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2015年7月31日金曜日

公明党よ,目覚めよ。創価学会の学会員から「三行半」を突きつけられた,いまこそ目覚めよ。

 創価学会の学会員の一部が,とうとう「戦争法案反対」の狼煙をあげ,抗議行動のデモに参加しはじめた,というニュースが流れている。その情報によれば,創価学会の三色旗を掲げ,日比谷公園の野外音楽堂の集会に参加し,その後のデモ行進にも参加したという写真つきである。

 断るまでもなく,創価学会を最大の支持母体とする公明党は,戦争に反対し,平和を希求する政党としてスタートを切った。そして,自民党と連立を組むときの条件もまた,自民党の「暴走」に「歯止め」をかけることが最大の目的である,と宣言している。

 にもかかわらず,このところの公明党の体たらくはいったいどうしたというのだろう。国土交通省の大臣ポストをひとつ確保するための犠牲にしてはあまりに大きすぎる。立党の精神はどこに行ってしまったのか。なぜ,忘れてしまっているのか。いな,忘れたふりをしているのか。それほどまでに,政権党に身を寄せていることのメリットは大きいということなのか。

 でも,それは間違いだろう。

 真面目な創価学会の学会員は,その間違いを許すことができない。がまんにがまんを重ねてきたが,とうとう堪忍袋の緒が切れた,ということだろう。公明党がこのまま自民党にずるずると引きづられて行ってしまうのならば,表立って,戦争法案に反対する抗議行動を立ち上げよう,という正統派学会員の決意表明だ。この運動は間違いなく徐々に全国的な展開になっていくだろう。なぜなら,これぞ立党の精神に則った,本来あるべき姿勢の表明なのだから。

 残る手段は,現職公明党議員の選挙区での学会員の態度表明だ。現職公明党議員がみずからの選挙区での支持がえられなくなると覚ったとき,はじめて現職議員に危機感がはしることになる。ここがポイントだ。

 もうすでに,自民党議員にたいする造反への働きかけははじまっている。つまり,戦争法案に反対の意思表明をし,反対票を投じた自民党議員の再選への支援を約束する,というものだ。逆に,戦争法案に賛成票を投じた議員には票を投じない,つまり「落選」させる戦法をとる,という運動である。そして,造反してくれそうな議員一覧,戦争法案絶対支持の議員一覧,その他の議員一覧,などといった手のこんだ一覧も,ネットをとおして流通している。

 創価学会の学会員が,その組織力にものを言わせて,上記のような行動にでたとき,これが日本の政治を大きく変える転機となる。戦争法案を廃案にもちこむには,こうした力がどうしても必要だ。

 すでに,SEALDs を名乗る若者たちの運動が大きな輪となって全国展開をしている。この人たちの運動によって覚醒した大人たちも,いろいろなかたちで戦争法案廃案に向けた活動をはじめている。8月から9月にかけて,この動きはますます大きくなっていくだろう。

 そこに公明党議員の造反が加わると,文字どおり,国政の大転換が起こる。たぶん,こうした動きはお互いに連動していくものだと考えられるので,まずは,自分の持ち場でできることからはじめること,そこが第一歩だ。

 公明党の議員諸氏も,初心に立ち返って,「平和主義」の立党の精神を復活させてほしい。安倍首相のいう「積極的平和主義」という名の「戦争主義」の虚像を打ち破って,公明党がめざすべき本来の「平和主義」をとりもどしてほしい。いわば,最短距離のキャスティング・ボートをにぎっているのが公明党なのだから。

2015年7月30日木曜日

国会劇場・中継「参議院平和安全法制特別委員会質疑」が面白い。演出なしの生中継だから。

 エアコンが壊れているので,窓を全開にして風を呼ぶ。時折,気まぐれに吹く風がなんとここちよいことか。あとは,ビタッと風が止まってしまって,サウナ状態。仕方がないので,安物の扇風機をつけて,上半身裸で濡れタオルを背中に乗せて,猛暑をしのぐ。体力というよりは精神力が必要。くそおもしろくもない午後のひととき。

 遅い昼飯にそうめんを茹でて,ざるに盛ってすする。そのついでにテレビをつけてみる。ここ数日,午後はNHKテレビのお世話になっている。

 国会中継「参議院平和安全法制特別委員会質疑」。生中継なので,ほとんどこれといったカメラ操作もせず,だらだらと質疑を,そのまま垂れ流す。これがまことに結構。国会劇場をリアル・タイムで見物することができる。他のテレビ番組の追随を許さないほど面白い。

 なぜか。延々と5時間余にわたって,質疑が繰り返される。安倍首相,中谷防衛大臣,岸田外務大臣の3人が主役。あとは,必要に応じて他の大臣もときおり顔を並べる。が,この3人については,不動のメンバー。だから,質疑を重ねているうちに,文句なく丸裸の人間性が剥き出しになってくる。それが面白い。

 質問に立つ与党議員は,まるでちんどん屋。よくも恥ずかしげもなく,お約束どおりの質問を,よいしょも含めて,だらだらとつづける。それを,安倍・中谷・岸田の3人が,予定どおりの原稿を読み上げて終わり。どこに「わかりやすく,丁寧に説明する」姿勢があるというのか。あきれ果ててものも言えないほどだ。この馬鹿馬鹿しさが,テレビをとおして国民の前にストレートに垂れ流されている。ふつうの高校生なら,なんと馬鹿げた紙芝居をやっていることか,とすぐに気がつく。少し,賢い中学生なら,総理大臣ってこんな人なんだ,とびっくり仰天するだろう。

 折しも,夏休み。たぶん,かなりの中学生・高校生が,たとえ短い時間とはいえ,ちらりとこの番組をみているのではないか,とおもう。政治の現場を知る絶好の機会だ。選挙権が18歳に下げられたので,政治に関心をもつ若者たちも増えているはず。ましてや,いま議論されているのは,「平和安全法制」という名の「戦争法案」(福島瑞穂)だ。このままこの法案が通過してしまえば,いつの日にか若者たちは戦場へと駆り立てられることになる。にもかかわらず,これを「平和維持活動」と呼ぶ安倍首相に対して,それこそが「戦争」以外のなにものでもないと断ずる福島瑞穂(これは,今日・30日の質疑)。この安倍流騙しのテクニック満載の「法案」の質疑だけに,しっかり耳を傾けていると,まことに面白い。

 国会審議の第二日目の28日(火)からは,自民の愛知治郎氏以外は,4人とも民主・新緑風会の議員。順に,福山哲郎,小川敏夫,大塚耕平,大野元裕の4氏。この野党4氏からの鋭い質問にしどろもどろとなる安倍・中谷・岸田の3氏。丁寧な説明どころか,とんちんかんな答弁ではぐらかし作戦。「まじめに質問に答えろ」と吼える議員も少なくない。このあたりのやりとりは,下手な芝居をみているよりも,はるかに迫力があって面白い。同時に,野党側議員の力量もまるみえ。

 第三日目の29日(水)は,小池晃(共産),松田公太(元気・無所属会),和田政宗(次世代),水野賢一(無所属クラブ),吉田忠智(社民・護憲連合),山本太郎(生活),荒井広幸(新党改革・無所属の会)の7氏。それぞれの党利党略を反映した質問がつづく。それぞれに面白いが,ここでも政治家としての能力差が歴然としていて,そこがみどころ。その点,山本太郎の問い詰めの姿勢が際立っていた。ただ,かれの持ち時間があまりに短いのが残念。

 第四日目の30日(木)は,前川清成,谷合正明,真山勇一,井上哲士,山田太郎,中山恭子,中西健治,水野賢一,福島みずほ,山本太郎,荒井広幸の11氏。今日は途中で眠くなってしまい(そのくらいレベルの低い質問がつづいたということ),ひと眠り。そして,目が醒めたら,福島みずほ,山本太郎,荒井広幸の3氏の質疑を聞くことができた。福島みずほは「なぜ,この法案を戦争法案と呼ぶか」その根拠を提示しての質問。これには安倍首相もたじたじ。途中で,どもってしまったりして,あわてぶりが露呈。つづいて山本太郎。昨日につづいての質問。自衛隊がすでにアメリカで訓練を受けているが,その内容は,まさにアメリカ軍とともに最前線で戦う訓練になっているが,なぜ,こんな訓練をいまから始めているのか,と迫る。安倍首相も中谷防衛相も,きちんとした説明ができないまま,いつもの「一般論」に逃げ込む。答えを拒否している,としかみえない。

 こんなお粗末な「議論」が,国会という場で,しかも参議院という良識の府で展開されている。しかも,このことがそのままテレビをとおして国民にまるみえ。

 これでは国民の支持率はどんどん落ちていくのは必定。福島県民に限定した支持率調査結果(30日発表)によれば,ついにデッドラインである30%を割って28%に達したという。

 この戦争法案に関しては,議会で徹底して議論してほしい。そして,NHKは,すべて国会中継として放映してほしい。国民が,直接,議論を注視し,考えるための最高の素材なのだから。

