これまた、憂慮すべき退潮ぶりだ。
と、そうこうするうちに、キー局が流すニュース枠の中でも、この号泣会見のVTRは、いつしか、単なるローカルネタから、全国ネットの急上昇アイテムに昇格している。
面白いというのはわかる。
私自身、久しぶりに心の底から笑った。
笑っただけではない。
喜怒哀楽のすべての感情を追体験させてもらったと言って良い。
私は、腹をかかえて笑い乱れた後、静かな怒りを感じ、やがて、哀しみに似た感情にとらわれ、最終的には人間というものの業の深さと不可解さにしみじみと思いを馳せるに至った。
よく出来たテレビドラマや、手間のかかったドキュメンタリーでも、見る者の心にこれほど複雑微妙な感情を呼び覚ましてくれる作品は滅多に無い。その意味では、私は、得難いVTRを見たのかもしれない。
しかしながら、大いに笑い転げておいて言うのも気がひけるのだが、21世紀にはいってからこっち、われわれは、この種の「ネタ動画」に振り回され過ぎているようにも思える。
繰り返し述べるが、当件は、一地方議員の交通費支出が不自然に多すぎたという事案に過ぎない。
もちろん、経費を適正に費消し、正しく報告することは公僕たるものに課せられた最低限の義務だ。バレなかったからといって適当に辻褄を合わせておけば良いというものではない。
が、それにしても、金額といい、経緯といい、野々村議員のケースは、どう見てもトップニュースではない。
なのに、それが、
「有力候補が目白押しだった上半期釈明会見動画群に割って入る、堂々の2014年ニュース動画グランプリ候補作」
みたいな騒がれ方で、人々の注目を集め、ネット好事家の視聴時間を奪っている状況は、いかがなものなのだろうか。
思うに、この動画が注目されているのは、野々村議員の行状が巨大な問題をはらんでいるからではない。
地方自治の根幹を揺るがす大事件だからでもない。
単に奇天烈で面白いからだ。
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