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那覇には病院通りと呼ばれた病院が集中している地域(牧志と久茂地)がありました。後者をとりあえず「久茂地・美栄橋」と呼びます。
56年の新聞記事で「病院通り会ー大城鎌吉」というのがあるのですが、大城鎌吉は大越(三越)オーナーですので、ここでの病院通りは那覇タワー前の道(上左図)のことだと思われます。
冒頭の2つの図は1958年の地図を参考に作成してありますが、後年病院通りと呼ばれる久茂地・美栄橋一帯にもいくつかの病院があります(上右図)。
時系列で見てみると、昭和26(1951)年の地図では国際通りの拡張工事がなされていないため那覇警察署・南部税務署間は湾曲しています。(美栄橋の)病院通りになった一帯は区画整理がされていますが、この区画整理は国際通りの拡張工事と同時に行われたものだと思われます。
「沖縄・国際通り物語」巻末の年表では、1951年9月に久茂地町・美栄橋町の解放が群島政府に伝えられ、1952年に国際通り改修工事起工、1953年8月31日「那覇警察署〜那覇税務署間350メートル工事竣工」となっています。
病院建設などは1953年8月よりあとでしょう。
沖縄で病院の自由開業のスタートは50年だと思われます(未確認)ので牧志の病院通りでの病院開業も早くてそのころのはずです。
久茂地・美栄橋への病院集中は行政の誘導があったのではないかと考えていますが証拠を見つけきれていません。県庁周辺は行政センターとして位置づけられており、赤十字病院や保健所などが集中しています。
まとまりがありませんが、とりあえず区画整理時期から考えると牧志の方が先にできていて、久茂地の方は区画整理の後に(おそらく行政の誘導で)できたと思われるよということです。