 なお,テレビでリアル・タイムでみられなかった人は,YOUTUBEで,必見の質疑はみることができるようになっているので,ぜひ,ご確認ください。いかに,とんちんかんな議論が行われているか,百聞は一見にしかず,でとてもわかりやすい。こんな人が日本の総理大臣なのか,と背筋が寒くなることもしばしばだ。中谷,岸田両大臣にいたっては,もっとお粗末。

2014年11月22日土曜日

書評の地平。森元庸介氏による『破局のプリズム』(西谷修著,ぷねうま舎,2014年9月刊)の書評を読んで。

 書評とはなにか,とこのところ考えることがあって,定期購読している『週刊読書人』の書評をあれこれ考えながら読んでいる。ひとくちに書評といっても,そのスタイルやスタンスはさまざま。しかも,評者についての予備知識がない場合には,その人の書評がどういうものなのか,どのように受け止めればいいのか,その判断に苦しむことが多い。わたしが比較的よく知っている評者の書評は,言外の意味まで忖度できて,とても興味深いのだが・・・・。

 と,そんなことを考えていたら,『週刊読書人』(11月14日号)に,森元庸介さんの手になる西谷修さんの近著『破局のプリズム──再生のヴィジョンのために』(ぷねうま舎,2014年9月刊)の書評が掲載されていた。この書評はとても興味深く読ませていただいた。なぜなら,著者の西谷修さんも,評者の森元庸介さんも,いま,とても仲良くお付き合いをさせていただいて,お二人の著書もわたしなりにしっかりと読ませていただいているつもりの人だから。

 わけても,著者の西谷修さんとは,もう,ずいぶん長いお付き合いをさせていただいていて,この本も著者献本としていただいた。嬉しくてすぐに飛びつくように読んで,いつものことながら,うーんと唸りながら,もし,この本の書評をするとしたらどんな風になるのだろうか,と折あるごとに自問自答していたところだった。できることなら,このブログで書いてみたい・・・と。

 評者の森元庸介さんとも,最近になって親しくお付き合いをさせていただいている。だから,森元さんの手になる翻訳のお仕事(主としてフランス現代思想の翻訳)もひととおりは,読ませていただいている。なかには『猫の音楽』などという意表をつくタイトルの翻訳本もあり,不思議なレパートリーの広さといい,とてもよくこなれた翻訳の文章といい,そして,ご自身の書かれる,じつに味のある文章(文体)といい,森元さん独自の世界があって,それがまたたまらない魅力である。わたしはいつのまにかファンになっている。

 
そんな偶然も重なっていて,だから,この書評はわたしには特別の意味をもつことになり,いろいろと考えさせられた。書評とはなにか,という疑問にもある種の答えを導き出すことができたように思う。とりあえず書いておけば,書評とは,評者のもつ手鏡に写った心象風景が,ほとんどそのまま表出するものだ,と。だから,この書評もまた,森元さん固有の世界が,おのずから表出している。それが,わたしにはまたたまらない喜びをもたらしてくれる。

 したがって,評者の手鏡の大きさやその鮮明度などによって,そこから紡ぎだされる書評はまさに十人十色となる。

 さて,森元さんの書評。上の写真で読んでいただければ一目瞭然。いわゆる,わたしたちが馴染んできた,ふつうの書評ではない。言ってしまえば,最初から最後まで「森元節」が鳴り響いている。逆の言い方をすれば,森元ワールドがある程度わかっていて,しかも,西谷さんの思考の世界を熟知している人でないと,この「森元節」のよさはうまく伝わらないかもしれない。しかし,ありがたいことに「森元節」の奥深くに流れている含意が,わたしにはここちよく伝わってくる。滅多に味わうことのない僥倖である。

 まず,冒頭の書き出しからして,いきなり宇佐美圭司さんへのオマージュからはじまる。それは,つい最近亡くなられた宇佐美さんの死に対して,西谷さんがとても悔しい思いをされていることを,森元さんは察知されているからだ。わたしもまた,西谷さんが「ちょっと油断していた」とポツリと言われたことばが印象に残っている。だから,宇佐美さんと西谷さんとの親密な交友関係を知っている者にとっては,この入り方は感動ものである。思わず「うまいっ!」と叫んでしまったほどだ。

 この導入からはじまって,森元節は徐々に唸りを上げていく。ソフトなタッチの文体ながら,厳密に読み取ろうとすると,どうしてなかなかの難解ものでもある。そこには森元さん独特の隠喩が,一分のすきもなく盛り込まれている。その隠喩に触れられたときにはそこはかとない至福の時が流れはじめる。しかし,そこに触手がとどかない時には,なにかフェイントをかけられたような目眩を覚える。

 それは森元さん固有の思考の深さから発してくると同時に,著者の西谷さんの思考を熟知した上での,二人の共振・共鳴関係から生まれてくる,そういう一種独特の知の地平を拓いているからだろう,とわたしは考える。そして,そうか,書評とは,かくも奥が深いものなのだ,と。つまり,著者と評者のシンクロニシティが成立したとき,その書評はもはやつきなみな書評のレベルをゆうゆうと逸脱していく。そして,それは,もう一つの新しい作品を生みだすことになる。

 だから,この書評を,わたしは,もうすでに,何回もとりだしてきて,読み直している。しかも,そのつど二度,三度と読み返している。そして,そのたびごとに新しい発見の喜びに浸っている。そして,なんという書評なんだ,とひとりごちしている。

 森元さんの選び抜かれたことば。けしてはずすことのないポイント。しかも,そのポイントを手掛かりにして,なお一層,その思考を深めていく,ウデの確かさ。その極めつけのシンフォニーが,最後の段落で鳴り響く。西谷さんのいう「世俗哲学」「チョー哲学」を語るくだりだ。正直に告白しておけば,ことここにいたって,ようやく西谷さんの仰る「チョー哲学」の真意を知ることができた。これぞ至福の時。

 あまりの感動を,やはり,ここにも書き留めておきたい。

 冒頭の書き出し。宇佐美さんの「思考をそこから始め直すチャンス」(破局)に呼応するようにして,森元さんはつぎのように書いている。

 「時の試しに己を開き,糺すべきものを糺して怯まぬ言葉の勁(つよ)さが戸惑いを呼ぶだろうか。しかし勁さは強(こわ)さでない。始め直すべき思考を「世俗哲学」,けれどまた「チョー哲学」と名づける著者は,ふと零れ出る笑いが思考の代えがたい伴走者であることを知るひとだ」。

 もはや,何をか況んや,である。

2014年9月3日水曜日

富士山登山客が5万人減(山梨側)。なにかが変わりつつある・・・・?

 富士山が世界遺産に登録され,ふたたび富士登山ブームが起きているとばかり思い込んでいました。現に,8月上旬にはイタリアから富士登山をしたいという友人二人がやってきて,なるほどなぁとわたしなりに納得していました。ところが数日前の新聞によると「富士登山客が5万人減(山梨側)」という。思わず「えっ?」と声をあげてしまいました。

 そういえば,富士山がちかぢか噴火する可能性がある,という報道もあります。こんなことがひょっとしたら富士山を忌避する理由にあるのかもしれません。でも,もし,その可能性が高くなってくれば,当然のことながら,富士登山を規制することになるでしょう。しかし,そこまではまだ行ってないようです。

 熟年者の間での,登山ブームは相変わらずのように見受けられます。土,日の早朝には,溝の口駅周辺で登山姿の熟年者の集団をよくみかけます。あるいは,電車の中でも登山を終えて帰ってきたと思われる熟年者に出会うことも珍しくありません。むしろ増えているのではないか,というのがわたしの感想です。

 なのに,富士登山客が減少(山梨側)している,という。
 だとしたら,その理由はなにか。

 他方,海水浴客も減少傾向にある,といいます。たとえば,逗子のことしの海水浴客は20万1300人ほどで,昨年の半分以下に落ち込んだ,といいます。その背景には,海水浴客のマナーが悪くなってきて目にあまるので,それをきびしく規制する措置をとったことが原因ではないか,と推測されています。たとえば,集団でやってきて大音量の音楽を流し,馬鹿騒ぎをする,あるいは飲酒して泥酔する海水浴客が増えている,そのために大音量禁止,飲酒場所を指定するなどの規制措置をとることにした,というのです。これはまあ一般客への「迷惑行為」として規制するのは当然といっていいでしょう。

 しかし,こんなことで海水浴客が減少するとは思えません。しかも,半分以下に。もっとほかに理由があるはずです。

 わたしの意識にあるのは,海水の汚染です。それもフクシマの汚染水の大量の垂れ流しがあります。わたしの知りうるかぎりでは,ネットなどでは,その汚染範囲が相当な海域にまで広がっている,といいます。しかも,それを図示した汚染マップまで掲載されています。その情報の出所もかなりしっかりした研究機関のものです。それをみた瞬間,わたしの脳裏に浮かんだことは「とうとう海水浴もままならない時代に入ったか」というものでした。

 ついでに触れておけば,冬のスキー客も激減していて,スキー場は閑古鳥が鳴いているとさえ言われています。スキーからスノーボードへとスキー場の風景が変わったと聞いたのは,もう,ずいぶん前のことになります。そして,そのスノーボードもブームが去り,静かなスキー場になってしまっていると聞いています。もう,リフトに乗るために長蛇の列,などというのはもはや遠いむかしの物語になってしまったようです。

 なぜ,若者たちがウィンター・スポーツに興味を示さなくなってしまったのか,この理由もまたわたしにはわかりません。遊びの多様化,などという論者がいますが,そんなのは理由にはならないとわたしは思うからです。もっと別のところに理由があるのでは・・・・?とわたしは考えています。それは若者たちだけではなく,この文明化した社会に生きている人間すべての無意識に,なにか大きな変化が起きている,という予感のようなものがわたしの中にはあります。

 しかし,それが何かは断定できないままでいます。あえて推定してみれば,自然離れ。リアル・リアリティからバーチャル・リアリティへの依存。厳しい大自然に向き合うよりは,文明の光に囲い込まれた安楽なバーチャルの世界の遊びの方が居心地がいいと感ずる人が増えてきた,といえばいいでしょうか。それでも,なお,わたしの中には疑念が残ります。もっともっと違う大きな理由があるはずだ,と。それが見えてきません。

 なぜなら,その一方で,市民マラソンのブームは相変わらずです。各地で開催される市民マラソンの大会には応募者が殺到しているといいます。たとえば,東京マラソン。募集人員(約8000人)の20倍を超える人たちが申し込みをしたといいます(8月31日申し込み締め切りの結果)。東京マラソン以外でも,毎年,応募者の数は増えつつけているといいます。

 これはいったいどういうことを意味しているのでしょうか。これはわたしの中の大きな謎の一つです。なにゆえに人びとはマラソンに向かうのか。人びとをマラソンに駆り立てる原動力はなにか。一度でもその魅力に触れてしまったら,もう,止められないとも聞いています。その麻薬のような内実・実態はいったいなんなのでしょうか。

 いってしまえば,一方では自然離れのような現象が起きているのに,他方ではマラソン・ブームがますます増大しつつある,というこの二つの関係がわたしにはいまひとつ納得できないままでいます。もう少し詰めて考える必要がありそうです。

 現代社会を生きるわたしたちの身心に,なにか大きな,根源的な変化が起きている,それも無意識のうちに。この謎解きは重大です。21世紀のスポーツ文化を考える上でのキー・ポイントと言っていいでしょう。このテーマはこれからますます重要な意味をもつことになると思いますので,これからも追ってみたいと思っています。

 というところで,今日のところはここまで。

2013年6月17日月曜日

パワー・ポイントによるプレゼンテーションについて,ひとこと。

 まだ,大学に勤務していたときから,折にふれ異議申し立てをしていたのですが,一向に相手にもされず一笑に付されたまま,納得できないでいたことのひとつにパワー・ポイントによるプレゼンテーションがありました。たとえば,大学院の修士論文や博士論文の審査会などでパワー・ポイントによる発表がなされることが多くありました。これはこれでいいとおもっていました。この方がわかりやすいという点では文句はありません。しかし,発表が終って,質疑に入ったときに手元になにも資料がありません。すると,どういうことが起きるか。ちょっと記憶を確認しようとおもってもどうしようもありません。あとは,あいまいな記憶を頼りに質問をするしかありません。これではしっかりとした「審査」はできません。ですから,このパワー・ポイントによる発表形式は嫌いでした。終ったあとには,ほとんどなんの痕跡も残らないのです。すべてが忘却のかなたに消え去るのみです。せめて,審査会なのだから,ハードのペーパーを提出すべきではないか,と提案したことがあります。が,そのときの指導教員の応答を聞いて呆気にとられてしまいました。ペーパーを残すと盗用される恐れがあるので,あとに痕跡を残さないパワー・ポイントで発表させているのです,と。国際的な権威のある学会ならともかくも,大学院の修士論文レベルの研究発表です。しかも,その場の多数の意見だったことに,またまた驚きでした。

 同じようなことが,その後,たとえば,わたしの所属しているスポーツ史学会大会でも多くなってきました。パワー・ポイントで発表しつつ,ペーパーも配布する発表者がほとんどですが,時折,パワー・ポイントで発表するだけで,なんの痕跡も残さない発表者がいます。しかも,その傾向が徐々に増えつつあります。これは困った問題だとおもっています。やはり,学会からもどって,あの発表が面白かったなぁと振り返り,そのときの資料を頼りにもう一度,記憶をたどり直すことが,わたしの場合にはよくあります。そのときに資料がなにもないのは困ってしまいます。

 企業などでなされる極秘の戦略会議などでパワー・ポイントを用いて,出席者の合意をえるためだけの目的ならば,それでいいでしょう。間違ってもペーパーの資料は残さない方がいい,という特別の場合もあります。それはそれでいいとおもいます。しかし,極秘にする必要もない,むしろ,みんなに広く周知させたい情報をパワー・ポイントで説明して,あとに手元になにも残らないやり方というのはいかがなものか,と考えてしまいす。しかも,そこでの決定に責任をもたされるということになると,話は別です。

 そういうことが,今日,起こりました。わたしの住んでいるマンションの管理組合のある部会の引き継ぎ会議でのことでした。以前にもこのブログで書きましたように,ことし抽選でみごとに理事に当選してしまいました。75歳以上は辞退することができるという規定がありますが,これまで,なにもしないでお世話になるだけでしたので,お邪魔にならない程度にできることをやってこれまでの恩義を果たすべきだとおもって引き受けました。その結果,管理組合理事会のある部会にわたしも所属して,それなりの役割を分担することになり,その引き継ぎのための会議が今日ありました。そのときの会議が,なんとわたしの嫌いなパワー・ポイントによる説明でした。手元にはなんの資料もありません。それはそれは立派な,要領を得た,とてもわかりやすい手慣れたプレゼンテーションが展開されました。

 途中で,あれっ?と思うことも何回もありました。が,そのすべてをメモすることもできないまま,終って「なにか質問はありませんか」と仰る。なんとなくわかったような気にはなるのですが,もう一度,確認しようと思ったときには手元になにもありません。ですから,及び腰のまま,どうしても気がかりだったふたつの点について,教えてください,とお願いをしました。ほんとうは,もっともっと細部にわたって教えてほしいことがたくさんありました。だって,これからたった4人のまったく経験のない新しい理事で,この部会を支えていかなくてはなりません。その上で,リーダーと書記を決めなさい,ときた。初めて顔合わせをしたばかりのどこのどなたかもよくはわからない人同士で,リーダーと書記を決めることのあまりの不自然さに愕然としてしまいました。そうか,管理組合というのはこんな風にして維持されてきたのか,と。

 で,引き継ぎ事項については,あとでメールで送信します,ということで会議を解散。しかし,いまだにそのメールは届いていません。

 で,どうやら理事会の全体会議のことを合同会議と呼び,そこが理事会の最高の意思決定機関となっているのですが,そこでの会議も,今日,確認したかぎりでは,パワー・ポイントを使って説明をし,採決をするという手続を踏むとのこと。だとしたら,リーダーはパワー・ポイントを駆使してプレゼンテーションができる人しか不適切だ,ということになってしまいます。いろいろ聞いてみますと,必ずしもその必要はないとの説明もありました。

 しかし,主流はすでにパワー・ポイントを用いてすべて処理をし,ペーパー資料のような痕跡を残さない方向に向かっているようです。でも,それは違うのではないか。パワー・ポイントを用いて説明してもいい,同時に,手元に残るペーパーの資料(パワー・ポイントの画面をプリント・アウトしたもの)も配布すべきではないか。そうしないと,あとで,確認する方法がなくなってしまう。情報が上滑りをしていく可能性が大である。

 とまあ,管理組合の理事初体験の,引き継ぎ会議で出会ったパワー・ポイントだけによる説明に,以前から感じていた不安,それも,もっともっと進化したかたちでの,そこはかとない不安を感じた次第です。まあ,どうでもいいや,と思えばこれでいいのです。しかし,いま,すでに,あの話はどうだったのかなぁ,とおもっても確認する方法がありません。この疑問をいだいたときに,すぐに確認できることが重要なのだとわたしは考えています。それがなくなってしまうと,「考える」ということができなくなってしまう,のみならず,考えるということをしなくなってしまいます。そここそが大問題だとわたしは考えています。要するに「思考停止」の始原。

 さあ,これから管理組合にどのようにコミットしていくのか,考えなくてはならない正念場に立たされることになりました。まともなことを言えば言うほど嫌われるだろうし,かといっていい加減にしておくわけにもいかないし・・・・,さて,久し振りの思案のしどころ。

 パワー・ポイント使い方の功罪については,これからも慎重に考えていく必要があることは間違いありません。わたしはそう固く信じています。まずは,隗より始めよ。そのことわざどおりに,これからも慎重に対処していくことにしたいとおもっています。

 パワー・ポイント,とんだ騒動のお粗末。今日はここまで。

2013年5月4日土曜日

東京オリンピック招致の夢は消えた。猪瀬知事は責任をとって,さっさと辞退すべし。あるいは辞任すべし。

 口をへの字に曲げて,いつでも喧嘩を売ってやるといわんばかりの,どこぞのへぼやくざの親分みたいな顔で「謝罪」の記者会見。みっともないことこの上なし。「謝罪」の仕方がわかっていない。あれはどうみても失言取消の「謝罪」ではない。おれは「ほんとうのこと」を言っただけだ,という下心がみえみえ。そう,そのとおり。あなたの言っていることは正しい。

 ただし,条件がある。アメリカのいう意味での正義に則れば・・・と。そして,それが議会での政治的な議論であれば,それなりの説得力をもつことになるのであろうし,それ自体はなんの問題もない。たんなるアメリカの手先だと思われるだけのはなし。その頼りとすべきアメリカの『ニューヨーク・タイムス』紙に噛みつかれたのだから,もはや,万事休す。このことの重大さをわかっているのかね,猪瀬君。

 IOCが,猪瀬知事の発言について処分しない方針を決めたからといって,これで無事に解決したと思ったら大間違い。処分しなかったということの裏にある含みを重く受け止めなくてはなるまい。
それは,処分するまでもない,という結論を含んでいるということだ。もはや,東京は論外,とIOCが判断したということ。だから,処分なし。

 どういうことなのか。こともあろうに,オリンピック招致がらみの取材に応じて,ライバル都市のイスタンブール(トルコ)を偏見にみちた言説で批判したとなれば,その時点でルール違反。スポーツの競技の世界では,即,失格。つまり,エントリーから外される。もはや,オリンピック招致運動とはなんの関係もない都市として扱われるだけのはなし。

 こんなこともわかっていない都知事の,あまりの常識のなさにあきれはててしまう。それがオリンピック招致の頂点に立つ東京都知事の言うことか,と。この時点で,東京都のオリンピック招致は完全に資格なしとして,その候補都市からは消え去った。そのことすら,認識できていない東京都の招致委員会の認識の甘さ。

 のみならず,「謝罪」のあとで,またまたツィッターで余分なことをつぶやいた,という。「だれが敵か,味方か,よくわかった」と。いったいこの人はなにを考えているのだろうか。ノン・フィクション・ライターとしての立場と,政治家としての立場と,オリンピック招致のリーダーとしての立場とは,それぞれ次元が異なるということをこの人は理解できていないのではないか。

 スポーツの祭典を開催するのに,敵も味方もない,そんなこともわかっていない。オリンピック・ムーブメントの精神のひとかけらもわかっていない。もっと正々堂々と,東京都の「よさ」をアピールすることだけに専念すればいいのに。試合の前に相手選手の悪口を言っても興行として許されるのはプロ・ボクシングやプロ・レスだけだ。オリンピック選手にあってはまったくのご法度だ。ましてや,招致都市の代表者がライバル都市の足を引っ張るような発言をするとは・・・・。まさに,言語道断というほかない。

 オリンピックの開催都市を決める選挙権をもつ委員は100余名という。そのなかには「イスラム」を批判されてこころよく思わない委員も相当数いるだろう。まずは,その人たちの票数はゼロになる。そして,そのような発言をする都知事に失望して,急遽,ほかの都市に票を投ずる人も少なくないだろう。こうして引き算をしていくと,あっという間に三分の一の票数が消えていく。

 今回のオリンピック開催都市決定の最大のポイントは,ほかでもない。初めての「イスラム文化圏」でのオリンピック開催を認めるかどうか,この一点にかかっている,とわたしは最初から考えている。まだ,イスラム教文化圏でのオリンピック開催が時期尚早という判断があるとすれば,マドリッド(スペイン)と東京(日本)の一騎討ちになる,と。

 しかし,今回の猪瀬知事の失言により,まっさきに東京は消えた。あとは,キリスト教文化圏とイスラム教文化圏との一騎討ち。そして,五輪の輪の精神からすれば,すなわち,五体陸のすべての人間がお互いに手をとりあってスポーツによる平和運動を展開するという精神からすれば,今回はイスラム教文化圏であるイスタンプール(トルコ)に決定するのが順当なところではないか,とわたしは考えている。

 その意味では,猪瀬知事の失言が,イスタンプール決定に大きな貢献をすることになる,とわたしは考えている。マドリッドも2回目,東京も2回目。イスタンブールは初めて。しかも,イスラム教文化圏での初のオリンピック開催。世界でもっとも多いイスラム教信者の数。アメリカをはじめ,じつに多くの国民の間にイスラム教が浸透していることも周知のとおりである。なのに,これまで一度もイスラム教文化圏でのオリンピックは開催されたことがない。そろそろ順番としては,イスタンブール。こんなにわかりやすい図式はない。

 キリスト教文化圏による「イスラム」に対する偏見を超えて,イスラム教文化圏であるイスタンブールでの,初めてのオリンピック開催が決まるかどうか,これはきわめて重大なできごとである,とわたしは考えている。イスタンプールを選択する良識が100名余といわれる委員にあるかどうか,ひとつの大きな「踏み絵」が待っている。

 東京はこの時点で,オリンピック招致を辞退すべきであろう。でなければ,税金の無駄遣いになるだけだ。さもなくば,猪瀬知事は辞任すべきであろう。そうして,東京都はなにからなにまでかなぐり捨てて,ゼロから「出直す」べきだ。それだけの決断をする勇気がいま必要なのではないか。東京都民もまた,それを要求すべきではないか。

 とりあえず,これだけのことは,現時点で言っておきたい。

2012年9月2日日曜日

パラリンピックの「柔道」がおもしろい。これぞ「柔道」。

 ちらりとニュースで眼にしただけなので,詳しいことはわからない。しかし,これぞ「柔道」,と瞬間的に思った。なんだ,やればできるではないか,と。

 すでにご存知の方にはたいへん失礼だが,恥ずかしながら,わたしは障害者のスポーツを観戦する機会がほとんどなかった。だから,ルールなどもほとんど知らないままだ。しかし,少し注意を向けてアンテナを張ってみると,じつにきめこまかな配慮がなされていて,ゆきとどいたルールが考えられていることがわかる。

 パラリンピックの「柔道」のニュースがテレビ画面に流れた瞬間,思わず眼を瞠ってしまった。とりわけ,試合開始の瞬間である。主審が対戦する選手を中央に呼び出し,両選手はお互いに襟と袖をしっかりとつかみ,それを確認した主審が試合開始を宣言する。だから,その瞬間から,つぎつぎに技が繰り出される。試合開始と同時に,おどろくべき速さで攻防がはじまる。みていて迫力満点である。

 たまたま,わたしがみたテレビ画面では,右自然体で組み合って試合開始となったが,左自然体の組み方もあるのだろうか。あるいは,時間を定めて,交互に組み手を変えているのだろうか。もし,そうだとしたら,まことに合理的でいい。利き手の左右は,どちらも譲れない最大のポイントでもあるから,ここのハードルをうまく乗り越えるルールがあれば,「柔道」の試合は面白くなる。この点は,あとでルールを確認しておきたい,と思う。

 それよりなにより,つぎつぎに繰り出される技の応酬がおもしろい。じつに,スピーディで,しかも,技が決まる確率も高い。支えつり込み足,などという技が決まったりする。見ていてとてもきれいな技だ。だから,見ていて,思わず吸い込まれるようにして身を乗り出してしまう。

 ついこの間まで行われていたロンドン・オリンピックの「JUDO」の試合──組み手争いだけで試合のほとんどの時間が消化される──のあのバカバカしさに腹が立っていたので,パラリンピックの「柔道」はまことに新鮮だった。やればできるではないか,と。

 もちろん,格闘技の本質からすれば,お互いに十分に組み合ってからの試合は,ことばの正しい意味での邪道である。組み手争いからはじまるのが格闘の本来の姿ではある。しかし,あれほどまでに組み手争いに時間がとられてしまい,技を仕掛けるタイミングがほとんど見られなくなってしまった,オリンピックの「JUDO」は,「見せ物」としては失格である。もっと面白くする必要がある。だれもがそう思ったはずである。

 そのヒントが,いま,パラリンピックの「柔道」で繰り広げられているではないか。これを学ばない手はない。いいものはいいのだから。

 世界中の「JUDO」関係者に呼びかけておこう。パラリンピックの「柔道」をヒントにした,ルールの大幅な改正を。

2012年6月26日火曜日

カトノリこと加藤範子のダンス公演をみる。新しい境地を開いたか。

 昨夜(25日),カトノリこと加藤範子のダンス公演をみてきました。
カトノリとは,不思議なご縁というか,因縁のようなものがつきまとっていて,いささか説明に困るほどです。簡単にいえば,日体大大学院のときのゼミ生として修士論文を指導した教え子。なかなか一筋縄では納まらない独特の個性の持ち主。言ってしまえば,行動先行型で,イメージがそのあとを追い,そして,その裏付けのために思想・哲学の本に手をのばし,みずからの思考を練り上げてようやくわがものとする,というのが学生時代からカトノリを観察してきたわたしの印象。それはいまも少しも変わってはいない。そこがカトノリの魅力であり,短所でもある。だから,かなりの回り道をしないと,自分で納得できるところには到達しない。理想が高いのである。とにかく時間がかかる。意欲満々なのだが,それらが稔るまでにはたいへんな労力と時間がかかる。したがって,忍耐力と持続力が必要だ。が,そういう能力にはめぐまれている。我慢強く,高い志を大切に,未来を見据えている。いわば,大器晩成型か。

 その大器晩成型が,ようやく,ここにきてなにか化けはじめたように思う。が,カトノリのこころの奥底に秘めた野心からすれば,まだまだ序の口。でも,その序の口がみえてきたのだとしたら,これはこれで大変なことだ。その予感を誘うような要素が,今回のステージにはあちこちに広がっていた。

 その契機のひとつとなったのは,大きなお腹をつきだして(妊婦さん)踊るという,カトノリの直面している避けがたい現実かもしれない。言ってみれば,妊婦ダンス。カトノリにとっても初めての経験。わたしは生まれてはじめて妊婦ダンスなるものを拝見した。女は強し。妊娠したんだという現実にしっかりと向き合い,その事実を包み隠すことなく,いま・ここの思いをそのままステージに曝け出す。男にはどう逆立ちしたところで真似のできない芸当だ。やがては,母親になる。その母親になる過渡期。重大にして,しかも,大きな過渡期。娘のダンスから妊婦のダンスへ,やがて,母親のダンスになる。そして,その母親になったときが,カトノリの大化けのチャンス。その序曲に立ち合ったということのようだ。

場所は「座・高円寺2」。
配布されたリーフレットによれば,詳細は以下のようだ。
◎企画・構成◇加藤範子
◎出演◇クラウディオ・マランゴン,長内真理,木村玲奈,宮原万智,仲間若菜,加藤範子
◎照明◇福田玲子
点在する感触の行方
イタリア・日本共同制作 加藤範子+Dance-tect ダンス公演
the future for concealed sensation
対話Ⅱ
SALERNO-ITALIA,AOMORI-JAPAN

 イタリアからやってきたクラウディオ・マランゴンは〔振付師/ダンサー/ボーダーラインダンス・カンパニー主宰/Ra.I.D芸術監督/精神科医〕という多くの顔をもっている。今回は,ダンサーとして来日。カトノリとマランゴンの出会いは数年前のことで,二人のなにかが「パチン」とはじけるようにして意気投合したらしい。以後,マラゴンが企画するステージに国際的なダンサーのひとりとしてカトノリが加わるようになる。今回の企画も,カトノリがマラゴンにイタリアに招かれたお返しのような企画だ,と会場で耳にした。

プログラムは
第一部:ワタシとアナタをつなぎとめるもの
振付:加藤範子
音楽:片山泰輝
第二部:ブレインストーミング:身体と都市
振付:クラウディオ・マランゴン
映像:ウーゴ
第三部:
 1.紅の幻影(創作琉球舞踊:仲間若菜)
 2.存在の感触
   ダンス:クラウディオ・マランゴン,加藤範子
   三線:仲間若菜

 これらのダンスの細部について,わたしは語る資格はない。
 したがって,大づかみな印象だけを記しておこう。

 第一部の「ワタシとアナタをつなぎとめるもの」のソロ・バージョンをわたしは弘前のステージで拝見している。そのときには音楽の片山泰輝君とも一緒だった。ダンサー・カトノリは客席から現れ,例によってカードに単語(日本語)を書き込んだもの(手書き)を,前列に坐っているお客さんに一枚ずつ,ゆっくりとくばりはじめる。くばり終わると黙ってステージに上り,ゆるゆると踊りはじめる。いくつかのモチーフがあって,それらが順に踊られていく。

 今回は,最初にカトノリが,原発作業員が身につける真っ白い防護服を着て,大きなゴーグルをかけ,大きな画用紙をもって舞台に現れる。客席から二人の女性が,やはり,カードをくばりはじめる。わたしのところには「血?」と書かれたカードが最初にとどけられ,しばらくして,別の女性からは「沖縄?」と書かれたカードがとどく。これで,まずは,分節化された原発事故に関するイメージや沖縄を忘れてはいないよ,というメッセージがとどく。しかし,そのメッセージがとどいたのは,前の方の座席にいた人たちだけだ。そのカードを配った女性二人が,ステージに上り踊りはじめる。カトノリは突っ立ったまま,画用紙をめくる。そこには,二項対立的なキー・ワードが大きく書かれている。カトノリは画用紙をめくる。二人の女性がそのキー・ワードに合わせて踊る。ひととおり,二人の女性のダンスが終わり,画用紙をめくる作業も終わると,やおら,カトノリが防護服を脱ぎはじめ,大きなお腹を丸出しにしたまま,普段着の妊婦さんが踊りはじめる。やがて,3人の踊りになる。ここからは,どうやらコンタクト・インプロヴィゼーション。うまく成功しているところと,ときどきとまどいを見せる若い二人の女性たち。カトノリはお構いなしにわが道を行くとでもいうような風で踊りつづける。それでいて,相手のいかなる踊りにも即座に対応しているようにもみえる。カトノリの新しい境地のようなものが透けて見えてくる。

 第二部の「ブレイストーミング:身体と都市」はクラウディオ・マランゴンを中心にして,4人の女性が踊る。よくみると,一人ずつ,まったく質の違うダンスを繰り広げている。これがとても面白かった。都市を行き交う人びとの風景がとてもよく現れていたから。この群舞も基本はインプロヴィゼーション。はっきりコンタクトする場面もあったし,コンタクトなしで反応する場面もあって,ときおり起こる思い違いがまるで演出されたもののように見えてきて,これも面白かった。プログラムには「ダンス,空間と主観性」とあるが,わたしの眼には「主体性」が現れては消えていく,あるいは,消されていく,都市で生きるための「主体性」が,あわぶくのように現れては消えていく,まことにはかないものでしかない,そんな都市という「空間」のなかで「生」を営むことのあやうさが,とても印象的に映った。

 第三部,1.紅の幻影(創作琉球舞踊・仲間若菜)が,わたしにはとても新鮮だった。琉球舞踊はいくらか眼に親しんでいるが,創作琉球舞踊をみるのは初めてだったからだろう。しかし,動きの少ない,静かな所作のなかに,まるで,地唄舞のような激しい情念のようなものが感じられ,この人の踊りの確かさが伝わってきた。もっともっと創作琉球舞踊を披露してほしいと思う。
 2.存在の感触は,これまたとても面白い企画だった。クラウディオ・マランゴンとカトノリがコンタクト・インプロヴィゼーションをふんだんに用いて自由自在に踊りまわる。その踊りに,これまた即興で,仲間若菜さんが三線を合わせるもの。仲間さんの緊張感がもろに伝わってきて,効果抜群。ダンサーふたりは手慣れたもので,相手の動きに合わせていかようにも動きつつ,変幻自在に動きを変化させていく。まさに,「存在の感触」。触れることによってはじまる「分割/分有」(ジャン=リュック・ナンシー)。存在のはじまり。仲間さんの三線も,なにかに「触れた」瞬間に「ペン」と鳴る。そうでないときには「沈黙」である。三線が鳴るときと鳴らないときの,この「間」が緊張感を生み出していた。三線が「不在」になったり,突如として「存在」を主張したり,仲間さん自身の存在までもが,みごとにコラボレーションしていて,楽しかった。

 全体の印象としては,カトノリがマランゴンという希有なるダンサーと出会ったことによって開かれつつある世界が,懐妊を契機にして,さらに大きく開かれていく,そんな予感がいっぱいだった。最後に,もうひとりの主役=母親のお腹のなかでステージ・デビューを経験した胎児(君/さん)に大きな拍手を送りたい。どんな子どもが生まれてくるのだろうか。いまから楽しみである。

 以上がカトノリへのレポートです。
 そして,公演の成功,おめでとう!

 会場が満席になっていたのが嬉しかった。

2011年12月29日木曜日

カズオ・イシグロが『わたしを離さないで』に仕掛けた2重3重の罠を読み解く。

少し前に,映画『わたしを離さないで』のDVD版についての短い評を書いてくれ,という依頼があった。その評の冒頭に「出自の明らかでない子どもたち」と書いたところ,この映画に登場する子どもたちはみんなクローンなので,この書き出しは誤解を招きやすいから一考を要す,という編集者からのコメントが入った。

わたしの記憶では,カズオ・イシグロは原作の小説でも,そして,この映画でも,この子どもたちがクローンであるとは断言してはいない,そう思わせる描写はあるが・・・・,というものであった。だから,驚いて,もう一度,急いでDVDを見なおしてみた。映画の方は,小説よりもはるかにメッセージ性を鮮明にさせ,このストーリーのふところの深さをわかりやすく前面に押し出す手法をとっている(優れたシナリオになっていると思う)。

しかし,再度,確認した結果でも,わたしの記憶どおり,この子どもたちがクローンであるとは断定していない。この子どもたちが成長していく途上で,自分たちの「オリジナル」探しをする話が,映画の中盤のひとつの山場をなしている。その場面では,彼ら自身がみんなクローンではないかという「噂」を信じている様子が描かれている。しかし,その一方では,その「噂」を信じたくないという葛藤も描かれている。けれども,彼らがクローンであるという断定は,どこにもない。

カズオ・イシグロが,この映画のなかに仕掛けた重要な罠のひとつは,この「噂」をめぐる問題系にある,とわたしは受け止めている。それが太い柱となってこの映画を構成するテーマとなっている,と。そして,「噂」というものが,いかに,根拠のない,あいまいなものであるか,いかに,人間はこの「噂」を信じやすいか,騙されやすいか,ということをカズオ・イシグロはこの映画のなかで,きわめて念入りに2重3重に仕掛けている,とわたしは読み解く。ここを見落としたら,この映画の大半は意味を失ってしまう,とすら考えている。

人間は幻想なしには生きてはいけない。いい悪いは別にして,人間は,自分にとって都合のいい,あるいは,納得しやすい幻想は,いとも簡単に信じてしまう。そして,その幻想を大事に温めながら,それに依拠して生きていく。人間にとって,ある種の幻想はきわめて大事なのである。と同時にきわめて危険でもあるのだ。だから,この幻想を,権力者たちは巧みに操る。「噂」はその最たるものだ。

この幻想が,厳しい現実の前でもろくも崩れ落ちていく,それがこの映画のラスト・シーンのクライマックスになっていることは,だれの眼にも明らかだろう。真実の愛が証明されれば恋人同士の延命が,ほんの2~3年とはいえ認められるらしいという「噂」を信じて,トミーとキャシー・Hはその嘆願にでかける。が,そんなものはない,単なる「噂」に過ぎなかったということを知って,その帰途,原野の闇夜に向かって「絶叫」するトミー,その絶望を共有しようとするキャシー・Hとがひしと抱き合いながらも,膝から崩れ落ちていくトミー,それを支えきれないキャシー・H。じつに象徴的なシーンである。

じつは,ここに到達するまでには,いくつもの伏線がこの映画のなかには埋め込まれている。冒頭にでてくる「噂」は,子どもたちの生活の場であり,学びの場である「囲い込まれた」敷地の<外>にでると,生きては戻れない,という「噂」をすべての子どもたちが信じて疑わない,という場面だ。ボール遊びをしていて,敷地の囲いの近くまで転がっていったボールを,だれひとりとして拾いには行こうとはしない。それをみていた新任の先生(女性)が,こどもたちに,なぜ,ボールを拾いに行かないのか,と問い詰めたときのこどもたちの応答がこれだった。「生きては帰れなくなる」という「噂」を信じて疑おうとはしない。

これは,彼らがものごころついたときからの「刷り込み」でもある。その「刷り込み」の最たるものが,将来は「臓器提供者」となるべき使命(ミッション)を,あなた方は背負っているのだ,というものだ。そして,この使命を疑おうともしない。教育というものの恐ろしさを思い知らされる場面だ。戦前の国民学校に入学したわたしは,将来は,「立派な兵隊さんになって,お国のために役立つこと=死ぬ」ことを信じて疑おうとはしなかった。その記憶がまざまざと蘇ってきた場面である。映画のなかの校長先生(女性)のみごとな説話(毎朝,行われている)の語り口。凛とした,あの威厳に満ちた姿勢は,こどもたちをその気にさせる恐るべき力をもっている。

言ってしまえば,意図的・計画的な「洗脳」教育がここではみごとに実践されているのである。このことの恐ろしさは,わたしたち大人でさえ「原発安全神話」を信じ込まされてきた経緯をとおして実証済みだ。こういう「噂」をテコにした「刷り込み」や「洗脳」は,あの手この手で,現実の世界のいたるところで行われている。それらの「怪情報」をいかにかいくぐって間違いのない人生を生きていくべきか,そのリテラシー教育さえ,まじめに議論されている時代だ。この情報化社会の空恐ろしい落とし穴だ。このことは,ここではひとまず,措くとしよう。

この映画は,わたしたち観客をも巻き込んで,この「噂」「刷り込み」「洗脳」を展開している。まずは,映画の冒頭の「DNA」という文字が全面に羅列された映像がつよくわたしたちの脳裏に刷り込まれていく。わたしたちの無意識のなかに「DNA」がスルリと入り込んでくる。しかも,科学の驚異的な発達の結果・・・・,という字幕も入る。これも,みごとなカズオ・イシグロの仕掛けた罠だ,とわたしは受け止めている。だから,映画の主人公たちがオリジナル探しをはじめると,もう,無意識のうちに「ああ,クローンなのだ」と観客のほとんどは,なんの疑いもなくそう思い込んでしまう。しかし,そう断定できる場面はどこにもない。

こうした,カズオ・イシグロの仕掛けた罠は,あちこちに仕掛けてあって,じつはきわめて複雑な構造をなしている。その一つひとつは,映画をみながら確認してみていただきたい。じつに手の込んだ,綿密な計算の上に成り立っていることがわかる。原作の小説はもっともっと精密に,しかも読者の想像力を無限にかき立てる力をもって,描写されている。

映画の方は,すでに,クローンを取り扱った映画だという「噂」は定着しつつある。しかも,完全なるフィクションであるにもかかわらず,さも,現実にありうる話であるかのようなリアリティをもってわたしたちに迫ってくる。しかも,過去の話としてクローンの問題を取り扱っている。しかし,それでもなお,クローンではない可能性をも想像させる仕掛けをカズオ・イシグロは,この映画のなかに埋め込んでいる。それがわたしの理解であり,感動なのだ。

クローン以外の,堕胎児や,捨て子や,場合によっては誘拐されたり,売買されたり,といった具合にして「出自が明らかでない子どもたち」である可能性も,十分に残されている。ヤン・ソギルの小説には,東南アジアのどこかを舞台にした少女たちの人身売買と臓器提供の裏社会を描いた作品がある。これもまた衝撃的な作品になっている。他方,イギリスとはいえ,「過去」の国策として「臓器提供者」を確保するという前提に立てば(つまり,フィクションとして),なにもクローンに限定しなくても(あるいは,クローンと見せかけることによって),「出自の明らかでない子どもたち」を掻き集めてきて「洗脳」することは,十分にリアリティを持ちうることになる。

ここまで想像力を働かせることを,カズオ・イシグロはこの映画のなかで仕掛けている,とわたしは読み解く。つまり,あらゆる想像力をかき立てるべく,さまざまな罠が仕掛けられている,と。また,その方がはるかに映画としてのふところの深さ,奥の深さが増してくる。あまりに,単純に,クローンだと決めつけることを,たくみにカズオ・イシグロは忌避している,とさえわたしは考えている。こうして,この映画の含みもつ空恐ろしさにわたしは襲われる。

だから,仮に,この子どもたちがクローンであったとしても,その「出自」(=オリジナル)が明らかでないことに変わりはない。ここまで,わたしは解釈した上で,「出自の明らかでない子どもたち」という文言を修正する必要はない,と結論を出した。そして,その結論だけをメールで,くだんの編集者に伝えた。編集者からは,わたしの評を読んだ某女流作家から「誤解を招く恐れあり」という指摘があったので,そのまま鵜呑みにして返してしまった,申し訳ない,わたしが確認をすべきことがらでした,という詫びのメールが返ってきた。

この問題については,わたしの敬愛してやまない,この編集者と膝を交えて,とことん議論をしてみたいと思っている。彼がどのようにこの映画を読み解いているのか,を。とりわけ,この映画を「究極のラブ・ロマンス」と見出しを付して評した,プロの映画評論家(新聞に書いてあった)のあまりのお粗末さを,酒のつまみにして。できることなら,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』の仮説にもとづいてこの映画を読み解くと,なにが,新たな「知」の地平として浮かび上がってくるのかを。さらには,西谷修の『理性の探求』で提示された「狂気と化した理性」の視点から,この映画を読み解くと・・・・ということも。

「人間の生を理解することもなく,みんな終ってしまう」というキャシー・Hのひとりごともまた,単に,この映画の登場人物たちに限られることではなく,現代社会を生きるわたしたちのすべてが考えなくてはならない普遍のテーマなのだ。「人間の生」とはなにか。「3・11」以後を生きるわたしたちにとっては,もはや避けてとおることのできない,もっとも切実なテーマなのだ。

この議論の場に参加ご希望の方は,お知らせください。定員2名まで。ただし,バタイユと西谷修の本を相当に深く読み込んでいる,というのが前提条件。居酒屋『延命庵』の催しものとして。無料。飲食物持ち込み自由。

2011年12月6日火曜日

岡本太郎の父親はだれ?瀬戸内寂聴が推理。

『かの子繚乱』で作家としての地位を築いた瀬戸内寂聴さんが,いま,『東京新聞』で「この道」という自伝風の連載を書いている。「青踏社」の話からはじまって,なかなかスリル満点の秘話がつぎつぎに登場する。もはや,怖いもの無しの境地にある寂聴さんは,自由闊達に過去の記憶を書き記す。こんなことまで書いてしまっていいのだろうか,と思われるものまで・・・。

昨日の夕刊(12月5日)では,「太郎さん2」で,岡本太郎の出生にかかわる秘話を披瀝している。ほんまかいな,と訝りながらも,でも,ひょっとしたら,と想像したりしている。

岡本太郎の両親は,よく知られているように父は岡本一平,母は岡本かの子。二人とも,当時にあっては超売れっ子の漫画家と作家である。岡本太郎はこのお二人の間に生まれた一人っ子。子どものころからあふれんばかりの才能に恵まれ,その情熱の捌け口がときにはとんでもない方向に向かうことも多々あったようである。そのため,小学校だけでも,何回も転校している。

その岡本太郎の父親は,岡本一平ではなくて,伏屋某という男だったかもしれない,という話を寂聴さんは書いている。その話がまたまた凄まじい。ある日,突然,岡本太郎から直接,寂聴さんのところに電話が入ってきて,すぐに来い,という。寂聴さんが大急ぎででかけてみたら,どこかの週刊誌の記者が3人,太郎さんの前にすわっていた。聞くところによると,この週刊誌の記者たちは,伏屋某という人に頼まれてここにきたという。その伏屋某の依頼は「太郎はわたしとかの子の間にできた子だ。わたしは余命いくばくもない。生きている間に一度,会わせてほしい」というものだった。それを聞いた太郎さんは,ちょうどそのとき『かの子繚乱』を書いている最中の寂聴さんを呼びつけて,ことの次第の立会人になってもらおうとした,というのである。そして,太郎さんが,いまから言うことをよく聞いておいてくれ,と寂聴さんに念を押した上で,つぎのように啖呵を切った。

「伏屋何とかいう死にぞこないが,何を言っても自分とは関係ない。二子の大貫家で,かの子の腹から生まれるところは,何人も見た者が証明するから間違いない。母はかの子だ。物心ついた時から一平が父として二階に暮らしていた。育ててくれたのは一平だ。尊敬できる芸術家で,一平を父として今も誇りに思っている。伏屋に言ってくれ。逢う必要はないと」

こういう修羅場に寂聴さんを呼びつける太郎さんも太郎さんだが,それをまた,この自伝的連載に書きつける寂聴さんも寂聴さんである。まあ,二人の傑出したとてつもない感性ならではのこととはいえ,空恐ろしいような話である。

しかも,寂聴さんは,その後,伏屋某という人の写真を手に入れて,その顔が太郎さんにそっくりだった,とまで書いている。これまた,なんと大胆な,思い切った書きっぷりではないか。どう読んでみても,寂聴さんは,太郎さんの父親は伏屋某だろう,と推理していることが丸見えである。

しかし,寂聴さんは,かの子の実家である大貫家の人たち,つまり,かの子の兄弟たちの写真は確認しなかったのだろうか。大貫家は,二子新地の旧家で,代々,医者の家系だった。わたしがいま住んでいる溝の口から歩いても10分ほどのところに大貫家がある。わたしが溝の口に住みはじめたころには,まだ「大貫医院」は開業していた。つまり,かの子の甥(兄の息子)が医業を継いでいたが,高齢になって廃業し,いまは,その跡地に大きなマンションが建っている。田園都市線のすぐ近くなので,いつも,電車から眺めている。

この医業を廃業にして,マンションを建てるというときに,いろいろと近隣の住民との間に意見の違いがあって,新聞記事になったことがある。そのときに,かの子の甥である大貫某という人の顔写真が新聞に掲載された。わたしは,その写真をみた瞬間に,あっ「岡本太郎だ」と思った。瓜ふたつということばがそのまま当てはまるほどに,いやいや,同一人物そのものの顔なのだ。だから,わたしは岡本太郎の顔は大貫家の血筋を引き継いだものなのだ,と納得していた。

だから,寂聴さんのこの連載を読んで,えっ,ほんまかいな,と思った次第である。

しかし,それにしても,岡本太郎の啖呵はみごとなものである。いかにも太郎さんらしいというか,なにをたわけたことを言っているのか,と大向こうに向かっての大口上である。ひょっとしたら,自分自身に向けての大口上であったのかもしれない。しかも,この事実を『かの子繚乱』の作家に知らしめておこう,と。そして,それは,作家がこの事実をいかように創作の中に取り入れようと自由だよ,というアーティストとしてのサーヴィス精神の表出であったのかも・・・。

ちなみに,岡本太郎には子どもはいなかった。ただひとり,養女にした敏子さんという女性と生涯をともに暮らした。太郎さんの書いたものによると,執筆中の母の背中には鬼気せまるものがあって,子どものころは恐かった,という。その代わりに,父一平は太郎さんをやさしくつつむようにして可愛がってくれた,という。

岡本太郎という人のもうひとつの深淵を覗き見るような思いがした。寂聴さんもまた凄まじい人生を歩んだ人だ。だから,平然と太郎さんの秘密を語ることもできるのだろう。いやはや,驚くばかりである。

この連載,しばらくは楽しめそうだ。

2011年11月19日土曜日

『わたしを離さないで』のDVDをみる。

カズオ・イシグロの原作小説を映画化した,話題のDVDをみる。
映画化するにあたって,カズオ・イシグロが陣頭指揮をとったというだけあって,輪郭のはっきりした,そして,メッセージ性に富んだ,みごとな作品に仕上がっていて驚いた。そして,この映画は,原作の小説とは一線を画す,もうひとつの作品としてカズオ・イシグロが取り組んだことも伝わってきて,わたしとしては,大いに納得が行った。

なぜなら,映画が日本で封切られたころ,多くの映画評論家たちが「究極のラブ・ロマンス」という見方をしているのをみて,呆気にとられたからである。原作の小説を丹念に読みこんだつもりのわたしにとっては,まったく納得ができなかった。もし,ほんとうに「究極のラブ・ロマンス」だというのであれば,映画なと見る必要はない,と勝手に思い込み,映画館へは足が向かなかった。

つまり,小説を読んだときの衝撃はあまりにも大きく,いったい,この小説をどのように受け止めたらいいのだろうか,と不安にすらなった。これまで経験したことのないような,どこか異次元の世界に連れ出され,人間というものは環境と教育次第でいかようにもなるのだ,という恐ろしさに怯えた。

だから,不安になって,いつものように太極拳のあとの「ハヤシライス」の時間に,Nさんに意見を求めた。もちろん,Nさんもとっくのむかしにこの小説を読んでいて,「これは,ほぼ,完璧な小説」だ,という。小説として,文句のつけようのないほどの完成度の高い作品だ,と。そして,その根拠を一つひとつ取り上げて解説をしてくださった。Nさんの専門のひとつであるフランス文学を読み解くときと同じように,『わたしを離さないで』の文学としての位置づけをした上で,この作品が切り開いた,新たな文学としての可能性や貢献について,懇切丁寧に話してくださった。

これを聞いて,わたしの気持ちも落ち着き,もう一度,この作品を読み直してみた。なるほど,なるほど,と思いながらカズオ・イシグロの小説世界を満喫させてもらった。それは,やはり,どこまで行っても「人間の命」,あるいは「人間の生」とはなにか,という根源的な問いを,カズオ・イシグロはわたしたちに投げかけた問題作だ,という理解だった。

だから,この小説を映画化したとしても,それが「究極のラブ・ロマンス」になどなるわけがない,いったい,評論家の眼はどこについているのだろうか,と思ったのだ。その延長線上で,今回,DVDをじっくりと腰を据えて,ノートまでとりながら観た。なるほど,「究極のラブ・ロマンス」と言えば,そのように言えなくもない仕上がりになっている。しかし,「究極のラブ・ロマンス」を成立させる,その根拠には「人間の生」の極限に迫るカズオ・イシグロの鋭いメッセージ性を読み取ることが先決ではないのか。そこを見落としてしまったら,この映画は単なる「ラブ・ロマンス」で終ってしまう。もっとも,それはそれで構わない。映画とはそういうものなのだから。

しかし,わたしには,映画の最後のシーンでひとりごとのように主人公がつぶやく「人間の生を理解することなく,みんな終ってしまう」というセリフが,グサッと胸に突き刺さったままだ。なぜなら,73歳になってもなお,「人間の生を理解することなく」悶々と生きつづけている自分の姿が,写し鏡のようにみえてくるからだ。

しかも,映画の主人公のつぶやく「みんな終ってしまう」とは,臓器移植のためのドナーとして,20代の後半には「みんな」命を「終える」という意味だ。しかも,それを自分の至上の使命として受け止めることのできる「人間」を,「つくる」(人間の生産),そのプロセスを提示することがこの映画の最大のポイントだ。つまり,ものごころがつく以前から,出自の明らかでない「孤児」たちを集め,特別の施設で育て,教育をほどこし,成人させる,そして,立派なドナーとして,みずからの「命」を「終える」。

もちろん,現実にはありえない話である。しかし,臓器移植がごく当たり前のようにして普及しつつある現実と向き合うとき,なぜか,背筋が寒くなってくる。たとえば,梁石日の小説を引き合いに出すまでもなく,東南アジアのある地域では,子どもが誘拐され,育てられ,成人すると闇から闇へとドナーとして売られていく,という話もどこか現実味を帯びてくる。

また,いまのわたしたちの眼からみると,「原発安全神話」もまた,立派な「教育」の成果だったではないか。わたしも含めて,圧倒的多数の日本人は,みんな「原発」は安全だ,と信じていた。もちろん,ほんとうに大丈夫なのか,という一抹の不安を抱きながら。でも,国策として,国家がらみでなされた「教育」は立派に「効」を奏したのだ。わたしたちもまた,国家によって「つくられて」いたのだ。そして,いまも,その姿勢を変えようとはしない。どこまでつづく「ぬかるみ」ぞ。

がしかし,気がついたときには,もはや,手遅れである。
「人間の命」「人間の生」とはなにか。
これが,ガズオ・イシグロが,映画をとおして,鮮明なメッセージとして前面に押し出した問題提起ではないのか。しかも,「3・11」が起きる以前に。

日本で生まれ,イギリスで育ち,英語で小説を書くカズオ・イシグロのメッセージを,わたしはしっかりと受け止めていきたい。そして,このDVDだけでなく,原作の小説を併せて読まれることをお薦めしたい。また,カズオ・イシグロの小説のほとんどが翻訳されているので,こちらもお薦めしたい。わたしは,どの小説にも大きな感銘を受けた。

2011年10月17日月曜日

『週刊読書人』の三井悦子の書評が素晴らしい。

『週刊読書人』の最新号に三井悦子の書評が掲載されている。そして,ひときわ異彩を放っている。わたしには書けないレベルの書評である。取り上げた本は,笠井叡著『カラダという書物』(りぶるどるしおる,2011年6月刊)。わたしも,刊行直後に送られてきて読み(短い書評を頼まれていたので),このブログの8月29日にも,その感想を記した。だから,三井悦子の,この本を読解するまなざしの鋭さを,かなり深いところで受け止めることができた,と思っている。だから,できることなら,笠井叡(あきら)の本の読解をめぐって,とことん議論をしてみたいという衝動に駆られる。

三井悦子は,わたしの記憶では,藤原書店の『環』が企画した「竹内敏晴特集」(2010年秋号)に寄せた論考が,おそらく一般誌へのデビューだった。この論考がとても気配りのきいた読みごたえのある内容だったので,かなり多くの人びとの注目を集めたと思う。それもそのはずで,三井は竹内敏晴の世界に長い間,寄り添うようにして分け入り,その思考を深めていた。いわゆる「竹内レッスン」の本質はなにかを追求。そして,「じかに触れる」というレッスンの「じか」とはなにかにしつこくこだわった。そのエキスが,この特集号で披瀝された。

たぶん,この論考がきっかけとなり,その後,まもなく『週刊読書人』から竹内敏晴の『レッスンする人』(〇〇社,2010年)の書評を依頼された。これが『週刊読書人』への三井悦子のデビューである。竹内敏晴論は三井悦子にとっては自家薬籠中のテーマである。このときも,わたしは感動した。やはり,長い年月をかけて「竹内レッスン」を受け,しかも,ドイツ・レッスンにまで付き添い,熟成してきた思考は,みごとな味と香りを運んでくるものだ,と。

このときの『週刊読書人』でのみごとな書評の評価はかならずつぎに繋がる,とわたしは考えていた。それが,こんどの笠井叡の本の書評である。竹内敏晴の「身体論」がしっかりと咀嚼され,血となり,肉となっているので,笠井の本に挑んでもその軸はぶれない。しかも,緻密に,そして,繊細に笠井の意図するところを読みとり,みごとな「批評」を展開している。あの,わずかしかないスペースの中で。

一般に,ダンサーの書く文章には一種独特の境涯が盛り込まれている。大野一雄にしても,土方巽にしても,みずからのからだとこころで感じ取ったもの以外は信じようとはしない。そして,とことん,自分の世界に分け入っていく。その点でも,笠井叡はまったく同じである。それもそのはずで,笠井がまだ若い学生時代に,大野一雄に師事し,土方巽にも師事し,かれの生き方の基本が決まったとみずから語っているほどだから。この二人の師匠との出会いが「舞踏」ということばの誕生となった。

笠井はそれだけではない。二人の師匠の薫陶を受け,ダンサーとしても一人立ちして,一定の評価を受けてから,さらに,ドイツに留学し,ルドルフ・シュタイナーの「オイリュトミー」を学ぶ。この建築家にして神秘的な哲学をわがものとし,さらにその哲学を教育に応用したシュタイナーの思想のどこに感応したのか,笠井のアンテナは鋭く反応したのだ。しかし,笠井の本のなかに,意外にも「オイリュトミー」の話は多くない。なぜか,不思議ではある。しかし,それが姿・形を変えて,笠井独自の身体論を形成していることは間違いない。それが,個人身体,民族身体,地球身体,といった笠井独自の身体概念となって表出している。

こうした一種独特の世界を切り拓いた笠井の身体論を,三井はみごとに受け止め,その核心部分を劈開し,鋭く論評し,読者に向けて投げ返してきた。これは,もはや,三井の世界であり,独壇場だ。その感性の鋭さと思考の深さは他の追随を許さない。わたしは思わず唸ってしまった。

『週刊読書人』は,もう,ずいぶん昔から読みつづけているわたしの愛読紙の一つである。長い年月の間に,この『週刊読書人』も大きく様変わりをした。とくに,最近の変化は驚くべきものがある。それは,ある意味では仕方のないことでもある。メディアの情況がこれほどの激変をしているのだから。それに対応することは容易ではなかろう。しかし,その激変のなかにはよくない傾向も認められる。それも,最近,とみに多くなってきている。

それは「書評」の質の低下である。一番,読んでいて不快なのは,著者と評者が仲良しで,単なる「ベタ褒め」に終始しているものだ。とくに,若い人同士の間で多い。こんなものは書評でもなんでもない。そこには評論も,ましてや,批評も存在しない。単なる「よいしょごっこ」に過ぎない。しかも,本の内容は思想・哲学の新しい知の地平を探索しているような,重い内容のものでそれをやる評者がでてきた。困ったものである。

それでもまあ,こんなのはいい方かも知れない。なぜなら,評者が著者の意図を熟知していて,その上で「ベタ褒め」をしているのだから。最悪なのは,ほとんど読んでいない,と思われる書評だ。タイトルと帯のコピーに言及したあとは,本の内容とはまったく無縁の,個人的な思い出話に終始するタイプ。この無責任さ。それを承知で掲載する編集者の無責任さ。しかも,そういう書評をやる人には「著名人」が多い。名を挙げ,磐石の基盤を築き上げた人だ。明らかに手抜きであり,「堕落」である。読んでいて恥ずかしくなる。ああ,この人も「終った人」か,と。

一番多いのは,当たり障りのない「評論」(コメント)。いいところを持ち上げておいて,あとは,あまり感心しない部分とを取り上げ,簡単な注文をつけて終わり,というタイプ。まさに,高見の見物。上から目線で,ちょっとひとこと。つまり,まだまだだよ,と言っている。どこの,どなたさまですか,と問いたくなる。

今福さんが言うような「批評」精神のかけらもみられない評者が激増している。そして,それを野放しにしている編集者。質はどんどん低下していく。

そんな中での,今回の三井悦子の書評である。異彩を放っている,というのはこういう意味である。みずからの立ち位置を崖っぷちの「エッジ」におき,一つ間違えば,谷底に転落していくことも覚悟の上で,全体重をかけて「批評」を展開する。これは勇気の要ることだ。覚悟といえばいいか。しかし,そこにはほのかな愉悦がある。恩寵といえばいいか。追い込んだ者にのみ与えられる特権だ。これをやらない限り,読者に訴えるものはほとんどない。しかも,評者も成長しない。「終った人」に成り下がるのみ。

とまあ,いささか褒め上げすぎたかも知れないが,わたしたちの仲間うちから,こういう評者が誕生したことの嬉しさに免じて,お許しいただきたい。いまごろになって名古屋で開催した「竹内敏晴さんを囲む会」(三井悦子主宰)が生きてきた,と実感する。わたし自身も含めて。

こういう強烈なライバルが誕生し,わたしもうかうかしていられない。強烈な刺激である。これからは,わたしも負けずにますます切磋琢磨して,お互いの力量を高め合っていきたいものだ。じつはこういう日を待ち望んでいた。そして,若い研究者にも,何人か素晴らしい才能を開花しつつある人がでてきた。愉しみである。

その先陣を切ってくれた三井悦子に幸いあれ!